やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。
あんぱん第10週「生きろ」では、ついに柳井嵩(モデル:やなせたかし)にも赤紙が届き出征することになります。
嵩は高知で入隊した後、福岡県北九州市の「小倉連隊」に配属されることに。
これは、やなせたかし先生の史実に基づいたエピソードです。
高知から離れた「小倉」に入営したのは、”ある理由”があったからでした。
また、あんぱんでの嵩はそこで同級生と再会することになりますが、実話なのでしょうか?
そこで今回は、
- やなせたかしが小倉連隊に配属された理由とは?
- やなせたかしは小倉連隊で同級生に再会した?
について詳しく解説していきます!
やなせたかしの小倉連隊は史実!その切ない理由とは?

やなせたかしさんの戸籍には家族がいない状態(天涯孤独)だったため、何のゆかりもない福岡の「小倉連隊」に飛ばされたことが判明しています。
詳しくみていきましょう。
21歳で小倉連隊に入営
「あんぱん」の柳井嵩と同じように、製薬会社に勤めて1年も経たずして、やなせたかしさんは出征することになります。
1941年(昭和16年)1月。
満21歳を迎えたやなせたかしさんは、徴兵検査の後、福岡県北九州市の小倉の部隊に配属されました。
具体的には、「陸軍第十二師団野戦重砲兵第六聯隊の補充隊(通称・西部第七十三部隊)第一中隊」という部隊です。
嵩は福岡県の小倉にあった陸軍第十二師団野戦重砲兵第六聯隊の補充隊(通称・西部第七十三部隊)第一中隊に入営した。
梯 久美子. やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく (文春文庫) (p. 58).
本籍地以外の入隊になった理由
当時は、本籍地である「高知県」の部隊に入ることが一般的でした。
しかし、やなせたかしさんは、徴兵検査こそ本籍地(高知)で受けたものの、何のゆかりもない「小倉」へ配属されることになったのです。
その理由は、「やなせたかしさんの戸籍」にありました。
通常、戸籍というのは、親や兄弟などの家族全員が載っているものです。
一方、やなせたかしさんの場合、早くに父を亡くして除籍、母は再婚で除籍、弟も養子で除籍となり、「たった一人の戸籍」だったのです。
これは朝ドラ「あんぱん」でも、受験のために戸籍取り寄せた嵩が、こんなことを呟くシーンがありましたね。

ヤムさん、僕、何のために生まれてきたんだろう。
受験で取り寄せた戸籍を見た時、思った。俺は一人ぼっちなんだなって。
徴兵検査でやなせたかしさんの戸籍を見た検査官は、「貴様の戸籍はたった一人か。一身を捧げても泣く者はいないな。」と言い放ったそうです。
九州には誰ひとりとして知人がいない。心細いことになったが、これは検査官がぼくの身上調査表を見て、「貴様は父も母もなく、弟は養子に出て、戸籍ではたったひとりか。国家のために一身を捧げても泣く者はいないな。心おきなく忠節をつくせ。おめでとう」 と言った。
やなせ たかし. アンパンマンの遺書 (岩波現代文庫) (p. 56).
つまり、天涯孤独ならどこで散ってもかまわない、継ぐ家もないから誰も困らない・・・。
だから「どこの部隊に飛ばされてもいいだろう」とう理屈で、小倉連隊へと飛ばされたというのです。
心配されるやなせたかしさん
やなせたかしさんは、昔から命令されるのが嫌いで、団体行動というのも大の苦手だったそうです。
性格も穏やかでおとなしく、運動神経も良くない。
そんなやなせたかしさんが出征することになり、地元の高知の人は「脱走して高知に逃げてくるかも」と真剣に心配していたそうです。
朝ドラ「あんぱん」でも、母の登美子(松嶋菜々子)がこんなセリフを言っていましたよね。



子供の頃から気が弱いあなたが・・・軍隊なんて無理に決まってるでしょ。
これも史実に基づくエピソードでした。
さらに、やなせたかしさんが入営時の身上調査表には「軟弱にして気迫に欠ける。男性的気性の養成を要す」とまで書かれていたようです。
しかし、そのような心配をよそに、やなせたかしさんはしっかりと5年間の兵役を終えています。
近眼で「乙種合格」と判定されていたにもかかわらず、最終的には「軍曹」にまで昇進したのでした。
「軍曹」は、前線の即戦力として小隊(30~40人ほど)内で部下を直接指導する実務的なリーダーを指します。
現代の会社で例えるなら、大尉・中尉・少尉が「課長クラス」、軍曹・伍長が「チームリーダー」「現場のベテラン社員」「係長」といったレベル感です。
やなせたかしが小倉連隊で同級生と再会した史実は?


やなせたかしさんが軍隊で同級生と再会した史実はなく、ドラマ上の架空のストーリーである可能性が高いです。
詳しく見ていきましょう。
同級生との再会の史実はない
朝ドラ「あんぱん」では、高知で入隊した際に、小学校の同級生である「康太(コンタ)」と再会するシーンが描かれます。
そして、その後の「小倉連隊」や「中国」でも、小学校や芸術学校の同級生との”偶然の再会”が描かれます。
しかし、やなせたかしさんの関連図書からは「同級生と再会した」という史実は確認できていません。
やなせたかしさんにとって、九州の小倉とは、知り合いもなく、行ったこともない未知の土地でした。
朝ドラ「あんぱん」のように、同級生と再会できれば心強かったでしょうが・・・
現実はそう優しくはなかったようですね。
初兵たちの人気者に
一方で、やなせたかしさんは、後輩たちにとても慕われていたことがわかっています。
1942年に、「軍曹」に昇進したやなせたかしさん。
班長として新兵の教育も担当することになりましたが、やなせたかしさんは絶対に手を出さなかったそうです。
気がつくと、「世話係」という身の回りの世話をしてくれる初年兵が3人もつくようになります。
やなせたかしさんが慕われた理由は、手を出さないということはもちろん、「とにかく話が面白い」と言われて人気者になったことでした。
そうした経験もあって、嵩はあえて世話係をつけなかったのだが、するとなぜか進んで嵩の世話をしてくれる兵が出てきた。しかも三人もいる。嵩は不思議に思ったが、そういえば学生時代も、不器用な嵩を見かねて仲間の誰かしらが手伝ってくれたのだった。
気がつくと嵩は初年兵たちの人気者になっていた。殴らなかったこともあるが、とにかく話が面白いというのだ。会社員だったころの話をすると「班長どのが東京のデザイナーだったなんて、信じられないであります」と言われた。初年兵の母親から「息子がお世話になりました。班長さんがいい人でよかった」という手紙をもらったこともある。
梯 久美子. やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく (文春文庫) (p. 65).
このように、厳しい世界の中でも、やなせたかしさんの人柄に救われた新人たちが多かったことが伺えますね。
小倉連隊での再会のエピソードはなぜ?
朝ドラ「あんぱん」で、何人もの同級生との再会を描いたのは、なぜなのでしょうか?
これは推測ですが、
- 視聴者の感情移入を促すため
- ストーリーを盛り上げるため
- 戦いのシーンを和ませるため
などの理由があったのではないかと思います。
身近な若者が、このように戦いに出ていかなければならなかった・・・
そんな時代性を伝える意味もあったのではないでしょうか。
嵩の同級生・こんた(康太)のキャストはこちらの記事で紹介しています。


あんぱん健太郎はどうなる?についてはこちらの記事で解説しています。


やなせたかしさんの生涯についてもっと知りたい方は、こちらの本がおすすめです。
まとめ
今回は、やなせたかしさんが小倉連隊に配属されたエピソードと同級生との再会について解説しました。
まとめると、
- やなせたかしさんが小倉連隊になったのは天涯孤独だったから
- やなせたかしさんが小倉連隊で同級生と再会した史実はない
ということですね。
一方で、「あんぱん」では、のぶの夫・若松次郎の今後も気になります。
こちらの記事では、あんぱん次郎はどうなる?帰ってくる?について解説しています。


のぶと嵩が結婚する時期や年齢についてはこちらの記事もどうぞ。


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