朝ドラ「ばけばけ」の放送で注目されている小泉セツさんの人生。
”小泉八雲の妻”というイメージがありますが、実は2度目の結婚(再婚)でした。
小泉セツさんの最初の結婚相手は誰で、一体何があったのでしょうか?
そこで今回は、
- 小泉セツの再婚の史実!最初の夫は誰?
- 小泉セツと最初の夫との離婚理由はなぜ?
について詳しく解説していきます。
※本記事には、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
小泉セツの再婚の史実!最初の夫は誰?馴れ初めは?

小泉セツさんの最初の夫は、親同士が決めた相手で、元士族の「前田為二(まえだ・ためじ)」さんでした。
詳しく見ていきましょう。
前田家との縁談
小泉セツさんの最初の夫・前田為二さんは、鳥取県の因幡(現在の鳥取市)の出身。
つまり「鳥取藩」であり、小泉セツさんの家・稲垣家がある「松江藩」とは隣同士の関係性でした。
稲垣家と前田家の位置関係
そんな前田家との縁談が舞い込んだのは、小泉セツさんが18歳のときです。
詳しい経緯や馴れ初めについては、特に情報がありません。
簡単に言えば、親同士がまとめた縁談だったようです。
実は、相手の前田家も元士族であり、明治維新により同じように困窮していました。
次男の前田為二さんは、当時28歳。
稲垣家のセツさんと結婚させることで、
- 前田家:家計の支出が減る
- 稲垣家:働き手が増えて家計が助かる
このように、WinWinな縁談だったということですね。
前田為二の人柄
小泉セツさんの最初の夫・前田為二さんは、
- 物語が好き
- 近松門左衛門の浄瑠璃を愛読
といった一面がありました。
小泉セツも幼い頃から物語を聞くのが大好きだったため、二人はすぐに意気投合したのです。
二人は夜になると行燈を灯し、薄暗い中で色々な話をしていたんだとか。
セツさんも、為二さんに影響されて、
- 近松門左衛門の作品を読む
- 月琴(当時流行した楽器)を習い出す
など、趣味が豊かになったようです。
そして何より、セツさんにとって、為二さんは心強い存在になったことは間違いありません。
祖父も父もろくに働かず、家計が重くのしかかっていた小泉セツさんの心を軽くしてくれたはずです。
小泉セツと最初の夫との離婚理由はなぜ?何があった?

小泉セツさんの最初の夫・前田為二さんは、「家計を支えるプレッシャー」と「厳しい家風」に耐えきれずに行方をくらましました。
幸せそうに見えた結婚生活に、一体何があったのでしょうか?
時系列は以下の通りです。
| 時代 | 出来事 |
|---|---|
| 1886年(明治19年) | セツと為二が結婚(婿養子) |
| 1887年(明治20年) | 為二が出奔(行方不明) |
| 1890年(明治23年) | 法的離婚が成立、セツは小泉家に復籍 |
詳しく見ていきましょう。
①家計を支えるプレッシャー
結婚前の稲垣家は、ほとんど女だけで一家を支えている状態でした。
- 祖父・万右衛門→無職
- 父・金十郎→無職
- 母・トミ→縫い物
- 娘・セツ→織子
父・金十郎が作った借金があるにも関わらず、祖父も父自身も、何も働こうとしていなかったのです。
そんな状態は、前田為二が婿に入った後も変わることはありません。
むしろ、「稼ぎ手が増えた」と喜び、家族全員が自分を頼りに暮らそうとしているのがプレッシャーになっていたようです。
聟(むこ)の為二にしてみれば、養父の金十郎は家計のためといって何ら為すところがなく、家族全員が自分を頼りに暮らそうとしているように思われる。
引用:八雲の妻・小泉セツの生涯(長谷川洋二)
(中略)
稲垣家には、いわゆる士族の商法で失敗した負債があって、いつ払い終えるかさえ見通せなかった。
さらには、小泉セツさんが勤めていた小泉家の「機織り工場」が倒産。
心の拠り所であった「小泉家」も没落した上に、一定の収入が無くなったことも、為二の心労に追い討ちをかけたことが推測できます。
“このままでは、全てを背負わされてしまう・・・“
もはや「お先真っ暗」な状態の稲垣家に見切りをつけた(=逃げた)とも考えられるでしょう。
②厳しい家風に耐えきれず
武士をひきづっている祖父の勘右衛門の存在も、婿の為二を苦しめていました。
祖父の勘右衛門は、厳格さやプライドを捨てきれず、為二を家風に合わせようとしたのです。
小説「ヘルンとセツ」では、このように描かれています。
- 格の低い家の出身である為二の一挙手一投足に口を出し、叩き直そうとする様子
- 為二が好きな浄瑠璃を「武士らしくない」と否定する様子
さらにそこに、父・金十郎も加わります。
金十郎は、勘右衛門から厳しく躾けられきた鬱憤を晴らそうと、婿にネチネチと小言を言って責め立てたのです。
為二が働かない男たちに人格を否定され続け、我慢の限界に達したということが容易に想像できますよね。
1年足らずで逃げた為二
その後、前田為二は稲垣家を出て、行方不明となってしまいます。
やがて、為二が「大阪にいる」という情報を聞きつけ、小泉セツさんは旅費を工面して大阪へ向かいます。
“お願いです。一緒に帰りましょう”
小泉セツさんは彼に会い、何度も必死に頼みました。
しかし、冷たい言葉で断られてしまうのです。
結局、セツさんが説得しても、為二の気持ちは揺らぐことはありませんでした。
帰り道、橋の上に立った小泉セツさんは、このままいっそ川に身を投じてしまおうかとも思ったそうです。
“自分がいなくなったら、家族はどうなってしまうの・・・?”
家族の行く末を案じたセツさんは思いとどまり、一人で松江に帰ることにします。
その数年後、小泉セツさんと前田為二さんの離婚が成立。
小泉セツさんが22歳になろうとしていた年、明治23年(1890年)のことでした。
小泉の戸籍に復籍
前田為二との離婚に伴い、小泉セツ(当時:稲垣セツ)さんの戸籍が小泉家に復籍(離縁して元の戸籍に戻ること)されています。
※セツの本当の出身は小泉家。稲垣家とは血縁関係がなく「養女」だった。
しかし、これは書面上だけであり、その後も、稲垣家の人々とは住み続けています。
このような手段を取ったのは、「離婚の経歴を消すため」だったのではないかと言われています。
小説「ヘルンとセツ」では、このように描かれています。
大阪に去った夫、為二との離婚の手続きにあたって、稲垣家の戸籍に名を残さないために、為二がただの養子として稲垣の家に入ったということにして失踪届を出し、その籍を抹消すればいい。
出典:ヘルンとセツ(田渕 久美子)
そのためにも、セツと稲垣家との養子縁組を切り、小泉セツに戻そう。
つまりは、セツの戸籍を汚さないための、祖父や両親の苦肉の策だった。
婿が逃げた原因が自分達であると自覚し、親心が働いたのかもしれませんね。
ばけばけの最初の夫・銀二郎がどうなるのかはこちらの記事で詳しく解説しています。

1年後に再婚へ
そして、離婚が成立し、「小泉セツ」になった数ヶ月後・・・。
奇しくも、のちの夫となるラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が松江に赴任してくるのでした。
セツさんが「住み込みの女中」として働いたことが、大きな転機となりました。
ほどなくして、二人は結婚(再婚)することになります。
セツさんが正式に再婚したのは、1891年8月のこと。
セツさんが離婚したのは「1890年1月」だったため、1年7ヶ月後の再婚ということです。
最初の夫との心の傷は深かったはずです。
苦難を乗り越えて、本当の運命の相手に出会えてよかったですね。
ちなみに、八重垣神社の「鏡の池」の占いは、それを予言していました!

小泉セツの再婚・離婚・最初の夫に関するQ&A
小泉セツさんの最初の夫・前田為二さんはその後どうなりましたか?
前田為二さんはその後、岡山で会社を創業し財を成したそうです。
再婚して家族もいたとされています。
朝ドラ「ばけばけ」では、最初の夫・銀二郎が再度トキの前に現れる予定です。
離婚して小泉家の戸籍に戻ったセツさんは、他に兄弟がいましたか?
小泉家には兄弟が数人いました。
しかし、いずれも失踪や転籍などをしており、残っていたのは三男・小泉藤三郎のみでした。ただ、この藤三郎が厄介者だったため、ほぼ絶縁していたそうです。
小泉セツは外国人と結婚(再婚)することに抵抗はなかったのですか?
3歳の頃に、ある外国人から小さい虫眼鏡のプレゼントをもらった経験から、異国人に対して好印象を持っていたとされています。
そのことがなければ、八雲と結婚することはなかったかもしれないと語っています。
小泉八雲も再婚だったのですか?
いいえ。しかし、結婚を考えていた女性はいました。
20代の頃、混血の女性と結婚する話が出ていましたが、当時の州の法律では違法とされており、「正式な届け出はしていなかった」とされています。
そのため、小泉セツさんとの結婚が初婚である可能性が高いです。
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