2025年後期の朝ドラ「ばけばけ」。
第5週からは、松江に赴任してきたレフカダ・ヘブンを旅館の若い女中・ウメが世話をします。
外国人にも物おじせずに対応するウメですが、実在モデルはいるのでしょうか?
そこで今回は、
- 【ばけばけ】旅館の女中・ウメの実在モデルは誰?
- ウメのモデル・池田信(お信)と小泉セツの関係とは?
について詳しく解説していきます!
※本記事には、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】旅館の女中・ウメの役どころ
野内まるさん演じる、花田旅館の女中「ウメ」。
公式サイトでは、以下のように紹介されています。
花田旅館の女中
ウメ / 野内まる
花田旅館で、ヘブンの世話をすることになる女中。
引用:ばけばけ公式サイト
おっとりとしていて、マイペースな性格。
初めての外国人にも物おじせず接する。
ウメを演じる野内まるさんは、
- ぼけ〜っとして見えるが働き者
- 明るくて優しい子
とその人柄を解説されています。
ヘブンとウメの掛け合いが楽しみですね!
【ばけばけ】旅館の女中・ウメの実在モデルは誰?

「ばけばけ」の女中ウメのモデルは、冨田旅館で小泉八雲の世話係をしていた「お信(池田信)」です。
ヘブンのモデル・小泉八雲さんが松江にやってきた時、滞在したのが「冨田旅館(現:大橋館)」でした。
現在の大橋館
その旅館で、小泉八雲の世話係となったのは、当時15〜16歳の女中「お信(おのぶ)」だったのです。
一体どのような人物だったのか、八雲とのエピソードも交えて見ていきましょう。
両親を早くに亡くした苦労人
花田旅館のモデル・冨田旅館を当時切り盛りしていたのは、
- 冨田ツネ(若女将)
- 冨田太平(主人)
です。
「お信」は、冨田夫婦とは血縁関係はありませんが、7歳の頃に引き取られています。
「お信」は、本名「池田信」。
出雲国能義郡広瀬町(現:島根県安来市)の出身でした。
両親が早くに亡くなり、「祖母」「お信(7歳)」「弟」だけが残されてしまいます。
祖母は幼い孫2人を連れて、少しのゆかりを頼って冨田夫婦の元にやってきたそうです。
それからお信は、幼いながらも女中見習いとなり、旅館の手伝いをするようになったのでした。
女中のお信は、そのような悲しい背景を持つ苦労人だったのです。
八雲に可愛がられたお信
明治23年、松江の「冨田旅館(冨田屋)」に滞在することになった小泉八雲。
当時15〜16歳だった女中のお信は、八雲の身の回りの世話を担当していました。
八雲とは言葉が通じないながらも頑張り、とても可愛がられていたようです。
女将の冨田ツネの回顧録によると、お信は八雲とともに
- 盆踊りを見に行く
- 町のお店に行く
- 寺に参拝に行く
など、松江の町のアテンド(付き添い)のような役割も担っていたことがわかっています。
さらには、遊びの程度ではあるものの、お信に「英語を教える」などの一面もあったそうです。
「ばけばけ」のウメは、「異人に物おじしない」という性格ですが、実際のお信もそのような娘だったのかもしれません。
目の病気を持っていたお信
女中のお信は、「季節の変わり目に片目が痛くなる」という持病がありました。
目を痛がるお信を心配した小泉八雲。
旅館の女将らに「娘を病院に連れて行って欲しい」と頼んだようです。
八雲自身も16歳の時に片目を失明していたことから、お信にとても同情していたのです。
しかし、女将も主人も「はいはい」というだけで一向に連れて行く気がありません。
その態度に八雲は「珍しい不人情者、親の心ありません!」と激怒しました。
結局、小泉八雲が知り合いを通じて眼科に連れていき、お信の目は完治。
眼科医も八雲の熱意に感動し、「治療費はいらない」と申し出し、無償でお信の治療にあたりました。
このエピソードは、明治23年11月18日にも「山陰新聞」に美談として紹介されています。
この一件がきっかけで八雲は旅館への嫌悪感を募らせ、借家へ移り住むことになったのです。
小泉八雲の引っ越し先についてはこちらの記事で詳しく解説しています。

お信のその後
旅館から出た八雲でしたが、お信との交流は続いていました。
- 三度の食事を届ける
- 風呂の世話をする
などは、「お信」や一時雇いの「お万(散髪屋の娘)」が担当していたのです。
しかし、旅館からの派遣に対して、何かと苛立ちが絶えなかった八雲。
「午前3時にならないと寝付けない。心の平和のためにも、早く旅館との関係を切りたい」
という内容の手紙を友人に書いています。
その後、八雲は「住み込みの女中」を迎え入れることとなり、お信はお役御免となったのでした。
※その住み込みの女中が後の妻になる「小泉セツ」だった。
そんなお信のその後については、わずかながら情報が残っています。
15〜16歳だったお信は、その後、23歳で亡くなってしまったようです。
何か病気を患ったのか、詳しいことは不明です。
ウメのモデル・池田信(お信)と小泉セツの関係とは?

史実では、「住み込みの女中」として「小泉セツ」を推薦したのが「お信」だったとされています。
セツが女中になるまでの流れ
先ほどご紹介したように、小泉八雲は「住み込みの女中」を探すようになっていました。
さらには、「士族の娘が良い」という条件付きだったのです。
※武家の嗜み(華道、茶道など)や侍への憧れがあったものと思われます。
小泉八雲は、まずそのことを松江中学の同僚であり友人の西田千太郎へと依頼しました。
すると、西田千太郎は、冨田旅館の女将ツネに相談。
女将のツネは色々と探した末、お信の友人に「小泉セツさんという士族のお嬢さんがいる」ということが判明。
つまり、女中のお信の口から「小泉セツ」という名前が出たということです。
これは、女将・冨田ツネの晩年の回顧録にて記されていました。
セツとお信は知り合いだった
セツと八雲のキューピッドは、「お信」。
しかし、女将が話す「お信の友人のセツ」という説明には、否定する声も少なくありません。
なぜなら、セツさんはお信のことを「宿の小さい娘」と呼んでいたからです。
小泉セツさんが晩年に書き記した「思ひ出の記」では、八雲が旅館を出たエピソードをこのように振り返っています。
事情は他にもあったでしょうが、重なる原因は、宿の小さい娘が眼病を患っていましたのを気の毒に思うて、早く病院に入れて治療するようにと親に頼みましたが・・・
引用:小泉セツ「思ひ出の記」
また、セツさんとお信には、7〜8歳の年齢差もありました。
そのため、八雲やセツさんの研究をされている方達の間では、
セツはお信の生活圏内にいた顔見知り
というのが通説となっているようです。
(※一緒に織物工場で働いていたという説もあります)
朝ドラ「ばけばけ」では、松野トキが旅館にしじみ売りをしにくる様子が描かれます。
実際、そのような近所付き合いのようなものから「知り合い」へと発展した可能性が高いでしょう。
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