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小泉セツのしじみ売りの史実「シジミサン」呼び方は実話?【小泉八雲の妻】

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籠に入ったしじみ
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八雲の妻・小泉セツさんをモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。

第5週では、ヒロイン・松野トキが「しじみ売り」の行商で生活費を稼ぐようになっていました。

そのため、松江にやってきたヘルン(小泉八雲のモデル)からは「シジミサン」と呼ばれるように。

これは、小泉セツさんの史実に基づく実話なのでしょうか?

そこで今回は、

  • 小泉セツの「しじみ売り」「シジミさん」は本当?
  • ばけばけ」のトキにしじみ売りをさせた理由とは?

について詳しく解説していきます!

※本記事には、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。

目次

小泉セツは「しじみ売り」をしていた?職業の史実!

小泉セツさんが「しじみ売り」をしていた史実はなく、「機織り」や「服の修繕・仕立て」などで生計を立てていました。

小泉セツさんの職歴について、簡単にまとめると以下の通りです。

  • 11歳:小学校を中退。実父の工場の織子となる。
  • 18歳:実父の工場が閉鎖。内職で機織り。
  • 23歳:ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の住み込み女中になる。

小泉セツさんは、18歳で婿養子をもらいますが、その1年後に夫が出奔しています。

最初の夫・前田為二さんと離婚した後も、「機織り」を続けて家計を支えていたようです。

服の修繕や仕立ても?

小泉セツさんと小泉八雲さんの生涯を描いた小説「ヘルンとセツ」。

この中では、八雲さんと出会う直前の小泉セツさんの様子が描かれています。

小泉セツさんは、機織り以外にも「着物の修繕」「洋服の仕立て」などを行なっている設定となっていました。

そんな思いが天に通じたものか、セツには新しい仕事が舞い込むようになっていた。

古着屋から、着物ばかりでなく洋服の修繕を頼まれるようになったのである。  

セツは、男物の背広やズボン、ワイシャツまでほどいて洋服の作りを研究した。

自分で仕立てられるのではないかと考えたのである。

田渕 久美子. ヘルンとセツ (p. 84)

小泉八雲さんが松江で最初に滞在していた旅館は「冨田旅館(現:大橋館)」ですが、その旅館へセツさんが出入りしている様子も描かれています。

冨田旅館に頼まれていた縫物を届けた時は夜になっていた。

「賑やかですねえ」

セツは階段の上を見上げた。

二階からは楽しげな笑い声が聞こえてくる。

「実は異人の先生が来られたけんだわね」

女将のツネが言う。

田渕 久美子. ヘルンとセツ (p. 101)

この小説がどこまで史実に基づいているのかは不明です。

今後、この旅館の関係者とのご縁がきっかけで、八雲の家の女中の仕事がセツに舞い込みます。

つまり、旅館の関係者と小泉セツの面識を作るために「旅館の浴衣を仕立てている」という設定が必要だったというわけです。

「機織り」はその後、時代の流れとともに機械化されていきます。

一方で、「服のお直し」や「仕立て」は職人技の領域です。

機織りを長年続けたセツとしても、着物や洋服の仕立てのスキルを身につけるのは、自然な流れなのではないでしょうか。

しじみ売りの史実はない

ご紹介してきたように、小泉セツさんに関する書籍などをみても、「しじみ売りをしていた」という情報は見つかりません。

そのため、「ばけばけ」で松野トキが「しじみ売り」をするのは”オリジナルの展開”ということになります。

一方で、小泉セツさんは、後に「住み込み女中(妾)」となるほど困窮していた史実があります。

遊女ではありませんが、簡単に言えば「身売り」の考えに近いものです。

生家の小泉家の母・チエが物乞いになってしまったことも、セツさんの心に重くのしかかっていました。

そのため、「やれることならなんでもやった=しじみ売りもしていた」という可能性もゼロではありません。


小泉八雲の妻「シジミさん」呼び方は本当?

小泉セツと小泉八雲

小泉八雲がセツさんのことを「シジミさん」と呼んでいた史実はありません。

朝ドラ「ばけばけ」では、しじみ売りをしているトキのことを、ヘブンが「シジミさん」と呼びます。

しかし、先ほどからご紹介しているように、小泉セツさんが「しじみ売り」をしていた史実はありません。

そのため、トキを「シジミさん」と呼ぶのも、ドラマ上のオリジナルということになります。

実際には、どのような呼び方をしていたのでしょうか?

結婚前の呼び名は不明

小泉セツさんが小泉八雲の家の「女中」となったのは、1891年2月とされています。

その半年後に二人は結婚しています。

様々な書簡や資料を見ても、結婚前に小泉セツさんのことを八雲がどのように呼んでいたのかは情報はありませんでした。

おそらく、普通に名前で「セツ」や「セツコ」などと呼んでいた可能性が高いでしょう。

結婚後は「ママさん」

結婚後のことは、小泉セツさんの著書「思ひ出の記」にて判明しています。

二人はお互いに、「パパさん」「ママさん」と呼び合っていました。

よく散歩しながら申しました。

「ママさん私この寺にすわる、むずかしいでしょうか」

この寺に住みたいが何かよい方法はないだろうかと申すのです。

引用:小泉セツ「思ひ出の記」

私は急いで障子を明け放って、空気を入れなどして、

「パパさん、あなたランプに火が入っているのを知らないで、あぶないでしたね!」

と注意しますと

「ああ、私なんぼ馬鹿でしたねー」

と申しました。

引用:小泉セツ「思ひ出の記」

朝ドラ「ばけばけ」でも、第1話で「世界一のママさん」というセリフがありました。

ここは、小泉八雲とセツさんの史実に基づいているということですね!

おそらくですが、結婚して2年後、子供が産まれた後からお互いに「パパ」「ママ」と呼び合うようになったのではないでしょうか。


ばけばけ」のトキにしじみ売りをさせた理由とは?

ばけばけのトキ

八雲が滞在する旅館とのつながりを生まれさせるためと推測できます。

先ほどご紹介したように、小説版での小泉セツは、「旅館の浴衣を仕立てていた」という設定で、旅館とのつながりを作っていました。

一方で、「ばけばけ」でのトキは、しじみの行商先の1つとして旅館とのつながりを作っているように見えます。

ドラマでのトキは「しじみ汁が大好き」という設定で何度も強調されていますし、行商になるのも自然な流れなのかもしれません。

また、実際に、

小泉八雲は冨田旅館でしじみを食べた

という話が残っています。

小泉八雲はビールや日本酒などのお酒好きであったことからも、二日酔いに効く「しじみ汁」を好んで食べていた可能性もありますね。

ちなみに、小泉八雲が松江に滞在した日数は「443日」で「しじみ(443)」だったという面白い解釈も残っています。

朝ドラ「ばけばけ」では、

しじみは松江人の血液だ

というセリフもありました。

ここまで「シジミ推し」だったのも、八雲としじみの関係や「しじみ売りになる」までの伏線となっているのかもしれません。

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