作家・宇野千代さんをモデルにした朝ドラ「ブラッサム」。
第3週では、珠が勤める小学校に、工藤阿須加さん演じる「島村辰彦」という男性教師が赴任してきます。
珠と島村は良い雰囲気となっていきますが、この後どうなるのでしょうか?
実は、この島村の実在モデルとされるのが、
玉田精磨(たまだ・せいま)さん
です。
(※宇野千代の自伝では「佐伯正夫」という名前で登場)
そこで今回は、
- ブラッサム島村と珠はどうなる?結婚する?
- ブラッサム島村のモデルは史実ではその後どうなった?再会はある?
について詳しく解説していきます!
※この記事は朝ドラ「ブラッサム」の今後の展開を含んでおりますのでご注意ください。
ブラッサム島村と珠はどうなる?結婚する?
結論からお伝えすると、
島村と珠は恋愛関係になるものの、結婚には至らず、島村にフラれてしまう
という展開になります。
珠と島村の仲が噂になってしまったことで、珠は学校にいられなくなります。
島村も保身のために珠を避ける形で関係が終わる結末です。
二人が惹かれ合ってから、別れるまでのあらすじをざっくりと見ていきましょう!
広島からやってきた島村辰彦
「岩国第三尋常小学校」の代用教員として働く17歳の珠。
夏休み明けに化粧をして登校すると、教頭から嫌味を言われてしまいます。
そこへ現れたのが、広島の高等師範学校を出て広島で3年ほど教え、この夏に山口へ戻ってきたという教師・島村辰彦でした。
島村は、教頭に責められる珠をさりげなくかばってくれます。
さらに、勉強が苦手だった生徒の成長を喜ぶ珠に、「自分も昔は劣等生だったからその子の気持ちがよく分かる。葉野先生のような先生がいたら救われる」と話しました。
自分の仕事を認めてくれた島村に、珠は少しずつ心惹かれていきます。
そんなある日、熱を出して学校を休んだ島村が、一人暮らしで困っているのではないかと心配になり、珠は自宅を訪ねました。
部屋を片づけて雑炊を作り、「ただ会いたかった」と珠が本音を打ち明けると、島村も「僕もです」と応え、二人の距離は一気に縮まっていきます。
恋仲の噂が広まってしまう
ある休日、珠は調理道具を持って島村の家を訪ね、食事のあとに話し込むうちに引き止められて、とうとう一夜を明かすことに。
翌朝、島村の家から出てくる珠の姿を、近所の農婦がじっと見ていました。
数週間後には「若い女教師が島村の家に通っている」という噂が広がり、島村は珠と目を合わせようともしなくなります。
珠は校長室に呼び出されて「謹慎」を言い渡され、学校からの連絡を待ちわびたまま、ひと月後の二学期の終業式を迎えました。
学校へ行ってみると、珠のクラスではすでに別の教師が教えており、珠は自分がクビになっていたことを知ります。
その一方で、島村は、何事もなかったように担任を続けていました。
職を失い、島村にも拒まれる
クビになった珠は、「もう一度だけ会って話がしたい」と島村に手紙を書きます。
しかし、返事には、「この手紙が二人の最後だ」と絶縁の言葉が書かれていました。
珠はたまらず会いに行きますが、島村は珠を拒み、持ち込まれていた調理道具を押しつけて「帰れ!」と叫びます。
珠が地面に転がり落ちたものを拾った中には包丁もあり、島村を怖がらせてしまう結果に。
こうして珠の初恋は悲しい形で幕を閉じ、同時に仕事も失ってしまったのでした。
第3週以降の詳しいあらすじはこちらの記事をどうぞ。
ブラッサム島村のモデルは史実ではその後どうなった?再会はある?
結論からお伝えすると、
島村の実在モデルの玉田精磨さんは、別の小学校へ転任し、その後は結婚して別の家庭を持った
ということが分かっています。
そして、約6年後に千代さんが帰郷した際に、玉田さんが赤ん坊を抱いた姿を見かけたそうです。
モデルとなった二人の恋は、実際にはどのようなものだったのか、ドラマと比べながら見ていきましょう。
島村のモデルは玉田精磨(自伝では佐伯正夫)
宇野千代さんが「川下尋常高等小学校」に勤めて2年目となる大正4年(1915年)春。
学校に一人の新任教員が訓導(正規の教員)が採用されており、その人物こそが、島村辰彦のモデルと考えられます。
千代さんの自伝「生きて行く私」では「佐伯正夫」という名前で登場し、色が白く、金縁メガネ、髭の剃り痕が青々とした優男だったと書かれています。
千代さんは、教員室で校長から紹介されたその瞬間に心を奪われてしまったそうなので、まさに一目惚れだったのですね。
千代さんが「劣等生組」を受け持っていたのに対し、佐伯正夫さんは同じ学年の「優等生組」の担任となり、同学年を受け持つ同士で関わりが多かったようです。
ただ、この「佐伯正夫」は本名ではなく、千代さんの作品では、同じ相手が次のように作品ごとに違う名前で書かれています。
- 篠田
- 三浦
- 玉田
- 田村
- 佐伯
そのため、長い間、実名ははっきりしていませんでした。
それを明らかにしたのが歴史学者の刑部芳則さんで、評伝「宇野千代 昭和モダニズムの伝道者」の執筆にあたって岩国で取材を重ね、この教員が
「玉田精磨(たまだ・せいま)」
という人物だと突き止めています。
玉田さんの甥にあたる方も、「宇野千代さんの第一発の初恋が私の叔父だった」と語っており、破局の理由を「千代さんの方が積極的すぎた」とも推測しています。
情熱的な初恋
玉田さんの甥が語るように、18歳の千代さんの恋は、とにかく積極的なものでした。
当時の千代さんは学校の近くで一人暮らしをしており、自伝によると、玉田さんの家はそこから110メートルも離れていない竹藪のそばにあったといいます。
そこで千代さんは、煮物を作っては玉田さんの家へ届けるなど、せっせと通うようになりました。
さらに、授業中に書いた恋文を教え子に持たせ、隣のクラスにいる玉田さんのもとへ届けさせたことも。
使者に選ばれたのはクラスの級長で、のちに岩国市議会議長を務めたこの教え子は、後年のクラス会で、自分は先生の恋文を運ぶ「郵便屋」だったと思い出を語っています。
一方の玉田さんは、口数の少ない人で、千代さんのことを「好きだ」と言ったことは一度もなく、かといって「来るな」とも言わなかったそうです。
そんな反応の薄い相手の気を引くためなのか、恋をしてからの千代さんは装いも変わり、一反4円80銭もする銘仙を買って着物に仕立てるように。
裏地をつければ月給の8円はそれだけでなくなってしまうため、それまで母に渡していた月給は、化粧と着物の代金に消えていったと言います。
月給8円の現在の価値についてはこちらの記事で解説しています。
雨の夜をきっかけに村中の噂に
二人の関係が周囲に知られるきっかけになったのは、ある雨の夜の出来事でした。
玉田さんの家で雨がやむのを待っていた千代さんは、「お泊まりんされ」と相手に促され、そのまま一夜を共にしたのでした。
翌朝、晴れ渡った田舎道を急いで帰っていると、村人の一人から、「宇野先生はずいぶんお早いですね」と愛想よく声をかけられたと言います。
これをきっかけに、二人のことは村中で知らない人がいないほどの噂になってしまいます。
ドラマで描かれる「近所の人に見られてしまう」という場面は、この自伝の記述がもとになっているのでしょう。
なお、噂が広まってからも、二人のあいだで「結婚」の話が出たことは一度もなかったそうです。
二人とも同じ日に学校を去る
やがて千代さんは校長室に呼ばれ、今学期かぎりで学校を辞めるよう告げられます。
このとき千代さんは、罰を受けたのは自分ひとりで、相手には何のお咎めもなかったのだと受け取りました。
相手を恨むどころか、「大切な人が傷つかなかったことを喜んだ」と振り返っています。
学校を去る最後の日、千代さんは相手に「きれいな娘だ」と思ってもらいたい一心で、一張羅の着物を着て念入りに着飾って登校しました。
しかし、千代さんの派手な姿を見た校長は、別室で待つよう命じ、相手にも生徒にも会うことが許されませんでした。
生徒たちには「宇野先生は東京の学校へ進学する」という表向きの理由が伝えられるのを、涙を流しながら聞いていたそうです。
最後に玉田さんに会えなかった千代さんですが、刑部さんの調査では、
玉田さんも、千代さんと同じ日付で、坂上村の小学校へ転任させられていた
ことが分かっています。
つまり、ドラマでは珠だけがクビになりますが、史実では二人とも同じ日に学校を去っていたようです。
絶縁の手紙が届く
学校を辞めた千代さんは、自分が遠くへ行けば相手が噂から解放できると考え、女学校時代の恩師を頼って朝鮮半島の京城(現在のソウル)へ渡りました。
それでも思いを断ち切ることはできず、毎晩のように長い手紙を書き送っていたようです。
日本を出発して約3ヶ月後、相手から一通の手紙が届きます。
そこには「私も罰をうけたのです」という言葉とともに、
- 自分も山奥の学校へ転任になったこと
- 同じことがもう一度起きれば自分は破滅すること
などが書かれていました。
最後に「これからは葉書一枚もよこさないでほしい」と結ばれ、絶縁状ともいえる手紙でした。
千代さんはこの手紙を読んで初めて、相手も処分を受けていた事実を知ります。
(※自伝では、転任の時期が「7月」で、「広田村に」と書かれていますが、学校の記録では千代さんと同じ3月31日付で「坂上村」への転任となっています)
急いで帰国、最後の対面
もう一度会って話せば復縁できると考えた千代さんは、「母が病気になった」と嘘をついて帰国。
下関で汽車を待つあいだに立ち寄った金物店で、母への土産にと小さな出刃包丁を買い、それを帯の間に挟んで店を出ました。
岩国駅に着いても実家へは向かわず、そのまま相手のいる山奥の村へ歩きはじめます。
その距離は約20キロ、歩いて4時間半ほどかかる道のりで、真夏に汗を流しながら歩き続け、着いたときには日が暮れかけていました。
しかし、突然現れた千代さんに対する相手の反応は、とても冷たいものでした。
「ここまで来たことが知られたら自分はどうなると思っているのか」「早く帰れ」と言って千代さんを力いっぱい突き飛ばしたと言います。
その弾みで帯に挟んでいた包丁が草むらに落ちると、相手は「刃物で脅すつもりか」と叫んで包丁を竹藪へ投げ捨て、部屋へ駆け上がって雨戸をぴしゃりと閉めてしまいました。
母への土産だと言っても信じてはもらえないだろうと思うと同時に、千代さん自身も、ひょっとしたら脅すつもりで持ってきたのではないか、と自らの行動に背筋が寒くなったと振り返っています。
残された千代さんは泣くこともなく、閉められた雨戸を叩くことはありませんでした。
こうして千代さんの燃え上がるような恋愛は終わりを迎えますが、ドラマで島村に拒絶された際、珠の手に包丁が握られるシーンも、この実話がもとになっていると考えられます。
約6年後の再会
では、その後二人が再会することはあったのでしょうか?
実は、宇野千代さんは一度だけ、相手の姿を見かけています。
それは1922年(大正11年)、2人目の夫・藤村忠さんと結婚し、作家としてデビューした千代さん(当時25歳)が、久しぶりに岩国へ帰ったときのことでした。
弟や妹たちと川下村の祖母の家を訪ねた帰り道、昔住んでいた家の近くを通りかかると、妹が立ち止まって、「あの先生は呉服屋に養子に入った」のだと教えてくれます。
何気なく通り過ぎようとしたとき、生け垣の中から声が聞こえ、そちらを見ると、赤ん坊を抱いておしっこをさせている男性の姿がありました。
頬には髭が伸びたままでしたが、まぎれもなく、あの日雨戸を閉めた相手だったそうです。
つまり玉田さんは、
結婚して呉服屋の養子となり、子どもも生まれていた
ということになります。
教員を続けていたかどうか不明ですが、髭を伸ばしている風貌からも、婿入り先の家業に転職したのかもしれません。
この時、二人が言葉を交わしたという記述はなく、千代さんが一方的に見かけただけの「再会」でした。
興味深いのは、このときの千代さんの気持ちです。
学校を辞めさせられ、朝鮮まで逃げ、はるばる追いかけて拒絶された時の激しい思いは、もうどこにも残っておらず、「忘れてしまったことさえ忘れていた」といいます。
千代さんは自伝の中で、自分は昔を思い出すよりも、いま目の前にあることに心が向いてしまうのだろうと振り返っています。
生涯にわたって恋と別れを繰り返しながら、いつも前を向いて生きた宇野千代さんらしいエピソードです。
ドラマと史実の違い
最後に、ドラマと史実の違いを整理しておきます。
| ドラマ | 史実 | |
|---|---|---|
| 相手 | 島村辰彦 | 玉田精磨 (自伝では佐伯正夫) |
| 相手の経歴 | 師範学校卒業後、3年働いてから転任してくる | 師範学校卒業直後の新任 |
| 出会った場所 | 岩国第三尋常小学校 | 川下尋常高等小学校 |
| 出会った年齢 | 17歳 | 18歳 |
| 出会いの時期 | 就職1年目の2学期 | 就職2年目の1学期 |
| 処分 | 珠だけがクビ 島村は残留 | 千代は退職 相手も同じ日に転任 (自伝では相手が数ヶ月後に転任) |
| 別れまで | クビの後、絶縁の手紙を受けてすぐに会いに行く | 退職して朝鮮に渡った3ヶ月後、絶縁の手紙を受けて会いに行く |
| 包丁 | 持ち込んでいた調理道具 | 下関で買った母への土産 |
| 相手のその後 | 再会は描かれない予定 | 相手は呉服屋の養子に →約6年後に千代が見かける |
このように比較してみると、細かい設定や時期がドラマと史実では少し異なっていることが分かります。
特に、退職して朝鮮に出奔するエピソードは、撮影の都合などで省略されたのでしょう。
数年後の再会については、ドラマでも第8週頃に小説家となった珠が岩国に帰るシーンが描かれますが、現時点で公開されているあらすじでは、「島村を見かける」という場面は出てきていません。
そのため、工藤阿須加さん演じる島村辰彦の出番は、第3週で終わってしまう可能性が高いでしょう。
ブラッサム島村辰彦のモデルや設定に関するQ&A

ブラッサムの島村辰彦は何歳?珠との年齢差は?
ドラマの中で島村の年齢ははっきり語られていませんが、24〜25歳前後と考えられます。
島村は「広島の高等師範学校を出た後、広島で3年ほど教えていた」と話しており、当時の高等師範学校は21歳前後で卒業するのが一般的だったためです。
珠は17歳なので、二人の年齢差は7〜8歳ほどということになります。
ブラッサムの島村辰彦役のキャストは誰?
島村辰彦を演じているのは、俳優の工藤阿須加さんです。
1991年8月1日生まれの35歳(2026年10月時点)で、朝ドラへの出演は「あさが来た」「なつぞら」に続いて3作目となります。
父親は元プロ野球選手の工藤公康さんで、5人兄妹の第一子です。
ブラッサムの島村辰彦と珠は結婚する?
島村と珠は結婚しません。
二人の仲がうわさになって珠だけが学校をクビになり、会いに行った珠を島村が拒んだことで、珠の初恋は第3週で終わりを迎えます。
ブラッサムの島村辰彦の実在モデルは誰?当時何歳だった?
島村のモデルは、宇野千代さんが代用教員時代に恋をした、同僚教師の玉田精磨さんとされています。
自伝「生きて行く私」には「佐伯正夫」という仮名で登場します。
生年は分かっていませんが、師範学校を出た新任の訓導だったことから、出会った1915年当時は20歳前後だったとみられ、千代さんは18歳でした。
宇野千代が島村のモデルに渡した恋文の内容は?
自伝「生きて行く私」に書かれているのは、今夜お宅へ「好いもの」を持って伺いますという内容の手紙です。
千代さんは授業中にこれを書き、教え子に隣のクラスの相手へ届けさせました。
「好いもの」とは、小ぎれを縫い合わせて作った手作りの座布団のことで、少しでも早く知らせたくて夜まで待てなかったと振り返っています。
宇野千代の「初恋」と「初体験」の相手は、島村のモデルだった?
初恋については、それ以前にも密かに想いを寄せた相手はいたものの、自分から行動を起こした初めての恋の相手が、島村のモデルである玉田精磨さんだったと思われます。
一方、初体験の相手は玉田さんではありません。
自伝によると、玉田さんと出会う半年ほど前に、千代さんに言い寄ってきた村長の息子と自宅で関係を持ったのが最初だったといいます。
島村のモデルはその後どうなった?宇野千代と再会した?
玉田さんは千代さんの退職と同じ1916年3月31日付で別の小学校へ転任となり、のちに呉服屋の養子となって子どもにも恵まれたようです。
千代さんは別れから約6年後の1922年、岩国に帰ったときに赤ん坊を抱いた姿を一度だけ見かけていますが、言葉は交わしていません。
ブラッサムの島村辰彦の再登場はある?
公開されているあらすじを見る限り、島村の再登場はないと見込まれます。
珠はのちに小説家となって岩国へ帰郷しますが、そこで島村と顔を合わせる展開にはなっていません。
まとめ
今回は、「ブラッサム」の島村辰彦と珠の恋の行方と、モデルとなった玉田精磨さんの史実について解説しました。
記事のポイント
- 島村と珠は結婚せず、珠の初恋は第3週で終わる
- 島村のモデルは玉田精磨(自伝では佐伯正夫)
- 史実では、二人とも同じ日に学校を去っていた
- ドラマの包丁の場面は、自伝に書かれた実話が元になっている
- 玉田はその後、呉服屋の養子となり子どもにも恵まれた
- 約6年後、千代は赤ん坊を抱いた姿を一度だけ見かけている
恋多き作家としても知られる宇野千代さん。
好きな相手には「甲斐甲斐しく世話をする」一方で、「去るものを追わない」という恋愛スタイルは、この10代の失恋から学んだものなのかもしれません。
参考文献
- 刑部芳則「宇野千代 昭和モダニズムの伝道者」(NHK出版新書)
- 宇野千代「生きて行く私」(角川文庫)



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