朝ドラ「ばけばけ」で、ヘブン先生と結ばれ、有名人となった松野トキ。
しかし、松野家の借金完済のことが新聞に載ると「ラシャメン」と呼ばれ、周囲の人から嫌がらせを受けるようになっていきます。
それが、今後の熊本への転居のきっかけにもなるようです。
この流れは、モデルの小泉八雲と妻の史実に基づいたものなのでしょうか?
そこで今回は、
- 【ばけばけ】トキへの嫌がらせは史実?小泉八雲の妻が本当に受けた?
- 小泉八雲が熊本に転居した史実と理由は?
- 【結論】小泉八雲の妻は「ラシャメン」だったのか?
について詳しく解説していきます。
【ばけばけ】トキへの嫌がらせは史実?小泉八雲の妻が本当に受けた?

お金のことを伝える新聞記事や「ラシャメン」と言われて嫌がらせを受けていたことは、ほぼ史実通りです。
何があったのか、詳しく見ていきましょう。
実際の新聞記事
朝ドラ「ばけばけ」では、「松野家の借金完済」が新聞に載ったことをきっかけに、トキへの風当たりが強くなっていく展開です。
史実でも、当時の新聞記事(山陰新聞など)に、プライベートなことや金銭事情が赤裸々に掲載されていました。
当時の報道内容
- セツのことを「妻」ではなく「妾(めかけ)」と記載
- セツの実家(小泉家)の貧困ぶりについて「母親は乞食(こじき)同然にまで落ちぶれていた」と表現
- 「金15円を与え、家を借り、道具や米も与えた」という具体的な援助内容を記載
以下が、実際の記事を現代文に訳したものです。
明治24年(1891年)6月28日(日)
引用:山陰新聞(1891年6月28日)
●人間いたるところ青山あり
最近のこと、中学校教師のヘルン氏(小泉八雲)がある人に向かってこう言った。
「私は月給100円をもらっているが、1ヶ月で足りなくなるくらい使い切ってしまう・・・
(中略)
また、ヘルン氏の妾(セツ)は、南田町の稲垣某の養女であり、その実家は小泉某という家だが、小泉家は次第に没落して母親は乞食(こじき)同然の状態にまでなっていた。
しかし、この妾といわれる女性は非常に親孝行で、養父の方はもちろん、実母へも自分の欲を削いで物を分け与えるなどの心がけを持っていた。
それを(ヘルン氏が)賞賛して、ヘルン氏から15円のお金を与え、殿町に家を借りてやり、道具などを与え、それ以来、米なども与えるようにしたということだ。
この記事が、好奇の目に晒されるきっかけになったかは不明です。
しかし、「お金のために一緒になった」という世間の偏見を増長させた可能性は高いでしょう。
嫌がらせの内容
では、具体的にどんな嫌がらせを受けたのでしょうか?
実は、小泉セツ自身の著書『思い出の記』には、差別や嫌がらせについては一切書かれていません。
彼女は武家の娘としての誇りから、辛い記憶を文字に残すことを選ばなかったのでしょう。
しかし、周囲の証言がわずかながら残っています。
息子の証言:宿泊先での無礼
セツさん夫妻の息子・小泉一雄さんは、あるエピソードを回想しています。
一家で家族旅行に出かけた時のこと。
宿泊先の人が西洋人である父には丁寧に接する一方で、連れ添っているセツに対しては、正式な妻ではなく、見下すような態度を取ることが度々あったようです。
八雲は、そのような宿側の態度に敏感でした。
たとえ夜であってもすぐに宿を変えて、セツさんを守ったそうです。
義理の娘の証言:一生の心の傷
研究家・長谷川洋二氏の取材では、晩年のセツさんが義理の娘(次男の妻・小泉翠さん)にだけ漏らした本音が明らかになっています。
ハーンと一緒になった後、「人が皆、洋妾(ラシャメン)、洋妾(ラシャメン)と言う」ことが一番辛かったと、セツは晩年、嫁の翠さんに語ったと言う。
引用:長谷川洋二「八雲の妻・小泉セツの生涯」
「ラシャメン」と陰口を叩かれたり、差別を受ける機会が多くあったのでしょう。
当時の「ラシャメン」への差別や嫌がらせは、
- 店で物を売ってもらえない
- 銭湯への入浴を拒否される
など、生活に支障をきたすものもあったようです。
※セツさんが実際に受けていたかは不明です。
セツさんの強さ
しかし、八雲とセツのひ孫にあたる小泉凡(ぼん)氏は、インタビューで「セツはそういったこと(ラシャメンの偏見)をあまり気にしていなかった」とも語っています。
当時はまだ「国際結婚」という言葉自体がなくて、外国人との結婚は「雑婚」と呼ばれていました。外国人の妻は「洋妾(ラシャメン)」つまり西洋人の妾と蔑まれていた時代です。ただ、セツはそういったことを気にしていなかったようです。
引用:“朝ドラ”で注目!小泉八雲とセツの生き方「2人とも“オープン・マインド”、開かれた精神を持つ人でした」ひ孫の小泉凡さん
実母のチエさん譲りの「肝の据わった性格」で、世間体よりも自分の信念を大切にしていたと分析されています。
心の中では「ラシャメン」と呼ばれて傷つきながらも、八雲を信じて愛を貫いていたのですね。
小泉八雲が熊本に転居した史実と理由は?

「ばけばけ」では、「ラシャメン」と呼ばれて苦しむトキを守るため、新天地の熊本へ転居する流れとなります。
小泉八雲の史実では、
- 松江の寒さ(健康上の理由)
- 給料の高さ(経済的な理由)
から熊本への転居を決めたとされています。
一方で、小泉八雲は、松江の地をとても愛していました。
表面上には現れていませんが、やはり「ラシャメンと言われる世間の偏見をリセットしたい」という気持ちもあったのではないかと思われます。
寒さが苦手
八雲自身が周囲に語った最大の理由は「気候」です。
彼は来日前、カリブ海のマルティニーク島など暖かい地域で暮らしており、寒さが大の苦手だったのです。
一方、山陰・松江の冬は湿気が多く、底冷えが厳しいことで有名です。
気管支が弱かった八雲は、隙間風の入る日本家屋での冬に耐えきれず、「このままでは寒さで死んでしまう」と手紙に書くほど追い詰められていました。
より暖かい九州地方(熊本)への転居は、健康を守るための選択でした。
「ばけばけ」でも、ヘブン先生が「寒さに弱い」というエピソードが描かれていましたね。
給料が2倍
松江の「尋常中学校」から、熊本の「第五高等中学校(現在の熊本大学)」への栄転が決まった小泉八雲。
なんと月給は100円から一気に200円へと倍増しました。
当時の200円は破格の待遇です。
稲垣家と小泉家の2つの家族を養うためにも、断る理由はありませんでした。
※200円は、現在の価値で400万円〜600万円ほど。(年収ではなく月給)
妻を守るため
そして、これらの最もらしい理由の裏には、「松江というコミュニティからの脱出」という動機も考えられます。
新聞には「妾」や「実家は乞食同然」と書かれ、好奇の目にさらされ続ける生活。
ストレス以上の何物でもありません。
最終的に、愛着ある松江を去る決断に至ったのは、やはり「妻を守るため」「平穏な生活を送るため」という真の目的が隠されていたのではないでしょうか。
【結論】小泉八雲の妻は「ラシャメン」だったのか?

様々な資料を整理すると、
ラシャメンだったのかもしれないが、真実は分からない
という結論に至っています。
それは、二人の出会いの始まりが、グレーゾーンだったためです。
親友は「妾」と認識
小泉八雲の親友であり、ドラマの錦織(演:吉沢亮)のモデルとなった西田千太郎。
彼の日記では、セツのことをはっきりと「愛妾」や「妾」と記しています。
「ばけばけ」では、「錦織の勘違い」のような描写になっていたのは、この史実から来ているのだと思われます。
気になるポイント
- 「妾」は西田の誤解?
- 「正妻ではない」という真実?
当時は国際結婚が珍しかったため、「正式に結婚してないから妾(愛人)」という認識だったのかもしれません。
ただ、興味深いのは、後にこの日記を見た千太郎の息子が、「妾」と書いた部分を「セツ氏」などと書き換えた形跡が残っていることです。
後世の人々にとっても、この事実は「隠しておきたい不名誉な表現」だったことがわかります。
制作側も「分からない」
実は、朝ドラ「ばけばけ」の制作統括も、インタビュー記事の中でこのように述べています。
橋爪さんは「トキのモデルとなった小泉セツさんが本当にラシャメンだったのかは、記録に残っていないのでよく分からないんです」と明かす。
引用:<ばけばけ>トキのモデル・小泉セツは“ラシャメン”だった? “覚悟の第6週”で制作統括が描きたかったこと「逃げずに正面から向き合っていきたい」
セツさんが最初に屋敷へ入った時、それが「純粋なお手伝いさん」としての契約だったのか、それとも「ラシャメン」としての含みがあったのかは分からない、と。
史実でも、ただの女中としては破格のお給金だったようです。
ドラマでは、「お金のため」というグレーゾーンから始まり、そこから「本物の夫婦」になっていく過程が描かれています。
それはこの「わからなさ」を尊重しつつも、名誉を傷つけない配慮からでしょう。
息子側は否定
一方で、息子の小泉一雄さんは著書の中で、世間の「ラシャメン」説を真っ向から否定しています。
「父は極めて潔癖な性格であり、金で女性を囲うような卑しい真似ができる人間ではない」
一雄さんは、父・八雲の道徳的で厳格な性格を理由にしています。
そのため、「単なる愛欲や金銭の契約であったはずがない」と訴え、両親の名誉を守ろうとしていました。
否定できない悔しさ
「ばけばけ」でトキは、「ラシャメン覚悟」でヘブン先生の女中になることを決めました。
女中になる最初の動機が「家計を助けるため」だったこと。
これは、小泉セツさんの史実でも事実だと考えられます。
セツさん自身も、実母が「物乞い」をしている姿に酷く心を痛めていたようです。
そのため、何より彼女自身を苦しめたのは、ラシャメンという世間の噂を「完全否定できない」という悔しさだったはずです。
否定できない事実
- 最初の動機が「家計を助けるため」だったこと
- 八雲の援助によって実家の借金が消えたこと
たとえ今、二人の間に真実の愛があろうとも・・・
「もともとは金のためだったんだろ?」と言われた時、彼女は言い返す言葉を持っていなかったのではないでしょうか。
この「言い訳できないもどかしさ」こそが、彼女が晩年まで抱え続けた「ラシャメンと呼ばれた辛さ」の正体だったのかもしれません。
まとめ
今回は、朝ドラ「ばけばけ」で描かれる「ラシャメン」について詳しく深掘りしました。
記事のポイント
- 新聞記事は事実
当時の新聞では「妾」や「乞食」という言葉でプライバシーが暴かれていた。 - 嫌がらせはあった
セツさんが「ラシャメン」と呼ばれたり、差別されることは実際にあったが、八雲がその度に怒って守っていた。 - 差別を乗り越えて
セツさん本人は晩年まで「ラシャメン」と呼ばれた傷を抱えていましたが、実母譲りの心の強さを持っていた。 - 結論はグレー
セツさんが最初の段階で「ラシャメン」だったのか、「ただの女中」だったのかは不明。
二人がいつの段階で、どのように関係が変化していったのかは不明ですが、最終的には「深い愛で結ばれた夫婦」となっています。
「ばけばけ」が描こうとしているのは、綺麗事の純愛ではなく、うらめしい中でも密かに愛を育てていったリアルな夫婦像なのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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