朝ドラ「ばけばけ」の第59回に「子捨ての話」という怪談が登場しました。
背筋が凍るようなこの話ですが、ドラマでは二人の心を繋ぐきっかけとなるエピソードとして描かれます。
この「子捨ての話」は、実際に小泉八雲が著書に残した怪談の1つです。
しかし、原作には「ドラマと違う意外な結末」も記されているのです!
そこで今回は、
- ばけばけに登場した「子捨ての話」の内容
- 小泉八雲の史実(原作)との比較・結末
- ばけばけで「子捨ての話」が取り上げられた理由
について詳しく解説していきます!
ばけばけに登場した怪談「子捨ての話」とは?

「子捨ての話」は出雲に伝わる怪談です。
一言でストーリーをまとめると、
貧しさゆえに、我が子を川に捨てていた親が、ようやく育て始めた子に月夜の晩、「最後に私を捨てた時もこんな月夜だったね」と過去の記憶を告げられる。
というもの。
まずは、第59回でトキが語った怪談の内容と、それに対するヘブン先生の反応を振り返っていきましょう。
トキが語った内容
「ばけばけ」での「子捨ての話」は以下のような内容で語られました。
「子捨ての話」
人の命がろうそくよりもたやすく消えていく時代のお話でございます。
出雲の国の「持田(もちだ)の浦」という村のある百姓の夫婦は、ひどく貧しく、自分たちが食べるだけで精いっぱい。
子供が生まれるたびに、「ごめんよ、ごめんよ」と全て家の裏を流れる川に捨てていました。
しかし、月日は流れ、ようやく暮らしに少しのゆとりが出てきた頃。
初めて、生まれてきた子を育ててみることにしました。
ある月夜の晩のことです。
「♪ねえん ねえんねえんや」
「♪ねんねこした子は かわいこよ」
父親は赤子を背負って、「今夜はええ月や」と独りごちておりました。
すると、まだしゃべるはずのない背中の子が口を開いてこう言ったのです。
「お父っつぁん。お父っつぁんが最後に私をお捨てになった時も、こげに月のきれ〜いな晩でしたねぇ」
〜終わり〜
そんな赤子の一言で、物語は終わります。
静かな月夜に「過去の罪」を子供から告げられてしまう・・・。
そんな、背筋がゾクっとするような結末でした。
このシーンでは、ヘブン先生の部屋に飾ってある「こけし」なども印象的に映し出され、朝から怖さが倍増していました。
ヘブンとトキの解釈
この話を聞いたヘブン先生は、自身のトラウマ(父に捨てられた過去)と重ね合わせ、強く反応します。
- ヘブン:
「日本語は全部わからないが、子供の気持ちはわかる」
「父は私を捨てた。母のことを捨てた。許せない!」
ヘブン先生の父親は、他に女性を作り、幼い自分と母を捨てた残酷な男でした。
ヘブン先生にとっての「子捨ての話」は「親の残酷さ」を思い出させる物語でした。
しかし、語り手のトキは、違う解釈を伝えます。
- トキ:
「なんべん捨てられても、この子、同じ親のもと生まれた」
「この子の親を思う気持ち、強い」
「それを知ったこの親は、子供を大切に育てるだろう」
トキは、自分を何度も捨ててきた子供の感情を、別の視点で読み解いたのです。
それは、親に対する「怨み」ではなく「深い愛情」だと。
「相手の気持ちを知ることで、良い方向に行ったらいいなと思う」というトキの言葉に、ヘブン先生は心を打たれます。
そして、「私は(自分の父と)同じことはしない。私は(親になっても)いいことをしたい」と、未来への決意を固めるのでした。
怪談は、人が生きる上で「こういうことをしたら罰が当たるよ」というような「戒め」のような役割を持っています。
ヘブン先生は、トキの言葉をしっかりと受け止め、自分の中に落とし込んだようでした。
「子捨ての話」小泉八雲の史実(原作)との比較と結末は?

「ばけばけ」では、二人の絆を深めるきっかけとなった怪談「子捨ての話」。
実は、小泉八雲の著書にちゃんと実在しています!
収録されているのは有名な『怪談(Kwaidan)』ではなく、初期の作品集『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)』の第21章です。
史実(原作)では、「語り手」や「結末」がドラマとは少し異なっているのがポイントです。
原作とドラマの違い
- 怪談の語り手はトキ(小泉セツ)ではなかった
- 父親はその後「僧侶」になった
小泉八雲が残した原文
小泉八雲の著書『知られぬ日本の面影』の第21章「日本海に沿うて(By the Japanese Sea)」の中に登場します。
これは彼が島根県内を旅している最中に、同行していた従者から聞いた「出雲の国の持田(もちだ)の浦に伝わる伝説」として記録されています。
ここからは、原文を現代語にわかりやすく改変してご紹介します。
昔、出雲の持田の浦という村に農夫がいた。
引用:小泉八雲全集 第3巻より
あまりに貧乏なので子供を持つことを恐れていた。
それで妻が子供を産むたびに川に投げ込んで、そして「死んで生まれたのだ」ということにしていた。
男の子のこともあり、女の子のこともあったが、生まれた子はいずれも、夜、川へ投げ込まれた。
こんなふうにして、六人が葬られた。
しかし、段々と年が経つにつれて、農夫は以前よりも豊かになってきた。
土地を買ったり、金を蓄えたりすることができた。
それからとうとう妻は、七人目の子供、男の子を生んだ。
そこで男は言った。
「もう子供は養っていける。それから年をとってから世話をしてもらう息子がいる。この男の子は綺麗だ。そこでこれは育てることにしよう」
そして幼児は成長した。
このかたくなな農夫は、毎日自分で自分の心が分からなくなってきた。
それは毎日「息子が可愛い」という念が募ってきたからであった。
ある夏の夜、彼は子供を抱きながら庭に出た。
子供は5ヶ月経っていた。
夜は非常に美しく、大きな月が出ていた。
それで農夫は叫んだ。
「ああ、今夜は珍しいええ夜だ」
すると子供は父の顔を見上げながら、おとなの言葉で言った。
「おとつあん、わしを最後に捨てた時も、ちょうど今夜のような月夜だったね」
そしてそれから子供は同年の他の子供と同じになって、何にも言わなくなった。
農夫は僧になった。
「捨てた子供が6人もいた」「育てた子は男の子だった」という詳しい設定がわかり、ドラマよりも生々しく伝わってきますよね。
違い①:語り手はセツではなかった
原文では、八雲がこの話を聞いたのは「妻の小泉セツから」とは描かれていません。
彼が友人と共に山陰地方を旅行している最中、同行者や現地の人から聞いた「伝説」として記録されています。
しかし、セツの母が「出雲大社の神官の娘」というルーツからも、この怪談をセツが知っていた可能性は高いでしょう。
違い②:父親はその後「僧侶」になった
ドラマでは赤子のセリフで終わりましたが、原作には続きがありました。
赤子に「最後に私を捨てた時も、こんな月夜だったね」と言われた父親。
その後は、なんと「農夫→僧侶」となったと記述されています。
おそらく父親は、その言葉に恐怖し、「深い後悔の念」に駆られたのでしょう。
そして、かつて川に流してしまった子供たちを弔うために、僧侶となって人生を捧げたのでした。
つまり、仏教的な「因果応報」や「魂の救済」の色が濃い結末となっています。
ばけばけで「子捨ての話」が印象的に描かれた理由とは?

「ばけばけ」では「子捨ての話」の結末をあえてぼかし、トキに語らせるという変更が行われていました。
それには、3つの理由があると考察しています。
- トキの怪談テラーとしての才能を伝えるため
- トキとヘブンの関係性を作るため
- ヘブンの怪談への興味をより深めるため
①怪談テラーとしての才能
ただ怖い話を暗記して語るだけなら、誰にでもできるかもしれません。
しかしトキは、この短い怪談の中に「独自の解釈」を加えました。
- 表向き: 捨てられた子供の怨みは怖い
- トキの解釈: 何度でも親のもとへ帰ってくる、子供の深い愛情
この「読み解く力」こそが、後に小泉八雲の創作活動を支えることになる妻・セツの非凡な才能です。
ヘブン先生だけでなく、テレビの前の私たち視聴者にも、
「ああ、彼女こそが八雲のパートナーになる女性なんだ!」
と強く納得させる、いわばトキの才能のプレゼンテーションのような場面になりましたよね。
②二人が「心を通わすきっかけ」に
言葉の壁があり、文化も立場も違うトキとヘブン。
表面的な会話だけでは、深い信頼関係を築くには時間がかかるもの。
しかし、「怪談」を通じて二人は「人間の心の深い部分(寂しさや情愛)」を共有し、ヘブン先生の心の扉を開きました。
二人がこれまでの人生で、人には言えないような苦しみや悲しみを背負ってきたからこそ、その感動は大きかったに違いありません。
「この人になら隠してきた心の傷を打ち明けることができる(受けとめてくれる)」
「怪談」を通してそれらを共有することで、他の誰にも入り込めない二人だけの絆が生まれたのです。
③セラピーとしての「怪談」
ヘブン先生にとって、日本の怪談は、単なる研究対象ではありませんでした。
親に捨てられた過去を持つ彼にとって、この「子捨ての話」は自身のトラウマを刺激するもの。
怪談の中で「父親がその後どうなったか」についてはっきり語られなかったのは、自分の酷い父親をイメージしやすくする意図があったのかもしれません。
しかし、トキの解釈によってそれは「救い」へと変わっていきました。
「日本の怪談には、恐怖だけでなく、心の傷を癒やす力がある」
そう気づいたからこそ、ヘブン先生の怪談への興味は単なる好奇心を超え、熱中していきます。
それは、「辛いことがあると怪談を聞きたがった」という幼い頃のトキも同じでしたよね。
ヘブンにとっても「過去の自分を癒すセラピー」のようなものだったのかもしれませんね。
ばけばけ「子捨ての話」に関するQ&A

小泉八雲が「子捨ての話」を書いた本を出版したのはいつ頃ですか?
小泉八雲が『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)を出版したのは、1894年(明治27年)です。
これは八雲が来日(1890年)してから約4年後のことで、彼が日本について書いた最初の単行本となります。
その頃は、すでに小泉セツと結婚しており、長男が生まれたばかりでした。
八雲の本で「子捨ての話」というタイトルは付けられていましたか?
「子捨ての話」という単独の題名は、原書には付けられていませんでした。
この話が収録されている『知られぬ日本の面影』は、短編集ではなく紀行文(エッセイ)です。
そのため、「第21章 日本海に沿うて」という章の中に、日記のように綴られている中の「1つの小話」という感じです。
元々の民話には「子捨ての話」という題名がついていたのかもしれません。
八雲に「子捨ての話」を教えたのは誰だったのですか?
八雲の著書『知られぬ日本の面影』において、この話を聞いたのは、一緒に旅をしていた通訳(個人名なし)か、旅先で出会った地元の人々とされています。
同じ章に残されている「鳥取の布団」も、ある宿の者から聞いたことになっています。
しかし、もしかしたら一部はフィクションであり、「子捨ての話」も「鳥取の布団」も、ドラマと同じようにセツさんから聞いたのではないか?と推測する声もあります。
第13週に登場した「小豆とぎ橋」の怪談についてはこちらの記事をご覧ください。

まとめ
今回は、「ばけばけ」第59回の怪談「子捨ての話」について、ドラマの描写と小泉八雲の史実(原作)を比較しながら解説しました。
記事のポイントを振り返ってみましょう。
- ドラマの「子捨ての話」
トキの「何度捨てられても親を慕って戻ってくる」という解釈により、ヘブン先生の孤独を救う「切ない愛の物語」として描かれた。 - 史実(原作)の「子捨ての話」
小泉八雲『知られぬ日本の面影』に収録。
赤子の言葉を聞いた父親が、恐怖と悔恨から「僧侶になる」という結末が描かれている。 - 描かれた理由
ただの怖い話ではなく、トキの「物語を読み解く才能」と、傷ついたヘブン先生を癒やす「優しさ」を表現し、二人が唯一無二のパートナーになるための重要な場面だった。
これから二人がどのように日本の不思議な物語を集め、あの名著『怪談(Kwaidan)』を作り上げていくのか・・・・
二人の結婚への道のりも含めて、温かく見守っていきましょう!
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