小泉八雲夫婦をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。
八雲のモデル「レフカダ・ヘブン」は、花田旅館を出て借家に引っ越しをします。
さらに、その後は「武家屋敷」にも引っ越しをしました。
この2つの借家は松江のどこにあったのでしょうか?
そこで今回は、
- ばけばけの借家・引っ越し先はどこ?
- ばけばけの松江の借家(武家屋敷)の現在はどうなってる?
について詳しく解説していきます。
※朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】ヘブンの松江の借家・引っ越し先はどこ?
小泉八雲(ヘブンのモデル)の史実では、
- 末次本町の借家(2階建て)
- 北堀町の借家(庭付きの武家屋敷)
の2軒に住んでいた記録が残っています。
小泉八雲が松江に滞在したのは、1年3ヶ月ほどです。
松江に到着したばかりの頃は、冨田旅館(花田旅館のモデル)に数ヶ月滞在。
その後、松江内で2回転居した後に、熊本へと旅立っています。
簡単な流れは以下の通りです。
小泉八雲の松江での滞在地
| 時期 | 期間 | 場所 |
|---|---|---|
| 明治23年8月〜11月頃 | 約4ヶ月 | 冨田旅館(現:大橋館) |
| 明治23年12月〜明治24年5月頃 | 約6ヶ月 | 末次本町の家 |
| 明治24年6月〜11月頃 | 約5ヶ月 | 北堀町の家 |
どのような家に住んでいたのか、詳しく見ていきましょう!
①末次本町の借家
ヘブンのモデル・小泉八雲が最初に引っ越した先は、旅館からすぐ近くの借家でした。
具体的には、
- 末次本町
- 松江大橋の西側
- 宍道湖岸のそば
という情報が残っています。
松江の地図上で言えば、以下のエリアになります。
地図上に見える「大橋館」というのが、八雲が最初に滞在した旅館があった場所です。
この借家は二階建てで、宍道湖の眺望がとても美しい場所でした。
小泉八雲は、この家からの景色を大変気に入っていたそうです。
小泉セツさんが女中として働き始めたのも、この湖岸の家でした。
詳しい場所ですが、旅館「皆美館」の裏手付近だったという情報があります。
隣人付き合いを拒否
小泉セツさんの回顧録「思ひ出の記」では、末次本町の家の隣人とのやりとりが残されています。
小泉八雲が最初の旅館を出たのは、女中のお信の目の治療を受けさせない主人に怒ったからでした。
隣人がその主人の知り合いだとわかると、「あなたとは付き合わない」と拒否してしまったのです。
この材木町の宿屋を出ましてから末次に移りまして、私が参りまして間のないことでございました。
へルンの一国な気性で困ったことがございました。
隣家へ越してきた人が訪ねて参りました。
その人はヘルンが材木町の宿屋に居た頃やはりその宿にいた人で、隣り同士になった挨拶かたがた「キユルク抜き」を借りに見えたのでした。
挨拶がすんでから、ヘルンは「あなたは材木町の宿屋にいたと申しましたね」と言いますと、その人は「はい」と答えました。
へルンはまた「それではあの宿屋の主人のお友達ですか」と申しましたら、その人はまた何心なく「はい、友達です」と答えますと、へルンは「あの珍しい不人情者の友達、私は好みません、さようなら、さようなら」と申しまして奥に入ってしまいます。その人は何の事やら少しも分からず、困っていましたので、私が間に入って何とか言い訳いたしましたが、その時は随分困りました。
引用:小泉セツ「思ひ出の記」
女中として来たばかりのセツさんは、そんな八雲の言動に困惑していたようですね・・・。
旅館の女中・ウメのモデルについてはこちらの記事で解説しています。

②北堀町の借家
それから約半年後。
小泉八雲は今度は「北堀町」の借家へと引っ越しをしています。
引越しの理由
明治24年6月。
この頃、女中だった小泉セツさんは特別なパートナーとなっていました。
そのため、別の女中を雇うようになり、「ここでは不便が多い」「手狭になった」とのことで、北堀町にある武家屋敷に転居することに。
しかし、実際には違う事情もあったようです。
小説「ヘルンとセツ」では、「近所の人々からの軽蔑の目が辛くなった」という理由で転居したと描写されています。
二人が仲睦まじい様子を見て、「ラシャメン」という言葉を向けられることが多くなったようです。
家が手狭になったからというのが表向きの理由だったが、セツは一刻も早く、それまでハーンと暮らした湖畔の家から離れたかった。
引用:田渕久美子「へルンとセツ」
この頃になると大人ばかりでなく、近所の子どもまでが、セツに向かってラシャメンという言葉をかけるようになっていたからである。
町の喧騒から離れたこの武家屋敷で、小泉八雲とセツさんは心の平穏を手に入れたかったのでしょう。
根岸家の武家屋敷
2つ目の家の具体的な場所は、以下の地図の通りです。
北堀町のこの家は、部屋数10、畳数52畳という広さの旧武家屋敷。
松江城を囲むお濠が目の前にあり、門からは天守が見え、庭もありました。
もともとは、松江藩士「根岸家」の武家屋敷です。
「庭のある侍の屋敷に住みたい」という八雲の希望にピッタリの家だったんだとか。
八雲が松江にいた当時、家主の根岸干夫は郡長として転勤していたためこの家は空いており、庭のある侍の屋敷に住みたいと希望する八雲に貸すことになりました。
引用:小泉八雲旧居ホームページ
賃料は月3円(現在の価値で10万円弱)だったと記録されています。
トキの女中給金20円の価値についてはこちらの記事で解説しています。

蛇と蛙のモデルがいた庭
小泉八雲はこの屋敷の庭をとても気に入っており、庭下駄でよく散歩していたようです。
「ばけばけ」のナレーターとして登場する「蛇と蛙」。
この北堀町の屋敷の庭に住んでいた蛇と蛙がモデルになっています。
蛇が蛙を襲わないように、八雲は自分のご飯を蛇にあげていたという可愛らしいエピソードが残っています。
蓮池がありまして、そこへ蛇がよく出ました。
引用:小泉セツ「思ひ出の記」
「蛇はこちらに悪意がなければ決して悪いことはしない」と申しまして、自分の御膳の物を分けて「あの蛙とらぬため、これをご馳走します」などと言ってやりました。
小泉八雲は学校から帰ると和服に着替え、庭を散策しながら日頃の疲れを癒し、執筆にも専念していました。
そして、妻となったセツさんとの穏やかで幸せな暮らしが、この家で育まれていたのですね。
【ばけばけ】ヘブンの松江の借家の現在は?
現在は、2つ目の家が「小泉八雲旧居」として現存しています。
| 場所 | 現在 |
|---|---|
| 末次本町の家 | 残っていない(石碑のみ) |
| 北堀町の家 | 小泉八雲旧居として保存 |
1つ目の末次本町の住居跡には、「小泉八雲寄寓所址」の石碑のみが残されています。

そして、旧居として建物が残されているのは2つ目の家。
現在の外観がこちらです。
この門構えだけでも、立派な屋敷だということが伝わって来ますね!
先ほどご紹介したように、この屋敷は「根岸家」の所有物件であり、代々大切に保管されてきました。
その後、「国指定史跡」に。
現在は松江市が所有しており、有料で一般公開されています。
小泉八雲とセツさんが約5ヶ月間住んでいた家。
ざっくりと写真で見ていきましょう!
玄関
庭
小泉八雲旧居には、三方に庭があるという豪華な造りでした。
書斎
書斎からも庭を眺めることができ、特注の背が高いデスクが置かれていました。
「ばけばけ」のポスタービジュアルも、この旧居で撮影されています。
記念館が併設
こちらの旧宅のすぐ横には「小泉八雲記念館」が併設されています。
記念館には、小泉八雲の愛用品やオリジナルの直筆原稿などを展示。
島根にまつわる怪談などについても、深く知ることができるようになっています。
旧宅にお越しの際には、記念館とセットで拝観すると料金の割引も。
詳しくは、国指定史跡小泉八雲旧居ホームページをご覧ください。
※「ばけばけ」の放送の影響で混雑している可能性がありますので、ご注意ください。
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