この記事では、朝ドラ「風、薫る」第9週のあらすじをご紹介します。
| 放送日 | 2026年5月25日〜5月29日 |
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| 週タイトル |
第9週のおおまかな流れはこうです。
- 千佳子の手術が無事に終わり、りんの看護が認められる
- りんと直美が看病婦のフユと交流を深めていく
- 直美が母親の手がかりを追い始める
それでは、詳しいあらすじを見ていきましょう!
千佳子の手術
手術前日。
りんが病室を訪ねると、千佳子は窓の外を見ながら涙を流していました。
「この体に刃物が入るのが怖いの・・・」
りんは静かに語りかけます。
「手術室でもずっとおそばにいます。奥様は一人ではありません」
そして手術は無事に終わりました。
千佳子はりんにほほえみかけます。
「あなたがいてくれたおかげで私は、寂しくありませんでした」
その言葉がりんの胸に深く刻まれました。
りんは直美に、手術介助を務めた看病婦の永田フユの手際が見事だったこと。
看護の仕事を改めて好きだと思えたことを話します。
そして直美がいてくれたおかげだと、礼を伝えました。
その晩、寮にバーンズが現れます。
りんの働きもあって、院長の多田が見習生たちを認めたこと、養成所での下級生の募集が正式に決まったことを告げました。
見習生たちは喜び合います。
医師たちも急に態度を改め、多田は看病婦たちに見習生から看護を学ぶよう通達を出しました。
看病婦との関係
千佳子が退院した日。
太ももに木片が刺さった患者の緊急手術が行われることになりました。
りんと直美は手術介助を命じられましたが、何もできないまま、結局フユたち看病婦が介助を務めました。
手術後、りんはフユに、
「手術介助を教えてほしい」
と頭を下げます。
すると、フユは月謝を要求しました。
りんは驚きましたが、看病婦が経済的に苦しい人々であることに気づいていきます。
りんは、看病婦と力を合わせて働けるようになりたいと考えるようになっていきました。
そのころ、ゆきとトメは、心臓の弱い女性患者・小野田を担当していました。
遠方に嫁いだ娘と三年会えていないという小野田は、ふたりにこう話します。
「あなたたちが娘みたいに優しくしてくれるから嬉しい」
ゆきは胸が熱くなりました。
フユの事情
りんと直美は、フユにある提案をします。
看病婦としての経験を教えてもらう代わりに、トレインドナースの知識を伝える、というものでした。
すると、フユは声を荒げました。
「脚が悪くて動けない夫が家にいる。」
「他人の看病をするくらいなら家で夫を看ていたい。」
それを聞いたりんと直美は、自分たちがフユの夫を看護すると申し出ました。
休日、ふたりはフユの夫・永田康介のもとを訪ねます。
洗髪や着替えの手伝いなど、できることに懸命に取り組むふたりに、康介は少しずつ心を開いていきました。
しかし、通い続けるうちに、康介が働けない自分のことを卑下したり、フユの仕事を「看病婦なんか」と繰り返すのを耳にしました。
りんも直美も、病院でのフユの姿を伝えようとします。
「フユさんは”看病婦なんか”と言われるような仕事はしていません。」
「私は、一生フユさんのようにできない。」
「どうか、ご主人だけはいたわって差し上げてください。」
「そしてご自分のことも、私なんか、なんて言わないでください」
ふたりの言葉が、フユと康介の凝り固まっていた心をゆっくりとほぐしていきました。
母の手がかり
ある日、直美は寛太と教会で会いました。
寛太が調べてきた話によると、直美の母親と思われる夕凪は、25年ほど前まで品川の遊郭にいた女郎。
年季が明ける前に男と逃げたらしい、といいます。
直美はお守りの中に入っていた「浦崎八幡」のお札を寛太に見せ、どこの神社か探してほしいと頼みました。
「何で今さら?」
と問う寛太に、直美は答えます。
「病院で働くようになって、いろんな人に会った。」
「生まれたばかりの子、死にそうな人。いいやつも嫌なやつも…。」
「そしたら、どんな人なのか見てみたくなった。私をこの世に産み落とした人の顔を。」
しかし直美自身、今更見つけてどうしたいのかは分かりませんでした。
新たな関係へ
後日、病院では、フユがりんたちに
「手術介助を教える」
と言いだしました。
これをきっかけに、看病婦と見習生はお互いの知識を教え合い、助け合う関係へと変わっていったのです。
そんなある朝。
ゆきが小野田の検温に訪れると、小野田はその場で意識を失ってしまいます。
「小野田さん!?」
ゆきの声が震えました。
小野田はそのまま危篤に陥ってしまいます。
〜第10週へ続く〜
コラム|看病婦・永田フユのモデルとなった人物とは?

ドラマに登場する看病婦の永田フユ。
猫背椿さんが演じています。
そのモデルとなった可能性が高いのが、吉村セイという実在した女性です。
セイは戊辰戦争で夫を亡くし、「帝国大学医科大学附属第一医院」の前身である横浜の軍陣病院が開かれた頃から、20年にわたって働き続けてきた熟練の看病婦でした。
田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』によると、大関和(りんのモデル)がセイに一目を置いたのは、手術室でのことだったといいます。
器具を的確なタイミングで手渡し続けるセイの手さばきに、和は目を奪われました。
当時、看病婦は「名ばかりで病人の使い走りに過ぎない」という見方が一般的でした。
しかし和はこのとき、正式な学校で学んだ自分たちこそが真の看護婦だという思い上がりを恥じたと、小説の中では表現されています。
そして和がセイに教えを乞うと、セイは快く引き受けてくれたと言います。
以来セイは、長年の経験で培った知識と技術を惜しみなく教え続けてくれました。
やがて、その他の見習生もセイから学ぶようになり、その様子をアグネス・ヴェッチ先生(バーンズのモデル)が温かく見守っていたそうです。
セイが、熱心に後進の指導にあたったのはなぜだったのでしょうか?
それは、引退の時期が近づいていたからでもありました。
六十歳を過ぎたセイは、山梨の弟一家のもとで余生を過ごすことを決めていたのです。
セイが病院を去る日、医師も看病婦も学生たちも玄関前に集まりました。
旅支度をしたセイが手にしていたのは、風呂敷包みひとつだけ。
小説の中では、長い看病婦生活を経て、セイの手元に残ったのはそれだけだったと記されています。
セイには三人の子どもがいましたが、夫を亡くした後に婚家を追い出され、それでも給金のほとんどを子どもたちへ送り続けていたのです。
遠ざかっていくセイの背中を見つめながら、「セイさんのような看護婦になりてえ」とつぶやいた梅に、和が静かにうなずく・・・。
小説はそう締めくくられています。
ここで、ドラマと史実のちがいについても触れておきましょう。
ドラマの永田フユは、脚の悪い夫を抱え、経済的な苦しさから月謝を要求するという設定です。
一方、史実のセイは夫をすでに亡くしており、子どもたちへ仕送りを続けながらひとりで生きてきた女性でした。
また、ドラマではりんと直美がフユの家に通い看護をすることで関係が変わっていきますが、史実では和がセイに自ら教えを乞うたことがふたりの関係の出発点でした。
細かな設定はちがっても、「現場で経験を積んだ看病婦への敬意」と「世代を超えた知識の受け渡し」というテーマは、ドラマと史実で深く重なっています。
学校で学んだ知識と、現場で磨かれた技術。
ドラマの中でりんと直美がフユと築いていく関係は、吉村セイとの実話を元に考えられているのでしょう。
ドラマの原作本はこちら!


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