朝ドラ「ばけばけ」で再注目されている小泉八雲の作品。
今回は、第21週以降の熊本編で登場する「人形の墓」というお話について深掘りします。
一体、どのようなお話なのでしょうか?
呪われてしまった”おイセ”の物語が実話なのかも気になりますよね!
この記事では、
- 小泉八雲「人形の墓」のあらすじと結末は?
- 小泉八雲「人形の墓」は実話?
(熊本の風習・登場人物と史実の比較)
について詳しく解説していきます。
小泉八雲「人形の墓」のあらすじと結末は?

「ばけばけ」に登場する「人形の墓」。
このエピソードの元になったのが、小泉八雲の作品集『仏陀の国の落穂(1897年)』に収録された短編物語です。
どんなお話かと言うと、
両親を亡くした少女の家族が、次々と不幸に見舞われてしまう
というもの。
実際に、熊本・阿蘇エリアにあった「恐ろしい迷信(呪い)」がもたらす不幸の連鎖が対話形式でまとめられています。
しかし、この「人形の墓」の終わり方は、ただ「可哀想」「怖い」というだけでは終わりません。
聞き手である「私(八雲)」が、「少女の呪いを自ら引き受ける」という温かく救いのある終わり方となっているのです。
では、実際に、詳しいあらすじを見ていきましょう!
※「人形の墓」は、私(八雲)と万右衛門(老僕)が聞き手となり、10歳ぐらいの少女・イネが身の上話を始めるところからスタートします。
突然訪れた不幸
「うちには、6人いました・・・」
イネ(稲)の家族は、表具屋の父と髪結いの母、祖母、兄と妹の6人家族。
お金の心配もなく、何不自由なく暮らしていたそうです。
しかし、暑い季節の最中、父親が急死。
さらに、そのわずか8日後には、母親もあっけなく亡くなってしまったのです。
作られなかった「人形の墓」
近所の人々は、ひどく恐れました。
「一軒の家から同じ年に二人死人が出ると、三人目も死ぬのだ」と。
そして、二人の墓の脇に、もう一つ小さな藁人形を入れる「人形の墓」をすぐに作るよう忠告します。
不幸の連鎖を止めるための「身代わりになる」と信じられていた風習です。
しかし、イネの家はお金が無かったからか、墓作りは先延ばしに・・・。
結局、人形の墓は作られませんでした。
兄を襲った呪い
その後、一家の大黒柱となった19歳の兄も、母の死から四十七日目に倒れてしまいます。
熱に浮かされた兄。
母の霊に呼ばれるように、うわ言を言い始めました。
母さん、じきに私も参ります・・・。
母の霊が、自分の袖を引っ張っているというのです。
それを見た祖母は、床をきつく踏みつけて、泣きながら母の霊を叱りつけます。
たか(母)、お前のしていることは間違っておる!
しかし、そんな必死の抵抗も虚しく、兄も亡くなってしまうのでした。
残された二人の姉妹
さらに、不幸の連鎖は止まりません。
次の冬には、祖母もひっそりと息を引き取ってしまいました。
残された家族は、幼いイネと妹だけ・・・。
姉妹はそれぞれ別々の場所へ引き取られ、一家はおしまいとなってしまいました。
呪いを受け取る
身の上話を終えたイネは、立ち上がって帰ろうとします。
「私(八雲)」がイネの座っていた場所に立とうとすると、イネは万右衛門に合図を送り、必死に止めようとします。
他人の温もりが残っている場所に座ると、他人の不幸をみんな旦那様の中へいれてしまう、とこの子は言っています。
イネは旦那様に、まずその畳をトントンとお叩きください、と願っています。
しかし、私(八雲)は、儀式(まじない)をせずにそのまま座ります。
それを見た万右衛門は笑い、イネに優しく語りかけました。
旦那様はおまえの心配事や不仕合わせをお引きくださったのだよ。
お前は心配しなくてもいいよ。
小泉八雲「人形の墓」は実話?

この恐ろしくも温かい物語ですが、実は完全なフィクションではなく、
小泉八雲が経験した出来事や実在の人物・風習がモデル
となっていると言われています!
作品・ドラマ・実話での登場人物を整理すると、以下のとおりです。
| 作品 | ばけばけ | 史実 |
|---|---|---|
| 私 | ヘブン | 八雲 |
| イネ | イセ | お梅 |
| 万右衛門 | トキ | セツ |
作中に登場する要素と、史実や朝ドラ「ばけばけ」での設定を比較しながら、物語の背景を詳しく見ていきましょう。
イネの実在モデルは「お梅」
物語の中で悲痛な身の上を語る少女「イネ」には、実在のモデルがいました。
それは、八雲が熊本時代に雇っていた「お梅」という10歳から11歳ほどの子守娘です。
お梅は実際に両親を立て続けに亡くしており、その過酷な境遇を哀れんだ八雲たちが小泉家に迎え入れました。
朝ドラ「ばけばけ」では、このお梅を参考にした「吉野イセ(おイセ)」という女性が登場します。
史実や小説では10歳前後の子供ですが、ドラマでは「10歳で呪いが始まり、過酷な運命を生き延びてきた大人の女性」としてアレンジされているのが特徴です 。

熊本の恐ろしい風習
一家の不幸の連鎖を食い止めるため、近所の人が勧めた「人形の墓」。
これも八雲の創作ではなく、実際に熊本県の阿蘇地方(黒川村や宮地町など)に伝わっていた習俗のようです。
当時は、家に2人続けて死人が出ると「3人目が続かぬようワラ人形を作って葬式をしなければいけない」という言い伝えがあり、現地では「スラバカ(ソラ墓)」などと呼ばれていました。
しかし、現在では、その風習は残っていないようです。
「万右衛門」は「セツ」
「イネ」に優しく語りかけ、八雲との橋渡しをした老僕の「万右衛門」。
万右衛門といえば、八雲の妻・セツの祖父の名前ですが、実際には、セツ本人がモデルだとされています。
史実では、お梅から身の上話を聞き出し、それを八雲に伝えたのはセツだったんだとか。
また、最後にイネが「畳を叩いて座るように」と願った風習。
これは、実は熊本のものではなく、セツたちの出身地・出雲(島根県)地方の俗説です。
つまり、八雲は、熊本の「風習」と出雲の「まじない」を組み合わせることで、少女の呪いを解く祈りを込めたのだと考えられます。
「お梅」は幸せになった
史実のお梅(いね)は、その後も呪いを背負い続けてしまったのでしょうか?
実は、とても安心する後日談が残っています!
小泉家でお手伝いとして約8年間大切に育てられたお梅は、その後、郷里の熊本へ帰って結婚。
「幸福に暮らした」と伝えられています 。
物語の最後で、八雲があえて「まじない」をせずに座ったように、セツさんも同じことをしていたのかもしれません。
朝ドラ「ばけばけ」のトキとイセのシーンは、そのような実話をイメージして作られたのでしょう!
まとめ
今回は、朝ドラ「ばけばけ」で注目される小泉八雲の「人形の墓」について、あらすじや実話との関係をご紹介しました。
記事のポイント
- 悲しいお話と温かい結末:
熊本の阿蘇地域にあった言い伝えがもたらす、ある一家の不幸(呪い)を描き、八雲の優しさが呪いを受け止める救いのあるストーリー。 - 実在のモデルと風習:
少女「イネ」には「お梅」という実在のモデルがおり、熊本のリアルな風習(ソラ墓)や出雲のまじないが物語のベースになっている。 - 史実のハッピーエンド:
モデルとなったお梅が、八雲夫妻の愛情を受けてその後幸せな人生を送った。
恐ろしい怪談のように見えて、実は八雲と妻・セツの深い愛情が感じられるこの作品。
朝ドラ「ばけばけ」の熊本編で、このエピソードがどのように映像化され、トキとイセがどう心を通わせていくのか・・・
今後の放送がますます楽しみになりますね。
動画でも詳しく解説しています!




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