この記事では、朝ドラ「風、薫る」第7週のあらすじをご紹介します。
| 放送日 | 2026年5月11日〜5月15日 |
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| 週タイトル |
第7週のおおまかな流れはこうです。
- 帝都医科大学附属病院での実習がいよいよスタート
- りんと直美、それぞれのやり方で患者と向き合う
- 侯爵夫人の入院で、病院がざわつき始める
それでは、詳しいあらすじを見ていきましょう!
戸惑いだらけの実習スタート
1888年(明治21年)。
7人の実習の舞台は、帝都医科大学附属病院に決まりました。
バーンズも監督として同行しますが、実は日本語が話せることをあえて周囲に知らせていませんでした。
病院にはすでに大勢の「看病婦」が働いています。
しかし衛生や医療の知識はほとんどなく、見習生たちに対しても歓迎ムードはゼロでした。
りんの担当は、足の手術を終えたばかりの園部。
直美の担当は、背中の皮膚の病気でひと月近く入院している丸山です。
園部はりんの顔を見るなり、
「下女風情が!」
と吐き捨て、それ以来ひと言も口をきこうとしません。
丸山は丸山で、
「医者にバカにされている」
などと直美に不満をぶつけてくるばかり。
ふたりとも、自分たちに何ができるのか戸惑う日々でした。
担当を外されるりん
ある日、園部の傷口に赤みが広がり、出血が起きてしまいます。
りんは「患者に嫌われている」という理由で担当を外れるよう告げられ、深く傷つきました。
その後、園部は再び手術を受けて回復し、退院していきます。
ある日の寮。
7人全員が、看護婦に対する世間の目の厳しさを痛感していました。
多江が静かに口を開きます。
「患者、医者、看病婦——この実習でそのすべてに、看護婦の仕事を認めてもらわないといけないということね」
直美は「やるしかない」と意気込みを見せ、7人で励まし合いました。
後日、りんはバーンズに打ち明けます。
園部の件は自分の力不足だったこと。
最後まで言葉を交わせなかったことが悔しい、と。
バーンズはりんをまっすぐ見て言いました。
「たとえ罵られようとも、患者が回復すればそれでいいのです。看護は見返りを求めてするものではありません」
自分のやり方を貫く直美
一方の直美は、おだてに弱いという外科助教授・藤田に目をつけます。
うまく話を運び、丸山への薬の塗布を一日三回に増やすことに成功。
ほかの患者の要望も次々と実現させていきます。
そんな直美のやり方に、りんたちはあきれ顔です。
しかし直美は動じません。
「大事なのは患者のためでしょ。正しいことを正しく言うだけじゃ、人は動かない」
シマケンの焦り
ある日曜日。
りんが瑞穂屋を訪ねると、卯三郎と勝海舟が和やかに話し込んでいました。
卯三郎が勝にりんのことを紹介。
すると、りんが去った後に勝は言いました。
以前入院していた園部が、
「洋服を着た女中がえらく今風だったよ」
と自慢していた、と。
りんが帰宅すると、島田が美津に頼まれて玄関まわりの修理をしていました。
一ノ瀬家にすっかりなじんでいる島田。
しかし、同人誌で評判を上げている友人の槇村に、内心焦りを感じていました。
りんはそんな島田の様子に気がつきます。
「なんか、無理してませんか?」
ふたりはお互いの胸のうちを少しずつ言葉にして、励まし合いました。
侯爵夫人の入院
当直明けに長屋へ立ち寄った直美。
事情があってはぐれていた親子が再会する場面に出くわしました。
親子を見送ったあと、直美はしばらく考え込みます。
そして意を決するように、ずっとそのままにしていたお守りの袋をそっと開けました。
病院では、7人の存在が少しずつ受け入れられるように。
そこへ新たな患者がやってきます。
和泉侯爵夫人の千佳子が、乳がん治療のために入院してきたのです。
数日後には手術が予定されていました。
しかし千佳子は、
「何もかもが気に入らない。退院する」
と言いだしました。
病院の評判を守りたい医師たちは、夫人を引き止めるために必死です。
そんなある日、バーンズからりんと直美に呼び出しがかかりました。
向かう先は、院長室でした。
〜第8週へ続く〜
コラム|りんたちの実習先「帝都医科大学附属病院」のモデルとは?

ドラマでりんと直美が実習に臨む「帝都医科大学附属病院」。
そのモデルとなったのが、帝国大学医科大学附属第一医院で、現在の東京大学医学部附属病院です。
この病院のルーツは、戊辰戦争のさなかに新政府が横浜に設けた軍陣病院にさかのぼります。
当初は男性の看病人が患者の世話をしていましたが、戦場帰りの荒々しい兵士たちは言うことをなかなか聞きませんでした。
そこで女性を看護にあたらせたところ、患者たちがおだやかになり、治療がうまく進むようになったといいます。
その後、病院は東京に移り、帝国大学医科大学附属第一医院へと発展していきます。
当時の病院には、医療や衛生の知識を持たない「看病婦」が大勢働いていました。
転機が訪れたのは1887年のことです。
スコットランド出身の看護師・アグネス・ヴェッチ(バーンズのモデル)が来日。
桜井女学校と帝国大学医科大学附属第一医院の両方で看護教育にあたることになりました。
翌1888年には病院に「看病法練習科」が創設されます。
ヴェッチが教えたのは、桜井女学校附属看護婦養成所の一期生である大関和や鈴木雅ら6名と、病院の看病婦講習生22名、合わせて28名でした。
そして1年間の病院実習を経て、日本初のトレインドナースが誕生したのです。
現在も「東京大学医学部附属病院」として患者の治療と医療人の育成を担い続けるこの病院は、日本の近代看護が産声をあげた場所のひとつでした。
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