この記事では、朝ドラ「風、薫る」第14週のあらすじをご紹介します。
| 放送日 | 2026年6月29日〜7月3日 |
|---|---|
| 週タイトル | ウソと誠 |
第14週のおおまかな流れはこうです。
- りんが看護婦取締をやめさせられる
- 直美が一ノ瀬家に正式に同居するようになる
それでは、詳しいあらすじを見ていきましょう!
看護婦取締を下される
後輩の育成にも熱心に取り組んでいたりん。
しかし、看護学生のヒデが、病院を去ってしまいます。
「一ノ瀬先生のようには、なりたくないです。」
落ち込むりんは、仕事で病院にやってきた虎太郎に悩みを打ち明けました。
そんな中、院長からの呼び出しを受けました。
りんは、ヒデが辞めた責任を負わされる形で、「外科の看護婦取締」の職務を下されてしまうのでした。
りんは「一看護婦」として、初心に戻り、看護に励むことになりました。
曲者の患者
看護取締から外され、りんが担当することになった患者は、山本(本田大輔)です。
慢性的な胃腸炎が原因で、手術を控えていました。
そんな山本は「嘘」をついて、人を驚かせるのが大好き。
りんはもちろん、周囲の人々を困惑させます。
そんなある日、りんは山本と妻のテイの「ある約束」を知るのでした。
直美との同居スタート
一方、一ノ瀬家では、美津が新居を決めていました。
今の家は、卯三郎に返すことになっていたからです。
「直美さんも、このまま一緒に住まないか」
そう提案する美津。
りんも直美の同居に賛成しますが、直美は悩んでいます。
そんな中、一ノ瀬家に寛太が訪ねてきました。
憎まれ口を叩きながらも、直美の母親の情報を伝えにきてくれたのです。
最終的に、直美は引っ越し先でも、りんらと共に同居することを決めます。
シマケンに元気をもらう
そんな中、りんは久しぶりに団子屋でシマケンと再会します。
シマケンは、小説よりも他人の本の書評を書くことになり、複雑な気持ちを抱えていました。
二人は近況を語り合ううちに、お互いに元気をもらいあっていました。
一方の直美も、ひょんなことから軍人の小川吾郎と、病院の中庭で団子を食べることに。
山本の手術
胃の手術を終えた山本は、容体がよくありません。
そんな中、妻のテイから病院にある知らせが届きます。
それを聞いた山本は、
「家に帰らせてくれ・・・」
とりんに懇願します。
悩んだりんは、山本の願いを叶えるため、妻の元へと連れて行くことに。
しかし、その行動が、患者の命を危険にさらしてしまうのでした。
〜第15週へ続く〜
コラム|看護師長になるも、退職させされる大関和

看護婦養成所を卒業したりんや直美たち。
史実の大関和や鈴木雅らは、卒業後どんな道を歩んだのでしょうか?
ドラマの予習としてぜひご覧ください。
看病婦取締(看護師長)へ
卒業後、大関和の就職先は「帝国大学医科大学附属第一医院」となりました。
役職は、外科の看病婦取締。
現在の「看護師長」にあたる役職です。
鈴木雅と桜川里以(多江のモデル)も同じ病院の内科で看病婦取締に。
三人はそれぞれ病院の近くに住まいを構えて新たな生活を始めます。
長い研修期間を経て、ようやく家族のそばで腰を落ち着けられるようになった和でした。
やけどの学生たちの看病
1889年(明治22年)1月。
帝大の寄宿舎で大きな火事が起き、やけどを負った学生たちが病院に担ぎ込まれてくるという出来事が起きます。
しかし、負傷した学生たちはお金がなく、付添人を頼むことができません。
そこで和は、自らボランティアとして付き添いを名乗り出たのです。
明治時代の病院では、現在のように看護師が患者のそばに常駐する体制が整っていませんでした。
そのため患者の身の回りの世話(食事の補助、トイレの介助、夜間の見守りなど)は、家族か、あるいはお金を払って雇った付添人という人に頼むのが一般的でした。
つまり、付添いは「病院が提供するサービス」ではなく、患者側が自分で手配するものでした。
経済的に余裕のない患者は、付添人を雇えずひとりで夜を過ごすしかなかったのです。
和はそういった学生たちのために、無償で付き添いを引き受けたということです。
「誰かが困っていれば、できることを全力でやる」
それが和にとって当たり前のことであり、看護への思いと深い信仰心が結びついた生き方そのものでした。
その熱意はじわじわと周囲に伝わり、気がつけば看病婦たちの意識も変わり始めていきます。
医師たちとの激しい対立
しかし、ある日、思わぬ形で波風が立ちます。
和が「内科の看病婦のヘアスタイル」について注意したことが、医局の反感を買ってしまったのです。
「外科が内科に口出しするとは何事か。それに看病婦の管理はわれわれ医者がするものだ!」
しかし、和も簡単には引き下がりません。
「看病婦に関することは、看病婦取締が責任を持って判断します!」
真っ向から言い返し、対立は深まっていきました。
さらに火に油を注ぐ出来事が起きます。
病院で「看病法講座」が開かれた際、和は、受講する看病婦たちが勤務との両立に体調を崩していく現実を放っておけませんでした。
そこで、「働き方改革案」の建議書を教授に提出することにしたのです。
和の行動は、純粋に「現場を変えたい」「学びと仕事の調整が上手くいくように」という思いからでした。
しかし、医師たちの目には「部下が上司に楯突いた」「組織の秩序を乱す者」としか映らず、医局の怒りはついに頂点に達してしまいます。
退職勧告、そして新潟へ
そんな現場をおさめるため、外科教授は和に対して、遠まわしに「退職勧告」をすることとなります。
和の熱心な仕事ぶりは認めていましたが、「これ以上、現場をかき乱さないでほしい」という苦渋の決断でした。
1890年(明治23年)10月。
翌月の退職が決まった和のもとに、「女学校の舎監」という新たな仕事の声がかかります。
しかし、それは新潟県の高田女学校。
単身赴任での勤務です。
「また子供と離れなければならない・・・」
しかも、看護の仕事ではありません。
寂しさややるせなさを胸に抱えながらも、和は生活のため、新潟行きを決意したのです。
大関和が32歳の時で、その後、38歳まで新潟で過ごすこととなります。
同級生たちのその後
他の同級生たちはその後どうなったのでしょうか?
鈴木雅(直美のモデル)は、病院で内科の看護師長を務めた後、「慈善看護婦会(その後の東京看護婦会)」を設立しています。(後に高田から戻った和も加わる)
桜川里以(多江のモデル?)も、雅とともに内科の看護師長を務めた後、ハワイの日本人病院の医師を結婚して婦長となり、夫と死別してからは帰国して看護の仕事を続けました。
広瀬梅(トメのモデル?)は、卒業後は就職せず、地震の被災地での救護活動へ。
1900年に渡米し、夫が経営する日本人学校のサポート役として保健活動に携わり、晩年には帰国して暮らしました。
以上が、簡単ではありますが、鈴木雅、桜川里以、広瀬梅の「その後」でした。
ドラマでは、彼女たちの人生がどのように交差していくのか楽しみです。
また、りんの恋模様も同時並行で描かれていく予定ですし、今後も目が離せませんね!
ドラマの原作本はこちら!


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