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【あんぱん】のぶの病気(病名)は何?その後どうなる?史実を深掘り【小松暢】

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入院している女性
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やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。

アニメのアンパンマンが放送された頃、のぶは体調を崩し、入院・手術することになります。

これは、小松暢さん(柳瀬暢さん)の史実を元にしたエピソードです。

そこで今回は、

  • のぶの病気・病名は何?
  • のぶはその後どうなる?

について詳しくご紹介して行きます。

※本記事は、朝ドラ「あんぱん」の今後の展開を含む可能性があります。

目次

【あんぱん】のぶの病気・病名は何?がんのステージは?

心配そうにしている女性

のぶのモデル・小松暢(柳瀬暢)さんは、1988年12月に「乳がん」が発覚して手術しています。

そのため、「あんぱん」のヒロインのぶも、同じ病気として描かれている可能性が高いです。

病気が発覚した暢さんの時系列は以下のとおりです。

  • 1988年秋頃胸に異物感
  • 1988年11月乳がんとの診断・即入院
  • 1988年12月手術・余命宣告

詳しく見ていきましょう。

即入院で手術

1988年10月、「アンパンマン」のテレビ放送が始まる前後のこと。

のぶのモデル・小松暢(柳瀬暢)さんは、体調を崩し始めていたことがわかっています。

やなせたかしさんの関連本によれば、

”胸に異物感と痛みを感じる”

というものでした。

1ヶ月ほどして東京女子医大病院に受診すると、「乳がん」との診断を受けます。

暢さんは即入院し、12月には両方の乳房を切除する手術を受けています。

余命宣告

手術は無事に終わったものの、全身にがんが転移していることが判明。

当時の暢さんは、「余命三ヶ月」との診断を受けています。

手術後、担当医に呼ばれた嵩は、全身にがんが転移していることを告げられた。
「肝臓にも転移しています。お気の毒ですが、奥様の命は長くてあと三ヶ月です」
医師が示したレントゲン写真の肝臓の部分には、ぼんやりとした影あった。

出典:やなせたか氏の生涯 アンパンマンとぼく

具体的な「がんのステージ(進行具合)」については言及されていません。

この時の状況から、暢さんのがんのステージは「ステージIV(ステージ4)」程度だったと考えられます。

ステージ4は「遠隔転移がある乳がん」で、病巣が乳房やリンパ節を超えて全身に広がった状態を指します。

愛する妻の余命宣告を受け、やなせたかしさんは呆然とします。

「なぜもっと早く病院に連れて行かなかったのか・・・」と深く後悔したそうです。

転移のことは言えず

やなせさんは、毎日病室へ通いました。

アニメが始まりますます忙しくなっていましたが、誰にも暢のことは言わず、淡々と仕事をしていたそうです。

手術に耐え、どんどん痩せていく暢さんからは、

”私、だめかもしれない。覚悟はできているから本当のことを教えてね”

と言われていました。

しかし、やなせたかしさんは、

”大丈夫。悪いところは全部切り取ったから”

としか答えられず、転移のことは言えなかったと語っています。

このことからも、「余命三ヶ月」の診断も本人には伝えていなかったのではないかと推測できます。

【あんぱん】のぶはその後どうなる?史実ではどうなった?

手を繋ぐ老夫婦

史実では、暢さんは、体調が劇的に回復したものの「5年後」に脳出血で他界されています。
朝ドラ「あんぱん」では、のぶが亡くなる直前まで描かれる予定です。

のぶのモデル・小松暢(柳瀬暢)さんが手術をした後の時系列がこちらです。

  • 1988年12月:知人から紹介の治療法が効いて退院
  • 1989年:お茶の稽古を再開
  • 1990年:裏千家の参与に昇格
  • 1993年11月:体調が急変して亡くなる

詳しく見ていきましょう。

がんサバイバーからの助言

余命宣告を受けた暢さんでしたが、その後、劇的に回復を遂げています。

それは、「アリエスの乙女たち」「天井の虹」などで有名な少女漫画家の里中満智子さんからのアドバイスがあったからでした。

実は、里中さんは子宮がんの「がんサバイバー」だったのです。

ある日、日本漫画協会の理事会で、声をかけられたやなせたかしさん。

「実は私もがんだったの」
「えっ・・・・・?」
嵩は驚いた。
目の前の里中はとても元気そうで、以前と少しも変わらない美しさだった。
子宮がんだったという里中は、自分の闘病について詳細に教えてくれた。
子宮を温存したくて、いいといわれることや漢方や食事療法などはすべて試し、丸山ワクチンを受け続けたところ、お医者様から「もう大丈夫でしょう」と言われたそうだ。
「できる限りのことをやってみたらいかがですか。どうか元気を出してください」
別れ際に里中はそう言って、そのあとすぐに自分が試したものをリストにして送ってくれた。

出典:やなせたか氏の生涯 アンパンマンとぼく

やなせたかしさんは、早速、里中さんに勧められた「丸山ワクチン」を入手。

主治医に頼んで注射してもらったところ、暢さんは1ヶ月で歩けるようになるまで回復し、退院したのでした。

丸山ワクチンとは?

丸山ワクチン(Specific Substance Maruyama, SSM)は、日本医科大学の丸山千里教授が1944年に開発したがん補助治療薬。
主成分はヒト由来結核菌から抽出したリポアラビノマンナン等の多糖体・核酸・脂質。
2024年までに約42万人以上のがん患者が利用した実績がある。
※厚生労働省から医薬品として承認されておらず「有償治験薬」として患者負担(保険適用外)で使われている。

余命を超えて

その後、暢さんは「余命三ヶ月」の壁を無事に突破。

血色が良くなり、さらに体重も35キロ→50キロ以上に戻ったのです。

丸山ワクチンのおかげだと感じたやなせさんは、ワクチンを取り寄せ、近所の病院で打ってもらうよう手配します。

1年経つと、暢さんはお茶の稽古を再開。

1990年には裏千家の参与となり、自宅を改装して茶室を構え、弟子たちに教えていたそうです。

やなせさんの仕事も順調で、暢さんの穏やかな日々が続いていました。

治療方針の違い

手術して約3年。

1991年には夫婦で、

  • 叙勲の授賞式
  • 勲章のお祝いパーティー
  • 秋の園遊会

などに出席できるほど、暢さんは元気でした。

しかし、同じ頃、暢さんは病院通い(丸山ワクチン)を辞めてしまいます。

転移されていることを知らされていなかった暢は、一日おきに病院で打たなければならないことが重荷になり、嵩が知らないうちにやめてしまっていたのだ。

出典:やなせたか氏の生涯 アンパンマンとぼく

当時、暢さんは73歳。

1日おきに病院に通い、ワクチンを打ってもらうのが大変になっていたようです。

また、暢さんは、そもそも丸山ワクチンに懐疑的でもありました。

「丸山ワクチンと東京女子医大とどっちを信じるかといえば、私はやっぱり女子医大を信じるわ」

出典:アンパンマンの遺書

やなせさんは再開するように勧めますが、

”これだけよくなったんだから大丈夫”

と言って聞き入れなかったんだとか・・・。

抗がん剤治療を選択した暢さんは、副作用で次第に体調が悪くなって行きます。

頭髪が抜けてカツラとなり、食欲不振や足腰に痛みも出ていました。

しかし、暢さんは気丈に振る舞い、決して弱音を吐かなかったと、やなせさんの秘書の越尾さんは語っています。

闘病中でも暢さんは気丈に振る舞っていたと、越尾さんが語る。

「先生には仕事に集中してもらいたかったのでしょう。『苦しい』『つらい』という言葉は一切聞いたことがありませんでした」

出典:女性自身

その後、暢さんは、1993年頃には、車椅子でなければ動けなくなってしまいます。

やなせさんは、「抗がん剤治療は信用できない」というスタンスでしたが、最後まで暢さんを説得することはできなかったようです。

安らかな最期

1993年11月。

手術から約5年後、暢さんはついに容体が急変してしまいます。

元々貧血気味だった暢さんは、放射線治療で輸血が必要なほど貧血になってしまったのです。

東京女子医大病院に緊急入院することになった際、

”今度退院したら、あなたのいう通りにするわ”

とやなせさんに言ったそうです。

しかし、暢さんの退院が実現することはありませんでした。

入院して程なくして、11月22日に75歳で他界されてしまったのです。

亡くなる前日には、とても元気だったとやなせたかしさんは語っています。

前日はとても元気だった。
昼間に見舞いに来ていた暢の妹によると、嵩が出演した番組がテレビからたまたま流れてきて「嵩さんが出てる、嵩さんが出てる」と子どものようにはしゃいだという。
夜になって嵩が病室に行くと、こんなに話して大丈夫かと思うほどおしゃべりをした。

出典:やなせたか氏の生涯 アンパンマンとぼく

しかし、翌朝には頭の血管が破れて意識不明に。

暢さんは苦しみもせず、やなせさんに手を握られながら、静かに旅立たれました。

「脳出血」の詳しい原因は不明ですが、がんの進行や治療による負担などが考えられます。

その後、暢さんの意向で葬式などは行わず、身内だけで全てを済ませたそうです。

過酷な闘病生活でしたが、やなせたかしさんは「かけがえのない時間だった」と語っています。

余命三か月の宣告を大幅に超え、足かけ六年も生きてくれた。
つらい闘病の日々だったが、それは同時に、夫婦であることの幸福を実感した、かけがえのない時間だった。

出典:やなせたか氏の生涯 アンパンマンとぼく

奇しくも、亡くなったのは「いい夫婦の日(11月22日)」でした。

「あんぱん」は亡くなる直前まで描かれる

朝ドラ「あんぱん」の小説版では、すでにエンディングが公表されています。

のぶの病気が発覚し、手術を受けた後。

奇跡的に5年も元気に暮らし、最後は、嵩と手を繋ぎながら道を歩いていく・・・

というラストになっています。

実際の放送では多少異なるかもしれませんが、主人公がのぶであることから、最期までは描かれないものと思われます。

あんぱんの最終回までのあらすじはこちらからどうぞ。

小松暢さん(のぶのモデル)の病気に関するQ&A

医師と患者

のぶさんのかかった「乳がん」とはどんな病気?

乳がんは、乳房にできる悪性のしこり(腫瘍)のこと。
乳房の細胞が異常に増えてしまい、しこりや皮膚の変化、乳首からの分泌などで気づくことがある。

のぶさんの病気「乳がん」の生存率はどのくらい?

乳がんは早期に見つかるほど生存率が高く、5年生存率は 90%以上 とされている。
特に「ステージ0~Ⅰ」ならほとんどの方が治る可能性が高い。
※進行の度合いやタイプによって個人差あり。

がんを乗り越えた漫画家・里中満智子さんは今も健在?

77歳の現在もご健在で、「生涯現役」を掲げて活動されている。
2023年には文化功労者に選出。

丸山ワクチンの料金(自己負担額)はどのくらい?

1か月あたり17,000円〜20,000円程度(保険適用外)であることが多い。
初回の登録料や書類費として1万円前後かかる。
※医療機関ごとに費用設定が異なるため、事前に確認が必要。
詳しく知りたい方は、公式ホームページをご覧ください。

※本記事は、やなせたかしさんと暢さんの闘病生活をご紹介する目的で執筆しました。がんの治療方法について「これがいい」と推奨するものではないことにご注意ください。

参考図書はこちらです。


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