小泉八雲をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。
第6週からは、松江中学の生徒の1人の中に「錦織丈(にしこおり・じょう)」という人物が登場します。
彼は、吉沢亮さん演じる錦織友一の実弟です。
この人物に実在モデルがいるのか気になりますよね!
また、小泉八雲とは実際にどのような接点があったのでしょうか?
そこで今回は、
- 【ばけばけ】錦織の弟・錦織丈の実在モデルは誰?
- 【ばけばけ】錦織の弟モデル・西田精と小泉八雲の接点は?
について詳しく解説していきます!
※本記事では、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】錦織の弟・錦織丈の実在モデルは誰?

「ばけばけ」に登場する錦織丈のモデルは、西田千太郎さんの弟・西田精(にしだ・きよし)さんである可能性が高いです。
吉沢亮さん演じる兄・錦織友一は、実在した松江の教師・西田千太郎さんがモデルです。
西田千太郎さんには、16歳年下の弟がいました。
そのため、「ばけばけ」の錦織丈は、西田千太郎さんの弟である可能性が高いのです。
一体どのような人物だったでしょうか?
詳しく見ていきましょう!
弟・錦織丈の役どころ
「ばけばけ」での錦織丈(錦織友一の弟)は、以下のような人物です。
錦織丈(演:杉田雷麟)
ヘブンの教え子。
引用:NHK公式サイト
英語教師である錦織友一の弟で、松江随一の秀才と称される兄を尊敬し、その背中をまっすぐに追う。
ヘブン(小泉八雲のモデル)が受け持つクラスの教え子の1人であり、秀才の兄を誇りに思っているまっすぐな青年です。
モデルは西田千太郎の弟
そんな「錦織丈」は、西田千太郎さんの弟・西田精(にしだ・きよし)さんがモデルだと考えられます。

簡単なプロフィールがこちらです。
プロフィール
| 名前 | 西田精(にしだ・きよし) |
|---|---|
| 生年月日 | 1877年(明治10年)6月 |
| 没年月日 | 不明 |
| 出身 | 松江市雑賀町 |
| 家族 | 父:西田半兵衛 兄:西田千太郎 |
| 職業 | 九州大学教授(教育者・技術者) |
| 専門分野 | 土木・水道・衛生工学 |
西田精さんは「大盤石」と言われた兄同様か、それ以上の秀才のエリートでした。
東京帝国大学に進学し、土木工学を学び、助教授へ。
九州帝国大学の在籍時には、「工学博士号」を取得しています。
晩年は、学問的知見を生かし、地方のインフラ整備に尽くした技術者・教育者となりました。
おもな経歴や功績がこちらになります。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1899年(明治32年) | 東京帝国大学工科大学に進学(3年間) |
| 1902年(明治35年) | 東京帝国大学工科大学・助教授に就任 |
| 1910年(明治43年) | ドイツ・イギリス・アメリカに留学 |
| 同年 | 九州帝国大学工科大学・助教授に転任 |
| 1913年(大正2年) | 九州帝国大学・教授に昇任 |
| 1915年(大正4年) | 工学博士号を取得 |
| 1920年代(大正期) | 松江市の水道拡張計画に技術的助言を行う |
| 1925年(大正14年) | 松江市の給水人口増加に対応する拡張工事に助言 |
| 1933年(昭和8年) | 松江市のさらなる水道拡張に関する設計・施工助言を行う |
| 1935〜1945年(昭和10〜20年)頃 | 各地の水道・インフラ事業に技術指導を行う 九州帝国大学教授として在任を続け、後進の育成にも尽力 |
| 没年不詳 | 松江市上下水道局の資料に功績が記録され、郷土の技術者として顕彰 |
兄・西田千太郎さんは「教育者」として地元に貢献。
一方、弟・西田精さんも教育者としての一面を持ちながら、インフラ整備において郷土に貢献をした人物だったのです。
松江市の駅前広場にある「水道通水90周年モニュメント」には、尽力した1人として「西田精」の名前が刻まれています。

また、留学経験もあることから、兄と同じく語学が堪能であったという情報も。
松江を代表する、優秀な兄弟だったことが伺えますね!
兄・西田千太郎との関係
西田精さんは、兄・西田千太郎さんとは16歳違いの弟でした。
西田千太郎さんは亡くなる前に、両親、妻、弟、友人宛に4通の遺書を残したそうです。
※西田精さんが18歳の時に、兄・千太郎さんは病気で亡くなっています。(享年34歳)
このことからも、西田家の2人きりの兄と弟だったと思われます。
お互いにどのような存在だったかは不明です。
ただ、「16歳」という歳の差も考えると、千太郎さんは弟のことをとても可愛がっていたのではないでしょうか。
そして、弟の方は「ばけばけ」の錦織丈のように、兄の存在を強く感じながら、背中を追いかけていたのかもしれません。
【ばけばけ】錦織の弟モデル・西田精と小泉八雲の接点は?

公式な記録はないものの、錦織丈のモデル・西田精さんと小泉八雲は、生涯に渡り3度の接点があったことが推測できます。
まず、「西田精さんが小泉八雲の教え子だった」という情報は見つかっていません。
しかし、二人の足跡を辿ると、交流があった可能性が高いのです。
この時に会っていた?
- 小学校時代
- 松江中学時代
- 帝国大学時代
詳しく見ていきましょう!
小学校時代に家に行った?
小泉八雲が松江にやってきたのは、明治23年8月です。
地元の方によれば、当時、
小学生だった西田精さんは「兄(千太郎)の使いで八雲の家へ出かけたことがある」
という情報がありました。

弟の西田精は明治11年生。千太郎は文久2年だから16歳違い。小学生の精は兄の使いで八雲の家へ出かけたことがあるそうです。
松江時代、八雲と西田千太郎と公私共に意気投合し、お互いの家をたびたび行き来する仲となっています。
西田家に幼い弟(西田精)も同居していたとすれば、小泉八雲と何度も顔を合わせていた可能性があります。
松江中学時代の生徒だった?
実は、西田精さんの大学進学より前の学歴に関して情報がありません。
先ほどご紹介していたように、八雲が松江に来た年(明治23年)には西田精さんは小学生でした。
その後、おそらくは、以下のようなルートを辿っているはずです。
| 在学期間(推測) | |
| 旧制中学校 | 1891年〜1896年(明治24年〜明治29年) |
| 旧制高等学校 | 1896年〜1899年(明治29年〜明治32年) |
小泉八雲が松江中学で教師をしていたのは、明治23年9月〜明治24年11月(約1年2ヶ月)です。
そのため、西田精さんが「明治24年4月入学」だとすれば、
明治24年4月〜11月の間、小泉八雲と同じ中学にいた(約8ヶ月間)
ということになります。
「小泉八雲から英語を教わっていた」という公式情報はありませんが、可能性としてはかなり高いのではないでしょうか。
そのため、朝ドラ「ばけばけ」でも、錦織丈を「ヘブンの教え子」という設定にしたと考えられます。
東京帝国大学時代に交流?
小泉八雲は、明治29年から「東京帝国大学」の教師となっています。
実はこの3年後に、西田精さんも「東京帝国大学工科大学」へと進学しています。
重なっている時期がある
| 学部 | 東京帝国大学の在籍期間 | |
|---|---|---|
| 小泉八雲 | 文学部 | 明治29年〜明治36年 (教師として) |
| 西田精 | 工科大学(工学部) | 明治32年〜明治42年頃 (学生→助教授) |
※小泉八雲と西田精さんのキャンパスは、「本郷」と「霞ヶ関」で異なっていました。
キャンパスこそ違うものの、同じ東京の地で生活していた二人。
小泉八雲さんにとって心の友だった西田千太郎さんの弟でもありますし、何かと気にかけていたのではないでしょうか。
この数年の間に、交流や接点を持っていた可能性は十分にあると推測できます。
三男に「きよし」と名付ける
東京帝大時代、小泉八雲は生まれた子供に「清(きよし)」と名付けています。
東京に来た翌年に、セツさんとの間に「三男」が誕生。
漢字は異なるものの、西田千太郎さんの弟と同じ名前なのです。
読み方が同じ!
- 小泉清(こいずみ・きよし):小泉家の三男
- 西田精(にしだ・きよし):西田千太郎の弟
ただの偶然かもしれませんが、何かご縁のようなものを感じずにはいられません。
【ばけばけ】錦織の弟に関するQ&A
弟・錦織丈を演じるキャストは誰ですか?
栃木県出身で22歳の俳優、杉田雷麟(すぎた・らいる)さんです。
朝ドラ出演は2回目で、2020年の「エール」では、土浦航空隊の「風間寛大」という役で出演していました。
西田精さんは結婚して家族はいたのでしょうか?
昭和3年に勲章を受けた時の記録では、「フキ」という名前の妻がいたことがわかっています。
東京出身で、明治18年10月生まれ(精さんより8歳下)の女性とのことで、東京帝大時代に知り合った可能性が高いでしょう。
子供や孫などの情報は確認できていません。
弟・錦織丈は、東京編にも出演するのでしょうか?
現時点で情報はありませんが、東京で関わる人物の1人として登場する可能性はゼロではありません。
錦織の弟を「ヘブンの教え子」として登場させるからには、今後も何らかの形で付き合いが続いていくことが期待できます。
朝ドラ「ばけばけ」では、錦織丈がどのように物語に関わってくるのか楽しみですね!
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