2025年前期のNHK朝ドラ「あんぱん」。
ヒロイン・のぶ(今田美桜)は若松次郎(中島歩)という船乗りの男性と結婚しましたね。
将来的に、のぶは幼馴染の柳井嵩(北村匠海)と再婚することになりますが・・・
次郎はその後どうなってしまうのか気になりますよね。
そこで今回は、
- あんぱん次郎はどうなる?航海から帰ってくる?
- 史実での再会やその後の展開は?
について詳しくご紹介していきます。
この記事は、朝ドラの今後の展開を含んでいますので閲覧にはご注意ください。
あんぱん次郎の航海はどうなる?再会や帰ってくる?
次郎について、時系列では以下の通りです。
時期 | 出来事 |
---|---|
【10週】1941年12月 | 次郎の船が軍用に徴用→危険な航海へ旅立つ |
【12週】1945年春〜夏頃(終戦間際) | 次郎が下船してのぶと再会する |
詳しく見ていきましょう。
【10週】船は軍用・次郎は軍属へ
もともと次郎は、「輸送船」に乗る一等機関士です。
あんぱん第10週「生きろ」では、次郎の乗る船が「軍用」に改修されるというエピソードが出てきます。
〜あんぱん第10週〜

予定より早う船を降りて帰って来れたがは、船を軍用の輸送船に改修しゆうきながよ。



次の航海からは、これまでのような貿易や旅行でなく、兵の人員や物資を運ぶために行くがや
この時の時代設定は、1941年12月頃です。
ちょうど日本がアメリカに戦いを仕掛けた直後で、戦況は悪化を辿っていました。
そして、1940年代、多くの民間の船がこのように軍用に徴用されています。
これにより、民間人として輸送船に乗務していた船員たちは、「軍属」へと身分が変更。
軍の命令に従い、危険な任務と運命を共にすることになりました。
「あんぱん」の若松次郎も、次に「ぱたごにあ丸」に乗船した時から、危険と隣り合わせになっていくのです。


そうなることが分かっていたため、次郎は大切なカメラをのぶに託します。
【12週】次郎が下船する
次郎が下船し、のぶと再会するシーンが描かれるのは、あんぱん第12週「逆転しない正義」です。
次郎が航海に旅立ったのは、1941年末でした。
それから、出航から3年以上経った1945年春〜夏頃に、次郎とのぶは再会します。
その間も次郎からの手紙が届いていましたが、直接会うことができたのは数年ぶりということになります。
しかし、次郎が下船した理由は「病気療養のため」でした。
そのため、のぶと次郎が再会できたのは、病院のベッドの上だったのです・・・。
〜あんぱん第12週〜



次郎さん!
よかった、お元気そうで・・・



ごめん。実は大したことないがや。
ハガキには少し大袈裟に書いてしもた。



今はお体を治すことだけ考えてください。
次郎さんにこうして会えただけで、嬉しいがです!
ベッドの上でも、元気そうに振る舞う次郎。
しかし、船上でどんな経験をしたのかは話そうとしませんでした。
数年間の壮絶な航海は、次郎の体だけでなく、心にも深い傷を残していたのです。
あんぱん次郎の病気はどうなる?その後を史実から!
あんぱんのヒロイン・のぶが後に嵩と再婚することは周知の事実です。
すると、「次郎とはどのようにして別れるのだろう?」と気になっている人も多いはずです。
実は、最初の夫・若松次郎は、病気により帰らぬ人となってしまうことが判明しています。
これは、小松暢さん(のぶのモデル)の史実に基づいたエピソードになります。
詳しく見ていきましょう。
次郎の病気は「肺浸潤」
あんぱんで次郎は、「肺浸潤(初期の肺結核)」と診断されています。
結核菌が肺に感染し、病巣を形成することで肺浸潤(初期の肺結核)となる。初期症状は風邪に似ていて、咳や痰、微熱、倦怠感などが2週間以上続くのが特徴。早期発見と薬による治療が重要だが、1940年代は抗生物質がまだ普及していなかったため、亡くなる人が多かった。
1940年代の日本においては、結核は「国民病」と呼ばれていました。
この時期は、食料不足による栄養状態の悪化や、公衆衛生の不備などにより、蔓延しやすい状態にあったのです。
歴代の朝ドラでも、結核で亡くなる登場人物がたびたび描かれています。
作品名 | 結核で亡くなった登場人物 | 放送年 | 備考 |
---|---|---|---|
とと姉ちゃん | 小橋竹蔵(西島秀俊) | 2016年 | 物語序盤で結核で他界。ヒロインの父。 |
ブギウギ | 村山愛助(水上恒司) | 2023年 | ヒロイン・スズ子の恋人。結核で入院・療養の末に他界。 |
※ブギウギでは、愛助の母・トミ(小雪)もその後、結核で亡くなったとされる。
終戦直後に亡くなる
次郎が病気で船を降りたのは、1945年春〜夏頃でした。
のぶは高知市内と病院を行き来しながら、次郎を懸命に支えていました。
広島・呉の病院で療養していた次郎。
残念ながら、1946年1月に静かに息を引き取ることになります。
次郎との別れが描かれるのは、あんぱん第13週「サラバ涙」です。
〜あんぱん第13週〜
のぶの元に「次郎の容態が急変した」という電報が届きます。
次郎は血の混ざった咳が止まらず、昏睡状態となっていました。



次郎さん・・・
のぶが手を握りしめると、次郎は薄く目を開けます。



のぶさん・・・母さん・・・
静かに微笑むと、そのまま次郎は息を引き取りました。
「この戦いが終わったら・・・」という次郎の夢はついに叶いませんでした。
しかし、病床にいた次郎は「新たな夢」を見つけていたのです。
のぶはその夢を引き継ぎ、次郎が遺した「速記」と「カメラ」で新たな道を進んでいくことになります。


史実とは年代・年齢が異なる
高知新聞社の取材によれば、次郎のモデル・小松総一郎さんも「結核」が原因で亡くなったとされています。
しかし、実は、史実とドラマでは、年齢や時代が少し異なっています。
ドラマ(若松次郎) | 史実(小松総一郎) | |
---|---|---|
結婚した年齢 | 30歳 | 26歳 |
亡くなる年齢 | 36〜37歳 | 33歳 |
のぶとの年の差 | 10歳 | 6歳 |
療養期間 | 1945年〜1946年(1年未満) | 1943年〜1946年(約3年間) |
このように、ドラマと史実では、ドラマの方が年齢が3〜4歳上に設定されています。
また、病気の療養期間も、ドラマでは1年未満ですが、史実では3年間となっています。
高知市で3年ほど療養し、終戦後の1946年1月19日、33歳で亡くなった。
高知新聞社「やなせたかし はじまりの物語」より
「あんぱん」では、のぶと次郎の年の差を多くした理由はなぜなのでしょうか?
これは推測ですが・・・
「大人の魅力と経済的安定感のある次郎」と「未熟でたっすい青年の嵩」を対比させる意図があったのでは?と考えています。
史実では、小松暢さんとやなせたかしさんは幼馴染ではありません。
そのため、のぶが嵩ではなく、次郎を選ぶことを視聴者に納得させるために、年齢設定を高くしたのではないかと推測しています。
また、次郎の療養期間を短くしたのは、「嵩のシーン(戦時中)」をしっかり描くために、のぶパートを短くするためなのではないかと思われます。
あんぱん次郎が「しょくぱんまん」の可能性についてはこちらの記事で考察しています。


まとめ
今回は、朝ドラ「あんぱん」でのヒロインの夫・若松次郎について詳しく取り上げました。
まとめると、
- 次郎は約3年の航海を経て下船
- 下船した理由は「結核」の発症
- その後は1年ほど療養して亡くなる
ということになります。
中島歩さん演じる次郎さんのファンは多いのではないでしょうか?
次郎との別れは辛いシーンとなると思いますが、それらも含めて「あんぱん」を見守っていきましょう・・・!
のぶと嵩の結婚(再婚)はいつになるのか、こちらの記事で解説しています。


あんぱん健太郎はどうなる?帰ってくる?については知りたい方は、こちらもどうぞ。


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