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小泉セツが「おじょ」と呼ばれた理由はなぜ?ばけばけトキの史実や意味を深掘り

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小泉セツの幼少期
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2025年後期の朝ドラ「ばけばけ」は、小泉セツをモデルにした物語です。

主人公の松野トキ(モデル:小泉セツ)は、祖父から「おじょ」と呼ばれて溺愛されています。

これは、小泉セツさんの史実に基づいた呼び名でした。

そこで今回は、

  • 「おじょ」の意味や由来は?
  • 小泉セツが「おじょ」と呼ばれた理由はなぜ?

について、史実を含めて詳しく深掘りしていきます。

※本記事には、朝ドラ「ばけばけ」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。

目次

【ばけばけ】トキの「おじょ」の意味や由来は?

「おじょ」とは「お嬢(おじょう)」の意味で使用されています。

2025年後期の朝ドラ「ばけばけ」では、松野勘右衛門(小日向文世)が孫の松野トキ(高石あかり)のことを「おじょ」と呼んでいる設定です。

この「おじょ」とは、そのまま「お嬢」という意味であり、可愛らしい孫に対する愛を込めた呼び名ということです。

現代でも、女の子に対して「姫(プリンセス)」と呼んだりするのと似た感覚ですね。

ただ、トキが「おじょ」と呼ばれる理由には、もっと深い意味がありました。

小泉セツが「おじょ(お嬢)」と呼ばれた理由はなぜ?

小泉セツのイメージ

「ばけばけ」トキのモデル・小泉セツが「おじょ」と呼ばれた理由には、

  • 品格を感じさせる見た目
  • 生家との関係

の2つがありました。

詳しくみていきましょう。

小泉セツの見た目

小泉セツは、慶応4年(1868年)2月4日の朝に生まれました。

ちょうど旧暦の「節分」であったことから「セツ」と名付けられたのです。

そんな小泉セツですが、実際には周りの家族から「おじょ」と呼ばれて育ちます。

それは、セツの見た目が、

  • 肌が白いこと
  • 品格を感じさせる雰囲気

があったからなんだとか!

これは小説「ヘルンとセツ」で語られています。

しかし、そうまでして名付けられたセツだったが、まわりから「お嬢」と呼ばれて育つことになる。
色が白く、生まれついての品格を感じさせると言い、金十郎が呼び始めたのがきっかけだった。

引用:田渕 久美子「ヘルンとセツ」 (p. 11)

また、「おじょ」呼びは、実際には祖父が言い出したのではなく、父の稲垣金十郎が発端だったようです。

残念ながら小さい頃の小泉セツさんの写真はありませんが、姫のような気品を感じさせる赤子だったということですね。


小泉セツの本当の血筋

小泉セツは、生まれて7日で稲垣家に貰われた養女でした。

実の父親と母親は、「小泉家」という松江藩の上級士族だったのです。

  • セツの実父:小泉湊
  • セツの実母:小泉チエ

小泉家は代々300石を受領し、出雲や隠岐の30万人の民を支配する3000人の侍のなかでも、「上士(じょうし)」にあたる由緒ある家でした。

稲垣家はそれよりも格下ながらも、小泉家とは遠い親戚の関係。

小泉家は多くの子宝に恵まれていたことから、子のいない稲垣家に養子を出すことが決まっていたのです。

特に注目すべき点は、実母の小泉チエは、小泉家よりさらに格上の「塩見家」の一人娘だったということ。

チエは、「御家中一の器量よし」と呼ばれた美人で、正真正銘の姫でした。

なんと、チエの父(セツの祖父)塩見増右衛門は、松江藩の「江戸家老」を務めた人物

遊び呆けていた9代目の藩主・松平斉貴(まつだいら・なりとき)を諫めるために切腹し、斉貴を隠居させたという伝説の家老でもありました。

そんな母方の「塩見家」が一体どれだけ凄い家柄だったのでしょうか?

イメージしやすいように、当時の屋敷の敷地面積を比較してみましょう。

家の名前敷地面積
塩見家(母の実家)2,667坪
小泉家(生家)581坪
稲垣家(養家)171坪

※参考:松江市文化スポーツ部文化振興課「一から知りたい小泉八雲とセツの物語」

屋敷の大きさだけでも、桁違いの家柄であることが分かります。

松江には「塩見」の名前がついた通りも

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