2025年後半の朝ドラ「ばけばけ」に北川景子さんが出演しています。
北川景子さんが演じるのは、ヒロインの親戚『雨清水タエ(うしみず・たえ)』という人物。
息を呑むほどの美しさですが、実在モデルの『小泉チエ』さんもかなりの美人だったんだとか!
そこで今回は、
【ばけばけ】北川景子さん演じるタエの実在モデルとは?
について、どこよりも詳しく解説していきます。
※本記事は、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】雨清水タエとはどんな役?演じるのは北川景子
まずは、「ばけばけ」に登場する『雨清水タエ』という役柄について見ていきましょう。
トキの親戚 / 雨清水(うしみず) タエ
引用:NHK公式サイト
松江でも随一の名家に生まれ、大勢の女中たちに囲まれながら何不自由なく育った。
凛とした気品と厳しさを兼ね備える。
親戚であるトキにも、武士の娘としての品格を求め、礼儀作法やお茶など武家の娘としての教養を厳しく教えている。
気品と厳しさを兼ね備えた、名家出身の正真正銘のお姫様です。
演じる北川景子さんは、意外にも今回が朝ドラ初出演。
そんな北川景子さんから見た『タエ』は、
- 時代の移ろいについていくことができない
- 働いたりする生活能力がない
- 武家の誇りを持ち続けるか葛藤する
という役柄です。
時代に翻弄され、生き方を変えなければいけなかった当時の人々(没落士族)の象徴的な存在となるようです。
【ばけばけ】雨清水タエ(北川景子)の実在モデルとは?
タエの実在モデルは、小泉セツさんの実母であり、名家の一人娘だった『小泉チエ』さんです。
詳しく見ていきましょう。
小泉チエのプロフィール
- 名前:小泉チエ
- 旧姓:塩見チエ
- 生きた時代:1938年〜1912年
- 特技や趣味:三味線、茶道、華道、読書(草双紙)など
実家の家柄・家族
「ばけばけ」のタエのモデル・小泉チエさんは、松江随一の名家・塩見家の一人娘でした。
小泉チエさんの実父は、松江藩の「江戸家老」を勤めた塩見増右衛門。
遊び呆けていた松江藩の9代目藩主を諌めるために、切腹した人物として語り継がれています。
そんな塩見家の家族がこちらです。
| 続柄 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| チエの父 | 塩見増右衛門 | 六代目・家老 |
| チエの母 | 不明 | |
| チエの兄 | 塩見小兵衛 | 七代目・中老 |
| チエの兄 | 塩見源三郎 | |
| チエの兄 | 塩見銀之助 | |
| チエの兄 | 塩見鈴之助 |
男兄弟だらけだったことからも、一人娘のチエは特に可愛がられて育ったことが推測できます。
小泉チエさんは、嫁入り前、広大な武家屋敷で、30人以上の奉公人に仕えられて育った正真正銘の姫だったのです。
塩見家の屋敷跡
また、「ご家中一番のご器量」と褒められた美人でもありました。
「八雲の妻・小泉セツの生涯」によれば、「気品の高い容姿」「どことなく冷たい感じがする人」という印象も持たれていたようです。
その中でチエは「気品の高い容姿のお祖母様で・・・どことなく冷たい感じのする(人)で」、そのか細い声を嫌った一雄は失礼な態度をとって・・・
引用:八雲の妻・小泉セツの生涯(長谷川洋二)
小泉家の家柄・家族
そんな小泉チエさんは、14歳で小泉家に嫁入り。
結婚相手は、小泉湊さん(雨清水傳のモデル)です。
小泉家は、塩見家より格下ながらも、松江藩の「番頭」を務める由緒ある家でした。
チエさんはその後、6人の子供を出産しています。
そんな小泉家の家族がこちらです。
| 続柄 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 夫 | 小泉湊 | 八代目弥右衛門・番頭 |
| 長男 | 小泉氏太郎 | 失踪(駆け落ち) |
| 次男 | 小泉武松 | 早逝 |
| 三男 | 小泉藤三郎 | 後継 |
| 四男 | 小泉千代之助 | 岩見家の養子→復籍 |
| 長女 | スエ | 本多家の養女 |
| 次女 | セツ | 稲垣家の養女→復籍 |
このように、次女として生まれた「セツ」を、子のいない親戚の「稲垣家」に養女に出しています。
つまり、「ばけばけ」でのヒロイン・松野トキの本当の母親は、雨清水タエ(北川景子)なのです。

「稲垣セツ」が後に「小泉セツ」となったのは、婿養子をもらったときの離婚歴を消すために復籍させたことが理由だったようです。

小泉セツさんは、実母のチエさんが塩見家の血筋だったこと、祖父が名家老だったことを生涯誇りにしていました。
セツさんが育ての家族から「おじょ(お嬢)」と呼ばれていた理由も、この血筋が所以だったようです。

【ばけばけ】タエのモデル・小泉チエの生涯とは?姫から物乞いへ
北川景子さんが演じる雨清水タエのモデル・小泉チエさん。
姫育ちだった彼女ですが、夫に先立たれ、生活能力がないために「物乞い」に転落していきます。
小泉チエの年表
そんな悲劇のヒロイン・小泉チエさんの簡単な年表がこちらです。
小泉チエの生涯
- 0歳:塩見家の長女として誕生
- 12歳:婚礼予定の相手が切腹
- 14歳:小泉湊と結婚
- 14歳:江戸家老の実父が切腹
- 30歳:小泉セツを出産→稲垣家の養女へ
- 48歳:次男・武松が他界
- 〃歳:夫の会社が倒産・転居
- 49歳:夫が他界
- 〃歳:長男・氏太郎が駆け落ち
- 52歳:物乞いに転落
- 54歳:長女・スエが本多家の養女へ
- 60歳:姪孫のいる大阪に転居
- 74歳:大阪で生涯を終える
姫育ちの弊害

「姫育ちの奥方」には、どんなイメージがあるでしょうか?
姫となる身分の者は、
一度大事が起きた時には、命をも恐れずに潔く事に処することができるように
と厳しく教育されてきた人たちです。
つまり、「何が起きても冷静に対処できる、肝が据わっている」と言ったイメージですね。
一方で、日々の生活能力はなく、「自分の住んでいる住所すら答えられない」というくらいでした。
それは、小泉チエさんも同じでした。
武家の娘の嗜みとして芸事などには精通していても、炊事や家計のやりくりなどもってのほか。
身の回りのことは全くできなかったそうです。
夫の小泉湊が病気になった際には、お粥を炊くことすらできませんでした。
婚礼前の悲劇

姫として叩き込まれた「冷静さ」や「行動力」。
それは、小泉チエさんの12歳の頃のエピソードに現れています。
小泉湊さんと結婚する1年前のこと。
小泉チエさんは、一度、高位の侍の家に嫁入りしました。
盛大に執り行われた婚礼の夜、『ある事件』が起きます。
新郎が何時になっても寝室に姿を見せない上に、庭からただならぬ物音が聞こえてきたのです。
何かを察したチエさんは、護身用の懐剣を持ち、侍女を引き連れ、取り乱すことなく姑の部屋へ。
母上様。
夜中お騒がせして申し相済みませぬが、旦那様には未だに御床入りがなく、しかも、ただ今、お庭前似て、ただならぬ物音が致しました。
このように報告したそうです。
そして家中の者が駆けつけると、庭では、新郎が腹を切った上、首筋を切って息絶えている状態。
そばに倒れていた女は首をほとんど完全に切られていました。
実は、新郎は、その女性と身分違いの恋をしており、結婚が許されない間柄だったのです・・・。
12歳という若さでありながら、物事に動じず、見事に事に処したチエさん。
この一件で大きな賞賛を受けたと語り継がれています。
小泉家の没落

その後間もなく、小泉家に嫁入りした小泉セツさん。
子宝に恵まれ、夫・小泉湊は士族から会社の経営へ乗り出します。

しかし、夫の会社は最初は順調だったものの、数年で倒産へ。
この後、一家は家財道具を売り払い、2度も転居することになります。
さらに、夫の小泉湊は病気(リウマチ)で闘病しており、その1年後に、50歳で亡くなってしまうのでした。

大黒柱を失った小泉家の転落は止まりません。
長男の氏太郎は責任を投げ捨てて、町家の娘と駆け落ちして行方不明に・・・。

そして戸主となった三男の小泉藤三郎は、全く頼りにならない人物でした。
家計を支えることもできず、小泉家の墓をも売り払ってしまう始末。
かつては権威を誇っていた実家の塩見家にも、頼ることができませんでした。
なぜなら、同じように没落し、困窮していたからです。
物乞いへ

何もかも、後ろ盾を失った小泉チエさん。
自分でお金を稼ぐことも、親戚筋に頼ることもできず、ついには「物乞い」へと転落していきます。
チエさんは、武家の誇りを失ってしまったのでしょうか?
小説「へルンとセツ」では、物乞いの理由をこのように語っているシーンがあります。
「私は物乞いを恥ずかしいこととは思っておりません」
引用:小説「へルンとセツ」(田渕久美子)
セツはチエを見た。
「武家の誇りとは体面を守ることではありません。本物の誇りとは自分の中にあるものです」
「自分の中に・・・」
「子どもに食べさせるために、他に取り柄がないならば、親は物乞いをしてでもそれを得ようとするでしょう。借金があるなら己を顧みず、金を得ようとするでしょう」
つまり、武家の誇りは心の中に持ち続けていました。
しかし、物乞いまでしなければいけなくなった母の姿は、小泉セツさんにとってかなりの衝撃だったようです。
養父母を養うだけでなく、実母のためにも仕送りを始める事にします。
晩年は大阪へ

小泉チエさんは、結果的に養女に出した娘・小泉セツさんの仕送りにより生活を支えてもらう事になりました。
チエさんが59歳の頃。
離れて暮らす小泉セツさんに、何度も感謝の手紙を書いていることが残されています。
そして、晩年の小泉チエさんは、大阪へ転居しています。
その理由には、チエさんの兄・塩見小兵衛の娘の『錬(れん)』の存在がありました。
小泉セツさんにとって、錬は従姉(いとこ)にあたります。
セツさんと練さんは交流を持っており、錬の娘『光(てる)』とも仲良くしていました。

光さんは、大阪で弁護士をしている夫・片寄伴之助と暮らしていました。
そこで、小泉セツさんは、光さんを通じてチエさんの保護を依頼。
光さんは大叔母の世話を引き受け、小泉チエさんは60歳で転居する事になったのです。
転居後も、小泉セツさんからの生活費の仕送りは続けられました。
74歳で他界

大阪で晩年を過ごした小泉チエさん。
1912年1月に74歳で亡くなっています。
亡くなった詳しい理由は不明ですが、晩年は病気を患っていたことが判明しています。
44歳になっていた小泉セツさんは、実母が病気だと知ると、東京から大阪に出向いて自ら看病にあたりました。
そして、チエさんを看取った後は、稲垣家の菩提寺である「万寿寺」に、小泉湊さん・小泉チエさんの墓を建てたそうです。
(三男の藤三郎が売り払ってしまったため)
小泉セツさんの親への孝行は、最後まで忠実なものだったのですね。
【補足】当主・藤三郎のその後
さて、残された三男の藤三郎は、どうなったのでしょうか?
「八雲の妻・小泉セツの生涯」によれば、セツと八雲を頼って東京に出てきたものの、その後、45歳の時に空き家で亡くなっているのが発見されています。
小泉チエさんが亡くなった3年後のことでした。
小泉家の没落の歴史を辿っていくと、当時の人々の「生きづらさ」や「時代への対応のできなさ」がひしひしと伝わってきます。
ばけばけタエ(北川景子)のモデル・小泉チエに関するQ&A
小泉チエの顔画像は残っていますか?
晩年の小泉チエさんの写真は、小泉セツさんの関連本で見ることができます。
小泉チエの見た目は北川景子に似ていますか?
晩年の小泉チエさんは目元は伏せているため詳しく判別できませんが、すっと通った高い鼻が北川景子さんと似ているかもしれません。
小泉チエは14歳で嫁いだとのことですが、早すぎませんか?
当時は、年齢が若ければ若いほど良いという時代でした。
小泉チエの最初の縁談は12歳という若さだったことも驚きですね。
ばけばけの北川景子は、夫の傳(堤真一)に対してなぜ上から目線なのですか?
タエ(北川景子)の実家が、雨清水家よりもはるかに格上だったからです。
【参考図書はこちら】
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