2025年後期の朝ドラ「ばけばけ」。
主人公・松野トキの幼馴染として登場するのは、野津サワ(通称:おサワ)です。
トキと同じく士族の娘であり、「先生」になることを目指しているおサワ。
実在のモデルがいるのか気になりますよね。
実は、おサワのモデルについて、2025年11月のラジオ番組にて「ばけばけ」の制作側から公式な発表がありました!
そこで今回は、
【ばけばけ】野津サワの実在モデルは誰?
について詳しく解説していきます。
※本記事では、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開が含まれる可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】おサワ(野津サワ)の実在モデルは2人いる!
「おサワ」の役を作る上で参考にした実在モデルは「山脇房子さん」と「渡部トミさん」ということが判明しています。
この情報の出所は、2025年11月2日(日)に開催された「BK大感謝祭2025」です。
イベントの主な出演者は、
- 円井わんさん(野津サワ役)
- 橋爪國臣さん(チーフプロデューサー)
- 新庄正典さん(松江歴史館の主任学芸員)
など。
#BK大感謝祭#ばけばけ トークショー 公開生放送が終了!#円井わん さん(野津サワ 役)が登場!出演者だけが知る撮影秘話や、ドラマ制作現場の多彩な工夫の数々が明らかに!
— NHK大阪放送局 (@nhk_osaka_JOBK) November 2, 2025
聴き逃した方はらじる★らじるで♪https://t.co/QyCbqe5sWj#新庄正典 #玉田玉秀斎 #広里貴子 #橋爪國臣 #高瀬耕造 pic.twitter.com/HVlMYdS1jV
その中で「野津サワにはモデルがいるのか?」という話題に。
すると、プロデューサーの橋爪さん、松江歴史館の新庄さんからこのような説明がありました。
野津サワのモデルについての言及
- サワには明確なモデルがいるわけではない
- でも何もないところからキャラクターを作るのは大変
- 2人くらい参考にさせてもらっている
- 1人は「山脇房子さん」
- 2人は「渡部トミさん」
- どちらも松江出身の教育者
つまり、「モデル」というよりは「参考にした人物」という形。
実在した2人の女性の要素を盛り込んで出来上がったのが「野津サワ」というキャラクターとのことでした。
松野トキと野津サワ
名前が出てきた「山脇房子さん」「渡部トミさん」は、お二人ともトキのモデルになった小泉セツさんと同じ時代を生きた松江の女性です。
一体どのような人物なのか、詳しく見ていきましょう!
【ばけばけ】おサワのモデル①:山脇房子さんとは?

山脇房子さんは、夫と共に東京で「山脇学園」を創設し、女子教育の発展に尽力した松江出身の教育者です。
詳しく見ていきましょう!
山脇房子さんのプロフィール
| 名前 | 山脇房子(やまわきふさこ) |
|---|---|
| 旧姓 | 小倉フサ |
| 出生年 | 1867年(慶応3年)6月4日 |
| 没年 | 1935年(昭和10年)11月19日(68歳没) |
| 出身地 | 松江市北田町 |
| 父親 | 松江藩士・小倉忠 |
| 家族 | 夫:山脇玄(貴族院議員) 子:春二(長女)、春樹(長女の婿養子)、初音(次女) |
| 職業 | 教育者 |
| 出身校 | 松江女子師範学校 |
士族の娘だった
山脇房子さんこと旧姓・小倉フサさんは、松江藩士・小倉忠の長女です。
「ばけばけ」の野津サワも、トキと同じく「士族の娘」という設定です。
また、トキのモデル・小泉セツさん(1868年生まれ)とは同学年になります。
士族の娘同士であり、同い年であるという点が見事に一致しますね。
近所に住んでいた
ただし、「ばけばけ」のように、小泉セツさんと小倉フサさんが同じ小学校に通っていたという情報は確認できていません。
しかし、二人の出身地は、「隣町同士」でした。
- 小泉セツさん:松江市「南田町」
- 小倉フサさん:松江市「北田町」
明治時代の松江小学校は、いくつかの町をまとめた校区ごとに設置されていました。
小泉セツさんと小倉フサさんは小学校で顔を合わせていた可能性はゼロではないでしょう。
(※小泉セツは11歳で小学校を中退)
仮に全く接点がなかったとしても、ほぼ同じ時代を生きた松江の女性の1人です。
山脇房子さんの経歴と人生
サワのモデルの1人である山脇房子さんはどのような経歴があるのでしょうか?
簡単にみていきましょう。
| 時代 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1883年(明治16年) | 16歳 | 松江女子師範学校を卒業 小学教員免許取得 仙台のアメリカ人宣教師のもとで英語を学ぶ |
| 1885年(明治18年) | 18歳 | 上京 西洋人から経済学、文学、英語、洋風作法などを学ぶ |
| 1894年(明治27年) | 27歳 | 山脇玄(行政裁判所評定官)と結婚 |
| 1903年(明治26年) | 36歳 | 夫が設立した女子校「女子実修学校(後の山脇高等女学校/現在の山脇学園)にて初代校長に就任 |
| 1915年(大正4年) | 48歳 | 勲五等宝冠章を授賞 |
| 1928年(昭和3年) | 61歳 | 勲四等瑞宝章を授賞 |
| 1935年(昭和10年) | 68歳 | 逝去 |
このように、山脇房子さんは現在も続く「山脇学園(東京都赤坂)」の創設者の妻として知られています。
校長も歴任した教育者です。
松江で師範学校を卒業後、西洋人から文化や風習などを学んだことが、教育者としての理念に大きな影響を与えたようです。
夫である「山脇玄(やまわき・げん)」さんは、福井出身の法学者であり、政治家、教育者でもありました。
そんな山脇房子さんの大きな功績として知られている3つのエピソードを見ていきましょう!
①日本初のワンピース制服
1919年(大正8年)、山脇房子さんは、女子生徒のために日本で初めてワンピース型の制服を採用しました。
当時の女子学生は、和装(着物)が一般的。
しかし、和装は動きづらく、経済的にも負担が大きいものでした。
そこで山脇房子さんは「衛生的で実用的、そして品格のある装い」を目指して、1919年(大正8年)に洋装の制服をデザイン。
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これが現代の「セーラー服」「ブレザー制服」など、女子校の洋装文化の原点といわれています。
山脇房子さんデザインのワンピース制服や校章などは、現在も生徒たちに愛され、着用され続けています。
②「良妻賢母」からの転換
山脇房子さんは「家庭を守るだけでなく、社会の中で教養を生かして生きる女性」を目指す、一歩先の教育を進めました。
明治・大正期の女子教育は「良妻賢母」を目指すものが中心でしたが、山脇房子さんは、先進的な考えを持っていました。
それは、
「女性が社会に出ても恥ずかしくない教養と品位を身につけること」
女性が社会に出ることを前提に、家庭科のような授業だけでなく、「英語」「礼法」「音楽」など幅広い学びを女子に与えるカリキュラムを整えたのです。
この思想は、現代の女子教育(リーダーシップ・国際理解教育など)の先駆けと言われています。
③女性の地位向上に尽力
山脇房子さんは、女性の地位を高めるための社会活動にも力を注ぎました。
山脇房子さんは、学校教育という内からの改革だけでなく、婦人活動(外からの改革)の両方を実践した人物としても有名です。
特に大正時代には、上流・中産階級の女性たちによる社会改良運動が盛んになりました。
山脇房子さんも「東洋婦人会」「大正婦人会」などの婦人団体に関わり、労働者のための託児所を作る事業などを行っています。
これらの活動の中で、津田梅子(女子英学塾、のちの津田塾大学創設者)とも接点を持ち、慈善事業などにも参加しました。
それらの功績から、晩年には叙勲などを授賞しています。
サワ=社会に出る女性の象徴?
「社会に出て家族を養いたい」という目標を持つ野津サワは、山脇房子さんが持っていた女子教育の理念と通じるところがありそうです。
「ばけばけ」の野津サワは、教師を目指す=家族を養う=自立した女性を目指すという役柄です。
しかし、明治時代はまだ「女性教師」は珍しい存在でした。
山脇房子さんが教員免許を取得した際の女性の内訳を見てみましょう。
明治16年の小学教員中等科免許取得者
| 合格者 | |
|---|---|
| 士族 | 23名(内:女性8名) |
| 平民 | 28名(内:女性0名) |
| 合計 | 51名(内:女性8名) |
※松江歴史館の資料より
このように、合格者51名のうち、女性はわずか8名(約15%)だったのです。
野津サワも、このような狭き門を突破する女性の代表となるのでしょうか?
【ばけばけ】おサワのモデル②:渡部トミさんとは?

渡部トミさんは、松江市の雑賀小学校で初めて女性教師になった人物であり、「ばけばけ」の庄田多吉のモデル(本庄太一郎)と結婚しています。
詳しく見ていきましょう!
渡部トミさんのプロフィール
| 名前 | 渡部トミ |
|---|---|
| 読み方 | わたなべとみ |
| 出生年 | ? |
| 没年 | ? |
| 出身地 | 松江市雑賀町 |
| 家族 | 夫:本庄太一郎 |
| 職業 | 教育者 |
| 出身校 | ? |
残念ながら、サワのモデルの2人目である「渡部トミ」さんについてはあまり情報がありません。
松江歴史館によれば、
- 小泉セツと年が近い
- 雑賀小学校の初の女性教師
というわずかな情報が判明しています。
山脇房子さんにしても、渡部トミさんにしても、「教員免許を取得している」点は同じです。
つまり、野津サワも今後、女性教師として活躍することが推測できますね!
また、雑賀小学校といえば、「ばけばけ」の錦織友一のモデル・西田千太郎さんの出身校でもあります。
東京で会った、帝大生の「根岸」「若宮」、教員試験を共に受けた「庄田」も全員が雑賀町の出身であり、同校の出身者です。
根岸と若宮の実在モデルについてはこちら。

庄田多吉の実在モデルについてはこちら。

同郷の本庄太一郎と結婚
渡部トミさんは、雑賀小学校の教師となった後、同郷出身の本庄太一郎さんと結婚しています。
本庄太一郎さんも教育者であり、「ばけばけ」の庄田多吉のモデルとされる人物です。
庄田多吉のモデル・本庄太一郎さんは、教員免許を取得後、東京、京都、台湾、長野、兵庫など、海外も含む全国各地で中等教育の教諭や校長などを歴任した人物です。
「ばけばけ」での庄田多吉は、「トキやヘブンとも深く関わっていく」というキャラクターになることが発表されています。
ということは、野津サワと結婚する未来もあり得るのでしょうか・・・?
恋愛沙汰にあまり興味なさそうな「おサワ」ですが、今後に注目です。
野津サワも上京する?
先ほどご紹介した大阪放送局のイベントでは、ある大切な情報も発表されていました。
「ばけばけ」のチーフプロデューサーが
- サワの生涯も描く
- 途中退場はない
とも話されていたのです!
つまり、舞台が今後松江から変わった後にも、トキとサワは、何らかの形で関係が続いていくということが期待できますね。
サワのモデルとされる山脇房子さんも、渡部トミさんも、どちらも東京で生活していた時期があります。
そのため、「ばけばけ」の舞台が東京に移った際には、野津サワも東京にいる可能性は高いのではないかとみています。
トキとサワ、それぞれ異なる人生を歩む二人ですが、どこで交差するのかが楽しみですね!
「渡部トミ」さんについては、他にも詳しい情報が入りましたら追記していきます。
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