小泉セツの生涯をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。
主人公の松野トキ(高石あかり)は、松野家で可愛がられて育った一人娘です。
しかし、その両親とは血のつながりはなく、いわゆる養女(養子)だったのです。
そこで今回は、
- 【ばけばけ】トキが養子になった理由とは?
- 【ばけばけ】トキの本当の父親と母親は誰?
について、史実も交えて詳しく深掘りしていきます!
※本記事には、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開が含まれる可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】トキが養子(養女)になった理由はなぜ?

史実では、稲垣家(松野家のモデル)に子供が生まれなかったため、親戚筋から子供を貰い受けることが決まっていたとされています。
詳しく見ていきましょう。
松野家のモデルは稲垣家
朝ドラ「ばけばけ」の松野家のモデルは、小泉セツさんが生まれ育った稲垣家です。
松江藩の稲垣家は、元武士(並士)の家柄でした。
武士階級の中で「中」くらいの位置のレベルだったとされています。
そんな稲垣家ですが、残念ながら子供に恵まれませんでした。
稲垣家の遠い親戚筋に子沢山の家があったため、養子をもらうことが検討されていたのです。
そして、セツが生まれる前に話し合いがあり、
次に生まれる子は稲垣家が貰い受ける
ということが決められていました。
稲垣家の人々
朝ドラ「ばけばけ」では、
- 父:松野司之介(岡部たかし)
- 母:松野フミ(池脇千鶴)
がトキの両親として登場します。
史実では、
- 養父:稲垣金十郎
- 養母:稲垣トミ
が小泉セツの養父母でした。
どんな人物だったのか簡単に見ていきましょう。
お人好しな養父
セツの養父となった金十郎は、当時まだ26歳前後。
善良な「侍」であり、お人好しで優しい性格だったと伝えられています。
その気質ゆえに、セツが7歳の時に悪質な詐欺に遭ってしまい、家計は傾いていくのでした。
ばけばけの養父
トキの養父のモデルについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

働き者の養母
妻の稲垣トミは、2歳年下の24歳。
養母のトミは、学はないものの何をさせても器用で、家族のために懸命に働く実直な女性だったとされています。
実は、トミ自身も養女であり、出雲大社の上官である高浜家から嫁いだ身でした。
そんなトミは、出雲の神々の物語や不思議な話などをセツに語り聞かせていたのです。
ばけばけの養母
武士魂が残る養祖父
二人に加えて、父方の養祖父・稲垣万右衛門(当時50歳)も同居。
祖父の万右衛門は、黒船来航以降、数々の警備をこなしてきた正真正銘の武士でした。
一方で、大の「子供好き」でもあり、セツを特に可愛がっていたようです。
ばけばけの養祖父
【ばけばけ】トキの本当の父親と母親は誰?(実父・実母)

ばけばけのヒロイン・トキの本当の父親は雨清水傳(堤真一)で、実母は雨清水タエ(北川景子)である可能性が高いです。
詳しく見ていきましょう。
小泉セツは小泉家の実子
史実では、トキのモデル・小泉セツは、「小泉家」という家の次女として生まれた女の子でした。

小泉家は、松江藩の番頭(藩の軍団長)で、家老に次ぐ上級家臣のポジション。
つまり、本来セツは、由緒ある良い家柄に生まれた「お嬢様」だったのです。
実際、南田町にあったセツの実家・小泉家の敷地は「581坪」もの広さだったと記録されています。
稲垣家とは遠い親戚筋ではありますが、レベルの違う家柄でした。
史実では、小泉家が子沢山であったため、子宝に恵まれなかった稲垣家にセツ(次女)を養子に出したとされています。
雨清水家のモデルは小泉家
朝ドラ「ばけばけ」に登場する「雨清水(うしみず)」という家。
ドラマ内では、
- 松江藩に名を馳せる上級武士
- トキの親戚
と紹介されています。
この設定から推測すると、モデルは小泉セツの実家・小泉家である可能性が極めて高いです。
小泉家の父母
朝ドラ「ばけばけ」の雨清水家=小泉家だとすれば、
- 実父:雨清水傳(堤真一)
- 実母:雨清水タエ(北川景子)
ということになります。
つまり、トキの本当の父親と母親ですね。
史実では、
- 実父:小泉湊
- 実母:小泉チエ
という人物です。
どんな人物だったのか、簡単に見て行きましょう。
エリート侍の実父
小泉セツさんが生まれた当時、実父の湊さんは31歳でした。
30歳の時に、父の病気引退を受けて家督を受け継いだばかりでした。
小柄ながらも野心溢れる侍であり、武芸にも秀でていたとされています。
松江の人々から尊敬されるような人格者でもありました。
ばけばけの実父(推定)
織物会社のモデルはこちらの記事でご紹介しています。

姫育ちの美人な実母
実母・小泉チエがセツを出産したのは30歳の時でした。
チエは14歳で小泉家に嫁ぎ、「御家中一番の器量良し」と褒められた美人だったとされています。
「塩見家」というの名家の一人娘で、何十人もの女中たちの中で育った正真正銘の「姫」でした。
ばけばけの実母(推定)
小泉チエの生涯や晩年はこちらの記事で解説しています。

生後7日で養女に
幕末の1868年、節分の日に産声を上げた小泉セツ。
お七夜を終えた次の晩には、セツは乳母とともに駕籠(かご)に揺られて稲垣家へと向かいます。
満2歳になると乳母が去ることになり、乳母との別れをセツはひどく寂しがったとされています。
あまりの悲痛に、セツの脳裡には、別れた部屋の襖の模様から、「乳母、乳母」と泣き叫ぶ自分の声まで刻み込まれたものである。
出典:八雲の妻 小泉セツの生涯
その後、出入りが禁じられた乳母とは「裏道でこっそり会っていた」とも伝えられています。
乳母も自分の子供のようにセツを可愛がっていたことが伝わってきますね。
3歳の頃に真実を知る
セツが満4歳の秋に「帯直し」というお祝いが稲垣家で行われた時。
番頭であり、実父の小泉湊も客人として招かれていました。
自分の家族が小泉家を大変尊敬している様子から、「小泉様のおじさまは偉い人」という認識がこの頃からあったんだとか。
そしてこの頃から、自分が「もらい児」であることを知っていたとされています。
私はもらい児であるという事は三ツ位の時から知っていたが、もらい児という事を思うのは一番いやな事で、ほんとに不愉快きわまる事であった。
出典:幼少期の思い出(池田記念美術館所蔵)
具体的なきっかけは不明ですが、小説「ヘルンとセツ」では、「親戚たちが自分の出自について話しているのを偶然聞いてしまった」というものでした。
その頃から、セツは、実父への敬愛を持ちながらも、育ての養父母や養祖父への感謝も深く感じていました。
実父母とはとてもくらべものにならぬほどに養い育ててもらった祖父、父母が大切でまたよかった。
出典:幼少期の思い出(池田記念美術館所蔵)
それは今に至るまで、少しのかわりもない。
生家と養家の往来
稲垣家と小泉家は、城を挟んで反対側と距離が近かったこともあり、セツはたびたび小泉家を訪れていました。
しかし、他の兄弟に親近感を抱くことはなかったと言います。
小説「ヘルンとセツ」では、実母スエもセツには他人行儀であり、あまり話すことがなかったとされていました。
一方、実父の小泉湊は、何かとセツのことを気にかけてくれていたようです。
稲垣家が困窮した際には、自分が興した会社でセツを雇うなどの配慮もしてくれました。
養子に出したとはいえ、湊にとっては、セツは自分の娘だということには変わりなかったのでしょう。
しかしその後、小泉家も没落し、セツは稲垣家(養家)と小泉家(生家)の両方の家族を支える運命を背負うことになります。
ばけばけトキ(小泉セツ)の養子・養女の史実に関するQ&A

「ばけばけ」でトキは自分が養子(養女)であることをいつ知りますか?
事実がしっかりと伝えられるのは第3週(18歳頃)の予定です。
しかし、トキは自分が雨清水家の実子であることを薄々気づいていたため、そこまで驚きはありませんでした。
トキは自分が養子であると知ったことで、松野家との関係性は変わりますか?
いいえ。トキにとっては血のつながりは重要ではありませんでした。
トキは自分を育ててくれた松野家へのご恩を忘れず、そのまま一緒に暮らし続ける予定です。
トキが養子であることをずっと隠していたのはなぜですか?
本当のことを伝えると、今の関係性が崩れてしまうことを案じていたのではないかと思われます。
それだけトキへの愛情が深いものになっていた証拠でしょう。
「稲垣セツ」でははなく「小泉セツ」と名乗っているのはなぜですか?
稲垣セツの時に一度離婚したため、その時に、元の「小泉」の戸籍に復籍しています。
出生時:小泉→稲垣(養子縁組)→離婚に伴い離縁→小泉(復籍)
セツに離婚歴を残さないために親たちが判断したものと思われます。
小泉セツさんの離婚歴・最初の夫についてはこちらの記事で詳しく解説しています。

【参考図書】
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