やなせたかし夫婦をモデルにした2025年上半期の朝ドラ「あんぱん」。
ヒロイン・のぶのお見合い相手として登場する「若松次郎(わかまつ・じろう)」という男性は、カメラの趣味があり、速記の技術の持ち主です。
そんな若松次郎のモデルと言われているのが、「小松総一郎(こまつ・そういちろ)」という実在する高知の男性です。
この男性は、朝田のぶの人生に大きな影響を与える人物となっていきます。
そこで今回は、
- あんぱん若松次郎のカメラのメーカーはどこの?
- あんぱん若松次郎のカメラの趣味は本当?
- あんぱん若松次郎の速記の史実とは?
について詳しくご紹介していきます。
【あんぱん】若松次郎のカメラのメーカーはどこの?ライカ?
あんぱんの公式インスタグラムでは、「1930年代に製造された本物のカメラを撮影に使っている」という紹介がされています。
次郎が肌身離さず持ち歩いているカメラ
あんぱん公式インスタグラム
1930年代の当時に製造された、本物のカメラです
貴重なものをお借りして、撮影に使用しています。


この写真から、次郎が持っているカメラのメーカーを特定しました!
次郎のカメラは「ライカIII型カメラ」
NHKのため、具体的なメーカー名や品番こそ公表されていませんが、この写真のカメラは、「ライカIII型カメラ」と呼ばれるものと思われます。
「ライカ」といえば、次郎が言っていたように「ドイツ」の有名なカメラメーカーです。
「ライカのカメラ」と一度は聞いたことがある人も多いと思いますが、高品質なカメラを製造することで知られています。
アニメ「ちびまる子ちゃん」のたまちゃんのパパもライカのカメラを愛用していますよね。
これが噂のたまちゃんパパ ライカM4ユーザー、、 pic.twitter.com/4ln0DYrywF
— ワ樽 (@watarugapyun12) February 13, 2016
「あんぱん」で使用されている「ライカIII」は、1930年代から1950年代にかけて製造されたバルナック型ライカの一種で、そのコンパクトさと優れた光学性能で人気を博しました。
次郎のカメラの値段はどのくらい?
ライカのカメラは、職人の手作りで製造されており、大量生産されていないため、高価な価格帯で販売されています。
次郎が持っている「ライカIII」は、1930年代では、
1台の価格:800円〜1,200円
という価格でした。
当時のライカのカメラは非常に高級品でした。
1,000円で家が買える時代でしたから、現代の数百万円の価値があったと考えられます。
30歳の次郎のお給料で買えるような代物だったのでしょうか?
実は、当時の外航船乗組員の給与はかなりの高水準で、月給は150円〜250円前後もあったようです。
※1940年前後の教員初任給は、月給約50円程度だったので、妻のぶの3倍〜5倍の給料。
乗船中は食費や宿泊費もかからず、貯まるお金が多かったこともあり、少し奮発すれば高級品を買うこともできたのでしょう。
ちょっとしたセレブという感じですね!
2025年現在の中古市場では、いくらくらいなのでしょうか?
「ライカIII型カメラ」は、状態やレンズにもよりますが、1台100,000円〜200,000円くらいで取引されていることが多いようです。
希少なモデルは20万円以上することもありますが、1930年〜1940年代に比べれば安いものですね。
【あんぱん】若松次郎(小松総一郎)のカメラの趣味や史実とは?
若松次郎のモデルは小松総一郎
そんな若松次郎のモデルは、のぶさんの最初の夫である「小松総一郎」さんと思われます。
二人の共通点は以下の通りです。
若松次郎と小松総一郎の共通点
若松次郎(ドラマ) | 小松総一郎(史実) | |
---|---|---|
出身地 | 高知県 | 高知県 |
職業 | 一等機関士 | 一等機関士 |
学歴 | 商船学校卒 | 神戸高等商船学校卒 (現:神戸大学) |
史実では、1939年、のぶさんが20歳、総一郎さんが26歳の時に結婚をされています。
しかし、その約7年後に小松総一郎さんは結核を患い、33歳で亡くなられています。
妻にカメラを贈った史実
「あんぱん」と同じように、史実でも、小松総一郎さんはライカのカメラを妻のぶさんに贈ったというエピソードがあります。
親族によると「総一郎さんはハイカラな方でライカのカメラを暢さんに贈ったそうです」。
高知新聞社「やなせたかし はじまりの物語」より
これは実話に基づくエピソードだったということですね!
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カメラが趣味だった
「あんぱん」では、若松次郎はカメラの趣味を持つ人物として印象的に描かれています。
一方で、小松総一郎さんも、カメラが趣味だったことが分かっています。
これは、二番目の夫であるやなせたかしさんのエッセーの中で明らかになっています。
やなせさんは暢さんについて、エッセーで「ドイツ式の一眼レフカメラを持っていた」「速記の名手」と記している。亡くなった夫はカメラが趣味で、暢さんはライカ社のカメラを持っていたという。
【あんぱんの〝のぶ〟】女性記者・小松暢さんが残した仕事は 美容ページで「もつと美しくなれます」得意の速記、カメラ生かす―2人の始まり「月刊高知」(2)-1
当時の船乗りは、海外航路で輸入品を持ち帰ることが多く、「ライカ」「ローライ」などのドイツ製カメラを持っている人も多かったようです。
船乗りの趣味の1つとして、カメラ撮影をする人が多い時代でもあったことから、小松総一郎さんもその一人だった可能性があるでしょう。
親族からは「ハイカラな人」と言われるくらいですから、オシャレで多趣味な男性だったのではないでしょうか。
贈られたカメラを活用
史実では、小松暢さんは夫から贈られたカメラを仕事で活用していたことが分かっています。
夫を亡くした後、高知新聞社で記者として働くことになった暢さん。
在籍期間は1年にも満たなかったのですが、取材では、ドイツ製一眼レフカメラを持ち歩いていた記録が残っています。
新人記者の暢さんは、戦いで家族を失った子供達の現状を取材。
その後「月刊高知」という月刊誌の編集部で、やなせたかしさんと出会います。
やなせたかしさんは、新聞社時代の暢さんについて、このように語っています。
やなせさんは高知新聞社時代の暢さんについて「中根式速記の名手。ドイツ製一眼レフカメラを持ち、取材では大変役に立った」と振り返っている。
高知新聞社「やなせたかし はじまりの物語」より
「暢さん=カメラ」という印象が強かったように伺えます。
当時はまだ女性記者が珍しい時代でもあり、一眼レフカメラを使いこなす暢さんは、さぞ格好良く見えたことでしょう。
やなせたかしさんと暢さんの馴れ初めはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

【あんぱん】若松次郎(小松総一郎)の速記の史実とは?
速記とは、話された内容を高速で記録するための技術。
日本語では、主に「和文速記」(日本語の音節や文法を簡略化して記録する方式)が使われ、石井式、早稲田式、中根式などの流派が存在。
朝ドラ「あんぱん」では、若松次郎は”速記”で日記をつける人物として描かれています。
次郎が亡くなった後、遺された点や線で暗号のようなものが書かれたその日記を、のぶは速記の本を片手に解読していきます。
そこには、次郎からの”最後のメッセージ”が残されていました。
のぶは次郎からのこの言葉をきっかけに、速記の練習に打ち込んでいくことになります。
速記の名手だった
史実においても、小松暢さんは速記を習得しており、先ほどご紹介したように新聞社の同僚からは「速記の名手」と言われていました。
小松さんらが新聞社に入った時代は、まだレコーダーなどの録音機が出回っていませんでした。
そのため、取材での「速記の技術」はとても重宝されていたそうです。
速記ができる人は「速記者」と呼ばれ、後に暢さんは国会議員の秘書としてスカウトされるきっかけにもなりました。
小松暢さんの職歴についてはこちらの記事で解説しています。

小松家の支援で速記を習得
小松暢さんが速記を習得したきっかけが、夫・小松総一郎さんの影響だったのか?という点については、あまり情報がありません。
しかし、「小松家の支援で(速記を)身につけた」と暢さんが語っていたことが分かっています。
速記は小松家の支援で身に付けた、と暢さんが周囲に語っていた。総一郎さんは病気療養のころから、自分が亡き後の妻の自立を支えようとしていたのだろう。
高知新聞社「やなせたかし はじまりの物語」より
小松総一郎さんは、結核を患い、3年ほど闘病生活を送っていました。
そのため、「もし自分がいなくなっても、速記の技術があれば役に立つだろう」と思った総一郎さんが暢さんに習得を勧めた可能性がありそうです。
朝ドラ「あんぱん」では、のぶは独学で速記を習得し、市場などで実地練習をしていくシーンが描かれます。
史実では、どのように速記を身に付けたのでしょうか?
当時、速記を身につける方法としては、
- 専門学校(東京や大阪)
- 通信教育
- 職業訓練
- 独学
などがありました。
特に、速記の専門学校は、事務職を希望する女性の間で人気で、男性の中でも記者や公務員を目指す人が通っていました。
「小松家の支援で身に付けた」という暢さんの言葉から、「習得のための費用を支援してもらった」と読み解くことができます。
夫の総一郎さんは、高知市で病気療養していたため、東京や大阪などの専門学校に通うことは現実的ではありません。
おそらく、この頃の暢さんは夫の看病をしながら、「通信教育」などで速記の勉強をしていたのではないかと推測できます。
暢さんは、夫が亡くなった8日後に「記者募集」の記事に応募するという驚くべき行動力の持ち主でした。
きっと、「これだ!」とピンときたものがあったのでしょう。
高知新聞社に入社した後、亡き夫のおかげで習得した「カメラ」や「速記」の技術を活かして記者として活躍することになります。
中根式速記とは
小松暢さんの速記は「中根式速記」と呼ばれるものでした。
1914年に中根正親(なかね・まさちか)によって創案された速記方式で、幾何派(線や円を基にした符号体系)に属している。明治期から昭和期にかけて日本の速記界で広く普及し、新聞記者、国会速記者、事務職など多くの分野で活用された。
中根式速記は、以下のような一筆で書ける符号で構成されています。
中根式速記術符号を整理してみた。#中根式 #速記 pic.twitter.com/1Kc3w1nh7w
— 栃𛀧𛂄𛁐・ユズノカ(栃木那須・柚之香) (@nasu_yuzunoka) June 13, 2024
これにより、筆記速度が向上し、初心者でも学びやすく汎用性が高い速記技術とされていました。
「中根式速記」を身につけるための学習期間の目安は以下の通りです。
- 初級(毎分70~80語):3~6か月
- 実務レベル(毎分100~120語):6か月~1年
- 上級(毎分150語以上):1~2年の継続練習
早ければ約半年ほどで、仕事で使えるレベルにまで上達することができるということですね!
1930年以降は、高校でも部活に「速記部」ができたり、「速記競技大会」などで技を競い合いながら楽しく学べる機会もありました。
しかし、1960年以降は、レコーダーやコンピューターなどの普及により、「中根式速記」が学べる機会はほとんどなくなってしまいました。
現代でも、個人用途の速記法(例:EPSEMS)に中根式速記が生かされていたり、関西大学の「速記部」で一部が継承されている(山根式)ようです。
【成り立ち】
— 関西大学文化会速記部 (@kandaisokkibu) April 10, 2020
山根式は関西大学速記部で採用されている速記方式の一つで、
現在関西学院大学で使われている方式である中根式から派生した速記方式です!
細かく言いますと、中根式を修めた人が生み出した国字式から、さらに派生した山根式が考案されました🐣🐣
#春から関大
#速記 pic.twitter.com/wCGoACkp8A
以上が、朝ドラ「あんぱん」の若松次郎(モデル・小松総一郎)のカメラや速記の史実についてでした。
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コメント
コメント一覧 (2件)
ライターさん頑張って書いたのかもしれないのですが、速記のところは読んでて全然わからなかったです。
中根式速記については、こっちのサイトとかも参考にされてください。
https://sokkidouraku.lsv.jp/sokkim/mokuji.html
その方もすばらしいアイデアがある方なのは承知していますが、あくまでも改変案です。
コメントありがとうございます。運営の者です。
参考にさせていただきます!