小泉八雲・小泉セツ夫婦をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。
第9週からは、江藤知事の娘・江藤リヨ(北香那)が登場します。
ヘブンに強く惹かれていく女性として描かれますが、一体モデルは誰なのでしょうか?
そこで今回は、
- 【ばけばけ】知事の娘・江藤リヨのモデルは誰?
- 知事の娘・籠手田よし子と小泉八雲の史実とは?
- 知事の娘・籠手田よし子のその後と結婚相手は?
について詳しく深掘りしていきます!
※本記事は、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
【ばけばけ】知事の娘・江藤リヨのモデルは誰?

リヨ(おりよ)の実在モデルは、籠手田知事の娘・籠手田よし子(淑)である可能性が高いです。
「ばけばけ」の江藤県知事の実在モデルは、「籠手田安定(こてだ・やすさだ)」さん。
籠手田知事には、娘が3人、息子が1人いたことが判明しています!
籠手田家の子供
| 続柄 | 名前 | 生没年 |
|---|---|---|
| 長女 | 淑(よし) | 明治5年頃〜? |
| 次女 | 従(じゅう) | 明治8年頃〜? |
| 長男 | 龍(とおる) | 明治9年〜昭和10年 |
| 三女 | 崇子(たかこ) | 不明 |
つまり、「ばけばけ」の江藤リヨという人物は、3人の娘のいずれかがモデルということ。
この中でも、父と共に松江に暮らし、小泉八雲(ヘブンのモデル)と関わりがあったとされる人物がいます。
それが、
長女・籠手田淑(淑子)さん
でした。
一体どのような人物だったのでしょうか?
リヨの人物像
まずは、「ばけばけ」で描かれる「江藤リヨ(おりよ)」の役柄のおさらいです。
リヨは、このようなキャラクターとして描かれています。
江藤リヨ
- 才色兼備のお嬢様
- 英語も堪能
- ヘブンを好きになる
最も気になるのは、「ヘブンに惹かれる女性」という点ですね。
リヨ役を演じる北香那さんは「リヨは作品の良きスパイスのようなポジション」と話されています。
ヘブンには、「イライザ」という憧れの女性もいる状況です。
トキとヘブンがいずれ夫婦になるとわかっているものの、途中にさまざまな女性の影が出てくるということですね。
モデルは籠手田淑
リヨの実在モデルと考えられる長女「籠手田淑(こてだ・よし)」さん。
名古屋大学のデータベース(人事興信録)によれば、明治5年(1872年)1月の生まれでした。
つまり、小泉八雲が松江に赴任してきた明治24年頃には、淑さんは19歳前後ということになります。
そんな籠手田淑さんの顔画像がこちらです!
いかにも「お嬢様」という風格をお持ちの美人です。
そんな籠手田淑さんは、やはり「才女」であり、お琴の名人でもあったとされています。
籠手田淑さんの人物像
- 松江婦人会の会長を務める才女
- 社交的で気配りもあった
- お琴が上手だった
知事の娘・籠手田よし子と小泉八雲の史実とは?

「知事の娘が八雲に想いを寄せていた」という史実ないものの、令嬢から心のこもったプレゼント(お見舞い)が贈られていました。
「ばけばけ」では、江藤リヨからヘブンに「鶯(うぐいす)」のプレゼントが贈られます。
実はこれは、籠手田淑(よし子)さんの実際のエピソードをもとにしている可能性があるのです。
(※小泉八雲の関連情報では、「籠手田よし子」という名前で紹介されています)
小泉八雲と籠手田よし子さんの関わりを深掘りしていきましょう!
知事宅で初めて出会う
小泉八雲が松江に着いたのは、明治23年8月です。
その約1ヶ月後の9月27日。
小泉八雲は西田千太郎(錦織のモデル)と共に、籠手田知事の邸宅に招かれています。
ここで八雲は初めて、娘・よし子と出会ったのでした。
そこでは、よし子さんのお琴の演奏や舞妓の踊りなどを鑑賞し、大いに楽しんだようです。
西田千太郎さんの日記には、このように記載されていました。
たまたま令嬢が松江婦人会の会長を辞任されるため、慰労の宴席に列し、令嬢の弾琴と舞妓の演技等鑑賞。
引用:西田千太郎日記
へルン氏大いに喜べり。
松江婦人会会長を歴任していた、令嬢・よし子さんの慰労会でもあったようですね。
寝込んだ八雲にお見舞い
年を越えた1月。
松江の寒い冬が体に祟ったのか、小泉八雲は「気管支カタル(気管支炎)」により、学校を休んで寝込んでいました。
そんな八雲の元に、知事の令嬢(よし子)からのお見舞いの品が届きます。
それが、鳥かごに入った「うぐいす」だったのです。
このことを小泉八雲さんは大いに喜び、西田千太郎さん宛の手紙でこのように綴っています。
親愛なる西田様
引用:『小泉八雲全集』第十巻
昨夜籠手田知事の使者が、珍しい形の箱に入れて籠手田令嬢からの贈物「鶯」を拙宅へ持參しました。
(中略)
しかし私はこの贈主に対して感謝を表せんがために、何と申すべきか、何をなすべきかを知らぬ。
実に親切この上もない。
それで、昨日は嫌な天気ではあったものの、幸福な日でした。
その日は私の宅へ神聖な鳥と貴君の愉快なる郵信をもたらしたのです。
して、一切のことに対し、私の感謝と好意を表します。
この頃は、まだ小泉セツさんが女中として働く前のこと。
体を壊し、一人で心細く感じているであろう八雲さんに対して、籠手田よし子さんは心温まるお見舞いを送ったのです。
なんと風流な贈り物・・・。
さすが、気配り上手な女性だったと言われるだけありますね。
「ばけばけ」でも、リヨが「日本らしいものを差し上げたい」と、ヘブンにウグイスを持ってくるシーンが描かれます。
状況は史実と異なるものの、このシーンは籠手田よし子さんとのエピソードをもとにしたものでしょう。
なお、このウグイスは、小泉八雲が松江を去る際に、親友の西田千太郎さんに置き土産として贈ったそうです。
八雲に想いを寄せた史実はない
「ばけばけ」では、江藤リヨは、ヘブンに結婚を迫る勢いでアタックしていきます。
実際には、「二人が恋仲であった」や「どちらかが想いを寄せていた」という情報はありません。
小泉八雲(当時41歳)と籠手田よし子さん(当時19歳)は20歳以上の歳の差があります。
そのため、お互いに男女として意識していた可能性は低いと考えられます。
演じる北香那さんの言うように、トキとヘブンの関係を盛り立てるための、スパイス的な存在として登場するのでしょう。
知事の娘・籠手田よし子のその後や結婚相手は?

おりよのモデル・籠手田よし子さんは、長崎県の士族の男性と結婚し、日本語教師として朝鮮半島で活躍しました。
29歳の時に結婚
籠手田よし子さんは、明治34年4月に他の方と結婚されています。
宮内庁の華族の届出に関するデータベース(明治34年)に「籠手田龍の姉・淑の婚姻願」が出されている史実が確認できました。
籠手田龍姉淑婚姻願ノ件 (四月)
引用:書陵部所蔵資料目録・画像公開システム
当時は29歳前後と思われるので、当時としては少し遅めの嫁入りだったことが伺えます。
気になる結婚相手は、
近藤範治(こんどう・のりはる)さん
との情報が残っています。
姉淑(明治五年一月生)は長崎縣士族近藤範治に嫁せり
引用:名古屋大学「人事興信録」データベース
近藤さんは長崎県出身の士族で、明治期に朝鮮半島で学校を設営・運営した、日本の教育者・実業家的な人物です。
夫婦で学校を設立
籠手田よし子さんは、婚姻後、近藤淑子さんへ。
結婚とほぼ同じ頃、夫と共に朝鮮半島の元山(ウォンサン)で、日本語学校「源興学校」を設立しています。
もともとは、近藤淑子さんが塾を作り、現地の人々を相手に日本語を教え始めたのが始まりだったようです。
つまり、「日本語教師」となったのですね。
この学校の設立と運営は、日韓の官民有志の援助を受けながら、夫婦二人三脚で行われていたんだとか。
夫婦ともに朝鮮語が堪能であり、現地の人からの信頼も強かったようです。
女性教育者として活躍
表立っての校長は夫でしたが、実際には、近藤淑子(籠手田よし子)さんの功績やリーダーシップがあったと言われています。
夫が戦地に出て数年間戻らない間に、学校の現場を守っていたのもよし子さんでした。
当時、地方の日本語学校で女性が経営・運営の中心を担う例は極めて少なく、その点でも、特異な存在だったことが伺えます。
しかし、夫が不在の間に、日本政府(現地の副領事)が学校の運営に介入してきたため、近藤よし子さんが反抗し、学校存続の危機に見舞われた(源興学校事件)こともわかっています。
残念ながら、1900年初頭にはこの学校は近藤夫婦の手を離れているようです。
その後、よし子さんらがどうなったのか、日本に戻ったのか等の情報は見つかっていません。
まとめると、近藤淑子(籠手田よし子)さんは、お嬢様として育ちながら、夫と共に海外で日本語学校を創設・運営した数少ない「女性教育経営者」だったということです。
「ばけばけ」では、リヨの”その後”も描かれるのか気になりますね!
江藤リヨの実在モデル・籠手田よし子に関するQ&A

江藤リヨ(おりよ)の髪型については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

リヨの執事役(付き人)については、こちらの記事で詳しく解説しています。

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