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ばけばけイライザの実在モデルは誰?ヘブンの恋人?同僚の女性記者の史実!

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ブロンドの女性
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小泉八雲・セツ夫婦をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。

ヘブンの同僚として「イライザ・ベルズランド」という女性が登場します。

「マッサン」「べっぴんさん」にも出演したシャーロット・ケイト・フォックスさんが演じていることでも話題ですね。

そんな「イライザ」には、実在モデルがいるのでしょうか?

そこで今回は、

  • 【ばけばけ】イライザ・ベルズランドの実在モデルは誰?
  • 【ばけばけ】イライザとヘブンはどんな関係?史実は恋人?

について詳しく解説していきます!

※本記事では、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。

目次

【ばけばけ】イライザ・ベルズランドの実在モデルは誰?

イライザ・ベルズランドのモデルは、小泉八雲と親交のあった「エリザベス・ビスランド」さんである可能性が高いです。

「エリザベス・ビスランド」さんは、小泉八雲さんの新聞社時代の同僚であり、日本行きのきっかけを与えてくれた人物です。

詳しく見ていきましょう!

イライザの役どころ

「ばけばけ」に登場するイライザ・ベルズランドは、このような役柄です。

アメリカで活躍する女性記者でヘブンの同僚。
聡明で、世界を飛び回る行動力を兼ね備えた“パーフェクトウーマン”。
ヘブンに日本行きを勧める。

引用:NHK公式サイト

イライザは、好奇心に溢れ、強くて知的な自立した女性です。

同僚のヘブンに「日本行きを勧める」というキーパーソンとして描かれています。

そしてヘブンが来日も、文通などで交流を続けていきます。

モデルはエリザベス・ビスランド

新聞記者

イライザのモデルは、「エリザベス・ビスランド」さんである可能性が高いです。

エリザベスさんは、アメリカ時代、小泉八雲さんが勤めていた新聞社の元同僚でした。

小泉八雲さんが亡くなった後は、伝記「ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡(The Life and Letters of Lafcadio Hearn)」を執筆。

書籍から得た収入を全て日本の遺族に送り、小泉セツさんらを支えた人物として知られています。

プロフィール

名前エリザベス・ビスランド
英語名Elizabeth Bisland
生年月日1861年2月11日
没年月日1929年1月6日(67歳没)
出身地アメリカ・ルイジアナ州
職業作家・ジャーナリスト・編集者
配偶者チャールズ・B・ウェットモア

エリザベスさんは、幼い頃から、本を読んだり、詩を書くのが好きな文学少女でした。

10代の頃から、「タイムズ・デモクラット社」の新聞に詩を投稿。

そして、その新聞に載っていた小泉八雲さんの記事に感銘を受け、入社を決意します。

1882年、21歳の時に小泉八雲さんが文芸部長を勤めていた「タイムズ・デモクラット社」へ。

ジャーナリスト、作家、編集者としてのキャリアをスタートします。

世界一周にチャレンジした女性記者

船に乗っている女性

エリザベスさんの最も有名なエピソードは、「世界一周競争」という企画へのチャレンジです。

1889年11月、ニューヨーク・ワールド紙は、「80日間で世界一周できるか?」という企画を発表。

ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』を題材にしたものでした。

この企画に参加したのは、

  • ネリー・ブライ(ニューヨーク・ワールド社)
  • エリザベス・ビスランド(コスモポリタン誌)

の2人の女性記者。

出典:The NewYork Times

当時、エリザベスは八雲のいた「タイムズ・デモクラット」社から転職し、ニューヨークの「コスモポリタン雑誌」の編集者となっていました。

エリザベスは、当時の上司に「今夜、君も世界一周に旅立ってくれ」と命令を受けます。

すると、「ご冗談でしょ」と一言返したものの、たった6時間で準備を済ませて世界一周へ出発したのです。

ネリー・ブライが「東回り」で出発すると、エリザベスは「西回り」ルートで出発。

競争の結果は?

ネリー(東回り)約72日間で達成
エリザベス(西回り)約76日間で達成

ネリー・ブライには負けてしまったものの、なんと約76日間で世界一周を成し遂げたのです。

エリザベスさんが、勇敢で行動力がある女性だということが分かるエピソードですよね。

ばけばけの「イライザ」が「世界を飛び回る行動力がある」と設定されているのも、このエピソードをモデルにしているものと思われます。

エリザベスさんは、この旅行記を雑誌に掲載。

その後、1891年には「In Seven Stages: A Flying Trip Around The World」という単行本にもなっています。

この2人の女性記者の世界一周の競争の旅は、日本語での書籍化もされています。


横浜に滞在した経験

対談する男女

エリザベスさんは、世界一周の途中で、日本にも立ち寄りました。

たった24時間の滞在でしたが、横浜の「グランドホテル」に滞在したのです。

ここで、元軍人のミッチェル・マクドナルドと知り合いになったエリザベスさん。

アメリカに帰った後、小泉八雲に日本での出来事を伝え、マクドナルドのことを紹介したことが来日のきっかけとなります。

つまり、エリザベスさんが日本の実体験を語り、さらに知り合いを作ったことが、小泉八雲さんの日本行きを決定づけたと言えるでしょう。

その後のエリザベスさんは、日本にいる小泉八雲さんと大量の手紙のやり取りを行いました。

そして、小泉八雲さんに感化されたのか、何度も来日するほど「親日家」となります。

自宅には日本風の部屋を作り、茶の湯なども楽しんでいたそうです。

遺族のサポート

本を執筆する女性

1904年、エリザベスさんは小泉八雲さんの訃報を知ると、すぐに妻・セツさんに追悼の手紙を送っています。

その2年後には、小泉八雲についての初めての伝記・書簡集である「ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡集」(ホートン・ミフリン社)を刊行。

小泉セツさんによる「思ひ出の記」も英訳して盛り込まれました。

この本の印税は、全て小泉家へと送り、セツたち遺族の暮らしを支えたのです。

また、八雲の長男・一雄の渡米(留学)の支援をすることも申し出ています。

生前の小泉八雲さんが長男・一雄さんの教育のために一緒に渡米を考えており、その相談を受けていたからでした。

その後もエリザベスさんは、来日時には必ず小泉家を訪ね、家族ぐるみの親交が続いたそうです。

エリザベスさんは、1929年に肺炎のため67歳で亡くなられています

奇しくも、世界一周で競い合った女性記者・ネリーブライと同じ墓地に葬られたそうです。

美人でも有名だった

ずば抜けた行動力を持ち、ジャーナリストとしても優秀だったエリザベスさん。

実は、誰もが羨むほどの美貌の持ち主でもあったそうです。

実際にお写真を拝見してみましょう。

エリザベス・ビスランドさん

確かに、芸能界にいてもおかしくないような美人ですよね。

小説「ヘルンとセツ」では、エリザベスさんの美貌について「妖精のよう」と語られています。

気配に気づいて振り向いた彼女を見た瞬間の衝撃をどう表現すればいいだろう。
色白の肌と大きな黒い瞳は、いつか読んだ詩に出てきた妖精のようだった。

引用:「ヘルンとセツ」田渕久美子

小説なので想像の部分もありますが、「見た目の良さ」が強調されていますよね。

【ばけばけ】イライザとヘブンはどんな関係?史実は恋人?

カップル

小泉八雲がエリザベスに恋愛感情を持っていた可能性は高いですが、恋人に発展することはありませんでした。

史実とドラマの今後の展開を詳しく見ていきましょう。

お互いに恋心はあった?

二人の関係がどのようなものであったかは、本人たちの著書などでは語られていません。

イライザのモデルであるエリザベス・ビスランドさんは、10歳ほど年上の小泉八雲さんを尊敬していました。

一方、小泉八雲さんはあまり人付き合いをしないタイプでしたが、来日後も、海を超えてエリザベスさんと文通を続けていました。

そのため、「二人は特別に親しい関係性」だったことは間違いないでしょう。

気になる男女の関係性については、小泉八雲さんの長男・一雄さんが著書「父小泉八雲」でこのように語っています。

エリザベス・ビスランド女史との親交は、あるいは一種の恋愛ともいえるかもしれぬ。
しかし、それは白熱の恋ではない。
沢辺の蛍のごとき清冽な恋である。

引用:「父小泉八雲」(1954年 / 小山書店)

つまり、燃え上がるような恋愛ではなかったものの、「密かに想い合っていた(もしくは片思い)」という可能性を伝えています。

長谷川洋二さんの書籍「八雲の妻・小泉セツの生涯」では、エリザベスさんは小泉八雲さんの「永遠の恋人」と表現されています。

ビスランドこそ、ハーンにとって文学を語る友であり、「永遠の恋人」であり、最晩年の心配事の聞き手であった

引用:「八雲の妻・小泉セツの生涯」長谷川洋二

また、同書籍によれば、エリザベスさんが彼の伝記を発刊するにあたり、「ハーン氏に対して長い間抱いていた愛情の記念とする」と述べたそうです。


小説「ヘルンとセツ」では、「小泉八雲がエリザベスに恋心を抱いていた」という解釈で物語が進められています。

ハーンはエリザベスの帰りを待った。
今度こそ絶対に告白するつもりだった。絶対にだ。心は揺らがなかった。

引用:「ヘルンとセツ」田渕久美子

小説では、エリザベス側の心境は語られていません。

しかし、ここまでご紹介してきたように、一時期まではほぼ両思いだった可能性が高いと考察しています。

それぞれ別の人と結婚

ご存知のように、実際に二人が結ばれることはありませんでした。

奇しくも二人は、同じ年(1891年)に別の人と結婚しています。

小泉八雲は、41歳で日本人の小泉セツと結婚。

エリザベス・ビスランドは、30歳でイギリス人の法律家と結婚しました。

小説「ヘルンとセツ」では、日本に来てからの八雲の心の変化についてこのように描かれています。

エリザベスの顔が浮かんだ。愛する女性。まだ想いを告げていない人。
しかし、手紙の返事を待っていたつもりが、いつからか、彼女を思い出さない日も増えていた。

引用:「ヘルンとセツ」田渕久美子

つまり、憧れていた日本での暮らしが始まり、セツという女性との出会いがあったことで、自然と気持ちが薄れていったようです。

そして、恋愛感情を友情へと変化させていったことが伺えます。

ドラマではイライザの気持ちも描かれる

一方、ドラマ「ばけばけ」では、エリザベスをモデルにした「イライザ」側の心情も描かれることが判明しています。

ドラマ内では、「密かに二人は思い合っている」という設定のようです。

すでに公開されているあらすじでは、「イライザの失恋シーン」が描かれます。

ばけばけの第13週で、ヘブンを訪ねて来日したイライザ。

当時、女中であったトキと家主のヘブンの間にある「特別な関係性」を察してしまいます。

イライザは、ヘブンの気持ちを試すようなカマをかけますが、結局「自分から身を退く」という流れになっていくようです。

トキに嫉妬する形ではなく、ヘブンの幸せを願う、爽やかな大人の失恋として描かれるのではないでしょうか。

【年表】エリザベス・ビスランドさんの生涯まとめ

エリザベス・ビスランド

最後に、イライザのモデルとされる「エリザベス・ビスランド」さんの簡単な年表をご紹介します。

年代年齢出来事
1861年0歳2月11日、アメリカ・ルイジアナ州セントメアリー群に生まれる
1973年12歳ごろ家庭の事情により、ミシシッピ州ナチェズに移住
1976年15歳ごろペンネーム「B. L. R. Dane」で詩作などをニューオーリンズの新聞へ投稿
1882年21歳タイムズ・デモクラット社に入社。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と同僚になる
1887年26歳ニューヨークに移住し、雑誌「コスモポリタン」の文学編集者となる
1889年28歳ネリー・ブライとの「世界一周競争」に参加、日本に滞在
1891年30歳世界一周の旅行記「n Seven Stages: A Flying Trip Around the World」を出版
法律家のチャールズ・W・ウェットモアと結婚
1906年45歳小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の伝記 『The Life and Letters of Lafcadio Hearn』 を刊行
1911年50歳夫と共に来日
1915年54歳夫と共に来日
1919年58歳夫チャールズ・B・ウェットモア逝去
1921年60歳来日
1929年67歳1月6日、肺炎によりバージニア州シャーロッツビル近郊で他界
1930年最後の著作 『Three Wise Men of the East』 が遺稿として没後出版される

ばけばけの実在モデルのまとめ記事はこちらからどうぞ。

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