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西田千太郎の子孫はいる?妻・息子・娘を家系図で解説【錦織友一モデル】

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教師の男性
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朝ドラ「ばけばけ」で吉沢亮さん演じる錦織友一。

この人物の実在モデルは、松江中学で教師を務めた「西田千太郎」さんです。

そんな西田千太郎さんには、家族がいたのでしょうか?

子孫がいるのかどうかも合わせて、西田家の家系図をご紹介させていただきます。

目次

西田千太郎の家族(妻・息子・娘)の家系図は?

家族のイラスト

西田千太郎さんは結婚しており、妻、子供4人(1女3男)がいました。

西田千太郎さんの家系図(妻・娘・息子)がこちらです。

無断転載禁止

詳しく見ていきましょう。

西田千太郎の妻:安食クラ

西田千太郎さんは、明治17年(1884年)に「安食クラ(あじき・くら)」という女性と結婚しています。

結婚した年齢は、千太郎さんが23歳、クラさんが18歳だったとされています。

そのため、夫よりも5歳年下の妻でした。

クラさんの出身地などの情報はありませんでしたが、「安食(あじき)」という苗字は出雲市あたりに多いようです。

当時の西田千太郎さんは、母校の松江中学で授業の手伝いをしており、教員免許を取る前でした。

小説「ヘルンとセツ」では、西田千太郎の妻・クラは、「穏やかで優しい女性」として登場しています。

西田千太郎の長女:西田キン

結婚した翌年の1885年に、長女・キンさんが生まれています。

父・千太郎さんは、この長女が生まれたタイミングで上京

1年ほどの勉強期間を経て、教員試験に挑み、1886年に合格しています。

残念ながら、娘の「西田キン」さんについては情報がほとんどありません。

女性ですので、成長された後はどこかに嫁がれた可能性が高いと思われます。

西田千太郎の長男:西田哲二

長女が生まれた3年後、1888年には長男・哲二さんが誕生。

西田家の長男ではありますが、名前には数字の「二」が入っています。

成長した哲二さんは、父の千太郎さんの母校「松江中学」を卒業。

その後、「東京帝国大学工学部」に進学し、父親譲りの秀才でした。

しかし、その後は、30歳で他界されています。

亡くなられた理由や結婚の有無、家族や子供がおられたのかは情報がありません。

父・千太郎の遺品などは、次男へと引き継がれています。

西田千太郎の次男:西田敬三

西田敬三さんの写真
出典:島根県ホームページ

長男が生まれた3年後、1891年に次男・敬三さんが誕生。

西田敬三さんについては、数々の要職を勤め、多くの情報が残っています。

敬三さんも、松江中学を卒業後、「東京大学農学部」に進学。

大学を卒業後は、「農商務省水産局」に就職。

水産講習所にて勤務されました。

1922年には、朝鮮総督府の水産試験場技手・場長として朝鮮に長く滞在。

1945年に敗戦して帰国した後は、「広島大学水畜産学部教授・学部長」となっています。

定年退職した後は、昭和55年(1980年)12月13日に89歳で永眠しています。

※息子さん(西田千太郎の孫)については後述します。

西田千太郎の三男:西田兵四郎

最後に紹介するのは、三男の兵四郎さんです。

西田兵四郎さんは、1894年に誕生。

兄たちと同様に「松江中学」を卒業しています。

残念ながら、その後の情報はなく、経歴や家族がいたかどうか不明となっています。

西田千太郎の子孫の現在は?兵庫県姫路市に在住!

家族のイメージ

西田千太郎さんの子孫としては、「ひ孫」の「西田敬一」さんがご健在と判明しています。

西田千太郎さんの孫以下の子孫として情報があるのは、

  • 西田志朗さん(次男・敬三さんの息子=孫)
  • 西田敬一さん(ひ孫)

の2人です。

西田千太郎の孫:西田志朗さん

次男・敬三さんの息子・西田志朗さんは、西田千太郎さんの孫にあたります。

無断転載禁止

※西田千太郎さんは一般人のため、情報がある家族のみ記載しています。

次男一家は、先ほどご紹介したように、朝鮮に赴任。

息子の志朗さんも、一緒に滞在していたようです。

日本に帰国する際には、保管していた西田千太郎さんの遺品(日記や写真など)などの貴重な資料を、父と共に大切に持って帰ってきたそうです。

それらの写真や日記が、西田千太郎と小泉八雲の関係などを紐解く貴重な資料となりました。

西田千太郎日記

西田千太郎さんが生前書き記していた日記は、「西田千太郎日記」として、島根郷土資料刊行会から昭和51年に刊行されました。

原本の日記には、次男・敬三氏による修正が入っている部分が発見されています。

セツさんらの遺族に配慮し、「ヘルン氏の妾」「愛妾」といった部分を「節子氏」「妻君」と書き換えていたのです。

西田千太郎さんの孫にあたる西田志朗さんは、晩年は「兵庫県」に在住

2025年6月に、93歳で他界されています。

西田千太郎のひ孫:西田敬一さん

西田千太郎さんのひ孫の代に、西田敬一さんという方がいます。

2025年7月の新聞記事に、「ひ孫」として紹介されています。

法人は八雲の生誕175年目にあたる6月27日に設立され、理事長には新雑賀町東町内会の今岡克己会長、役員には宮澤准教授、千太郎のひまごの西田敬一さん(兵庫県姫路市)らが就いた。

引用:読売新聞オンライン

新聞記事によれば、兵庫県姫路市に在住されています。

一般人のため、それ以上の詳しい情報はありませんが、おそらく先ほどご紹介した「西田志朗さんのご子息」と思われます。

※情報をお持ちの方は、コメント頂けますと幸いです。

松江には、西田千太郎さんの旧宅が残されています。

西田さんの多くの史料が残されているこの家は、1990年代には空き家となっていました。

2024年以降、ひ孫さんと地元自治会が借家契約を結び、修繕・保存することで合意。

その後は、島根大学の研究者らが旧宅にて史料の分析や整理を行っているようです。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • こんにちは。
    私の父の妹、私の叔母が西田の子孫にお嫁に行きました。つまり私のいとこが西田さんで、やはりお父様は東大卒で予備校経営をしていて長い事水戸に住んでおりました。よく水戸納豆や梅干しを送ってくれました。生前の父は西田は先祖が松江でラフカディオ・ハーンさんの世話をしていたとずっと話していました。父の御葬式で西田さんにお会いしました。お写真似ていると思いました。朝ドラで錦織さんの役を見ると私は血縁はありませんが、親戚のような親近感を感じます。現在私のいとこの西田さんは東京に住んでいます。

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