ヤムおじさんどこ行った?屋村のその後の行き先・再会(再登場)・戻ってくるのか予想【朝ドラあんぱん】

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去っていく男性
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今田美桜さん主演の2025年前期朝ドラ「あんぱん」。

あんぱん第9週「絶望の隣は希望」の最後に、「朝田パン」のパン職人・屋村草吉(ヤムおじさん)が町から出て行ってしまうシーンが描かれます。

屋村は10年以上も御免与町に住み、辛い時や悲しい時には「あんぱん」を差し出してくれる存在でした。

そんなヤムおじさんこと屋村は「どこに行ったの?」「帰ってくる?」と気になる人も多いはず。

そこで今回は、

  • ヤムおじさん(屋村草吉)はどこ行った?その後の行き先は?
  • ヤムおじさん(屋村草吉)との再会・再登場はある?

について詳しく解説していきます!

目次

ヤムおじさん(屋村草吉)はどこ行った?その後の行き先は?

現在発売されている小説版「あんぱん(上)」(第13週まで公開)では、どこに行ったのか明かされていません。

残念ながら、現時点で、屋村の行き先についての情報は一切ありません。

屋村草吉(ヤムおじさん)が朝田パンを去っていったのは、1940年(昭和15年)の設定です。

この頃から小麦などは配給制となり、パンを作ることが難しくなっていく様子が描かれていました。

屋村はもともと「フーテンのパン職人」。

旅をしながらその先でパンを焼いて生活しているというキャラクターです。

しかし、原材料の小麦などが手に入らないとなれば、そのようなほぼ自給自足のような生活をするのも難しいはず。

そこで、屋村がどこに行ったのかについて予想してみました!

①屋村は広島に行った?

ヤムおじさんの行き先として、まず予想できるのが「広島」です。

朝田のぶの父が亡くなった頃、屋村は「広島行きの切符」を買おうとするシーンがありました。

結局、お金が足りず買うことができなかったのですが・・・

なぜ次の目的地が「広島」だったのか、理由は明かされていません。

しかし、少なくとも10年以上前には、「次は広島に行きたい」という気持ちがあったのは間違いありません。

ただ、「広島」といえば、1945年(昭和20年)に多くの犠牲者が出る場所ですから、その後の安否が心配な行き先です。

②屋村は東京に行った?

次の行き先として有力なのは、「東京」です。

本人は否定していましたが、屋村は銀座「美村屋」でパン職人をしていた過去があります。

東京なら当時の知人がいるはずなので、パンを焼けなくても、なんとか寝床を確保して生活していくことができるかもしれません。

もしくは、かつて働いていた「美村屋」で雇ってもらうこともできるでしょう。

美村屋のモデルについてはこちらの記事で解説しています。

③屋村は故郷に帰った?

最後の行き先としては、「自分の故郷に帰った説」です。

屋村の出身地は明かされていませんが、「関東方面」である可能性が高いと筆者は考ています。

なぜなら、ヤムおじさんは、

  • 標準語を話している
  • 若い頃に東京で働いていた経験がある

からです。

ただ、ヤムおじさんの性格的に「実家とは疎遠」になっている可能性が高そうな気もしますが・・・

これからますます戦いに突き進んでいく世の中を考えれば、「家族と一緒に過ごす」というのも選択肢の1つではないでしょうか。

ヤムおじさん(屋村草吉)との再会・再登場はある?

現在発売されている小説版「あんぱん(上)」(第13週まで公開)では、再会(再登場)シーンはまだありません。

終戦直後まで屋村の再登場はない

この記事を執筆時点で公開されているあらすじは、終戦後の1946年までのものになります。

残念ながら、終戦直後までのストーリーの中で、屋村(ヤムおじさん)の再登場はありません。

つまり、屋村が町を出ていった1940年〜1946年の約6年間は「行方不明のまま」ということです。

このまま再登場はないのでしょうか・・・?

屋村は「ジャムおじさん」を彷彿とさせる重要な役どころです。

また、屋村に理解のある釜次も、

釜次(のぶの祖父)

あいつのことやから、いつかふらっと戻ってくるやろう・・・

とヤムおじさんが帰ってくる可能性も匂わせていました。

脚本的にも、「このまま退場するわけがない!」という思いから、ヤムおじさんの再登場のタイミングを予想してみました。

嵩が50歳頃に再登場か

「あんぱん」の柳井嵩は「やなせたかしさん」がモデルです。

今でこそ「アンパンマン」の生みの親として有名になったやなせさんでしたが、なかなか代表作に恵まれず、苦しい時期を過ごしていました。

そして、初めて「あんぱんまん」を世に出したのは50歳の時。

最初の「あんぱんまん」は、今のような姿ではなく「おじさん」でした。

「アンパンマン」は、長い時間をかけて醸成されたキャラクター。初めてその名が登場したのは1969年(昭和44)の雑誌「PHP」。「やなせメルヘン」と称される、創作メルヘンと挿絵で構成されている小作品だ。これにはボロボロのマントを着た太ったおじさんが、食べ物のない子どもたちにアンパンを配るという物語が描かれた。

ライト&ライフ(四国電力株式会社)サイトより

ネット上では、「初代あんぱんまんのモデルは屋村では?」という声も上がっています。

嵩が「あんぱんまん」の構想を思いつくためのきっかけとして、「ヤムおじさんと偶然どこかで出会う」という再会を妄想してみました。

そもそも「ジャムおじさん」は、「あんぱんまん」を生み出した張本人ですらね。

嵩が「あんぱんまん」をこの世に出すきっかけとして、どこかで屋村が関わってくる可能性が高いです。

この頃の嵩は東京で生活しているので、やはりヤムおじさんの行き先は「東京」の線が濃厚な気がします。

しかし、その頃は、ヤムおじさんは「おじさん」というよりも、80歳近いおじいちゃんになっているかも・・・。

「ヤムおじいちゃん」になっているかもしれませんが、再会や再登場のシーンを楽しみに待ちましょう!

今後のあらすじが公開され次第、追記させていただきます。


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