この記事では、朝ドラ「風、薫る」第12週のあらすじをご紹介します。
| 放送日 | 2026年6月15日〜6月19日 |
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| 週タイトル |
第12週のおおまかな流れはこうです。
- 安の結婚騒動が急展開する
- 6人が養成所を卒業し、バーンズが帰国する
- 虎太郎が上京してくる
それでは、詳しいあらすじを見ていきましょう!
バーンズの告白
複雑な心境のバーンズは、大山邸を訪ねました。
そして初対面の捨松にこう打ち明けます。
「I fear I have failed to raise nurses.(私は看護婦を育てられなかったようです)」
養成所の閉所を前に、バーンズが胸に抱えていた思いでした。
安の結婚騒動
安と宗一の結婚話が進み、槇村家との顔合わせの日がやってきました。
ところが帰宅後、安が突然、結婚を辞めたいと言い出します。
「宗一は理想的な相手だけれど、ただ奥様になりたいというだけで結婚していいのか…不安になった」
そこへ環がやってきて、安に昔話をねだりました。
話しているうちに安は突然気づいたように言います。
「私が家を守ればいい。お姉様がしば刈りをするだんな様の役をしてくれんだから。」
「私がこの家の奥様になる!」
美津は猛反対です。
「安にはせめてまともな結婚をして、幸せになってもらわねば困ります」
「まともな結婚をしたからって…幸せになるかどうか分からないじゃない!」
安が言い返していると、槇村が訪ねてきます。
兄ではなく自分を選んでほしいと訴えましたが、安はきっぱりと言いました。
誰とも結婚はしない、と。
後日、りんと島田の立ち合いのもと、安と宗一が破談の話し合いをしました。
安の決意を聞いた宗一は、思わず笑ってしまいます。
実は宗一も結婚に興味がなく、安を応援すると言いました。
「安さんならきっとお姉様の、楽しい奥さんになりますねぇ」
その瞬間、安は宗一に恋をしてしまいました。
その後、環が友達の宗太に「バカ」と言って泣かせてしまったことが発覚します。
りんは環と一緒に謝りに行き、ふたりは仲直りしました。
それを見ていた安は、自分もすぐに謝らなければと言い出しました。
「ごめんなさい。結婚、やめるのはやめる。私やっぱり宗一さんと結婚したい」
バーンズとの別れが近づく
それから数か月後。
バーンズが食堂に見習生たちを集め、スコットランドに帰ると告げました。
驚く一同にバーンズは語りかけます。
「夢を見るのは楽しいですが、かなえようとすると苦しくなるものです」
「私は六つの種はまくことができました。それが六十人、六百人、六千人に増えたとき、私の夢はかないます」
バーンズの言葉に、一同は涙を流しました。
その夜、しのぶと喜代が看護婦の道には進まないことを仲間に伝えます。
しのぶは看護を生かしながら家族や近所の人々を支えていきたいと言い、喜代は伝道者として看護の知識を活かしていくと話しました。
ある日、りんと直美が瑞穂屋を訪ねると、島田が来店していました。
島田は直美から新聞記者なのかと問われ、悩みながらも小説を書き続けていると答えます。
そんな島田にりんは声をかけました。
「シマケンさんは強いですね」
「夢を見るのは楽しいが、かなえようとすると苦しいもの。そう先生が言っていました」
そう言ってほ微笑むりんを見て、島田は自分のりんへの思いをはっきりと自覚します。
卒業の日
卒業式の日。
梶原から6人に卒業証書が手渡されました。
駆けつけたゆきとバーンズが焼いたアップルパイを囲みながら、みんなでスコットランド民謡「蛍の光」を歌い、別れを惜しみました。
その後、りんと直美は捨松のもとを訪ねて卒業を報告。
捨松から、バーンズが卒業後の就職先を確保するために、勝海舟や和泉千佳子など有力者たちに頭を下げて回ってくれたことを聞きます。
ふたりはバーンズに会いに寮へ向かいましたが、バーンズはすでに日本を発っていました。
残された『NOTES ON NURSING』をめくると、一枚のメモが落ちてきます。
「What is nursing? The one being questioned is myself.(看護とは何か。問われているのは、私自身です)」
ふたりはその言葉をかみしめ、決意を新たにしました。
虎太郎の上京
卒業後、直美はりんの家に居候することに。
ある日、りんの家に洋装姿の虎太郎が突然現れます。
銀座の製薬会社に就職し、正社員になったというのです。
「東京は努力すればしただけ、自分の力で上に上がれる。」
力強く語る虎太郎を見て、りんは雰囲気が変わったことに驚きます。
その晩、眠れずにいた安がりんに打ち明けました。
「私たちがいなければ…お姉様は虎太郎兄様と…」
りんは微笑みながら、安の頭をなでて言いました。
「みーんな昔の話。今の私の上がりは、もう奥様じゃない。違う上がりがきっとあるはず」
後日、安と宗一の祝言が執り行われました。
お祝いのあと、だんご屋で話すりんと虎太郎のもとに島田が現れます。
島田と親しげに話すりんの様子を見ていた虎太郎は、島田が去ると言いました。
「俺、必ず出世するから。そうでないと、りんの横に立てないってずっと…」
「そんなこと…」
りんは咄嗟に否定しますが、虎太郎はそれ以上何も言わずに立ち去って行きました。
〜第13週へ続く〜
コラム|短い命だった「桜井女学校附属看護婦養成所」

ドラマで描かれる、梅岡看護婦養成所が閉所を迎えるシーン。
「本当にこんなにすぐに無くなってしまったの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
実は、そのモデルとされる「桜井女学校附属看護婦養成所」も、短い期間でその歴史に幕を下ろしていました。
この養成所が誕生したのは、1886年(明治19年)のこと。
当時はまだ「看護婦(トレインドナース)」という職業そのものが手探りの時代で、テキストも指導者もゼロからの出発でした。
1887年には第一期生6名が巣立ち、彼女たちは帝国大学医科大学附属第一医院で実習を重ねました。
しかし、理想と現実は厳しく、運営資金の問題や、実習先を安定的に確保することの難しさなど、数々の壁が立ちはだかります。
ドラマでは、病院が独自に看護科を設けたことが閉所の引き金となったように描かれますが、実際には運営難が積み重なった結果だったようです。
その後、1888年には第二期生5名が卒業。
1889年には桜井女学校が新栄女学校と合併して女子学院となったことで、養成所も自然と姿を消す流れとなって行きます。
わずか2〜3年という短い期間でしたが、ここから旅立った大関和さん(りんのモデル)や鈴木雅さん(直美のモデル)たちは、その後も日本の医療現場を支え続けました。
ちなみに、ドラマで存在感を放ったバーンズ先生のモデル、アグネス・ヴェッチ先生も史実どおりに日本を離れています。
1887年9月に来日し、1888年の秋ごろには任期を終えて故郷へ。
わずか1年ほどの日本滞在でしたが、彼女が日本で伝えた西洋式の看護技術は、日本の近代看護の礎として深く根付いていきました。
養成所という「器」はなくなってしまいましたが、そこで育まれた志は、確かに次の世代へと受け継がれていったのです。
そう思うと、ドラマで描かれたあの卒業のシーンも、単なる終わりではなく、未来に続く種蒔きだったのだと感じられますね。
ドラマの原作本はこちら!


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