小泉八雲夫婦をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」。
ヘブンの女中となったヒロイン・松野トキは、ビールを入手するために「山橋薬舗(やまはしやくほ)」という店を訪れます。
店主の山橋才児(やまはし・さいじ)
「山橋薬舗」は、松江で唯一ビールを取り扱う薬局(舶来品店)として登場。
そんな薬局のモデルは、実際に松江にあったのでしょうか?
そこで今回は、
- 【ばけばけ】ビールのお店(山橋薬舗)のモデルは松江に実在?
- 【ばけばけ】山橋薬舗のモデルの薬局の現在は?
- 小泉八雲が好んだビールの銘柄や値段は?
について詳しく解説していきます!
【ばけばけ】ビールのお店(山橋薬舗)のモデルは松江に実在?

ビールを購入した山橋薬舗のモデルは「橘泉堂山口卯兵衛商店」(現:山口薬局)である可能性が高いです。
「ばけばけ」のヘブンのモデルは小泉八雲さん。
松江に滞在中、実際にビールを毎晩のように飲んでいたという記録が残っています。
先生は夕食後には必ず朝日ビールを二本ずつ飲まれました。
引用:松江に於ける八雲の私生活(桑原羊次郎)
そんな八雲が松江にいたのは明治24年頃です。
その頃、松江でビールを扱っていた唯一のお店が、
橘泉堂・山口卯兵衛商店(きっせんどうやまぐちうへいしょうてん)
でした。
一体どのようなお店だったのか詳しくみていきましょう!
1772年創業の薬品商
「山口家」は、1772年(安永元年)創業の商家。
厳密には「薬品商」であり、明治20年(1887年)に出版された「山陰道商工便覧」にも掲載されている老舗でした。
当時のお店の様子を伝える写真(明治時代)がこちら。

店の前には20人ほどの従業員が並んでおり、かなり繁盛していたことが伺えます。
店の横には、「◯◯丸」や「◯◯散」など、薬関係の看板がいくつも掲げられていました。

「橘泉堂・山口卯兵衛商店」の店内は、このような感じだったようです。
ダース買いをしていた八雲
小泉八雲の家では、小泉セツさん(トキのモデル)が住み込み女中として働いていました。
その後、もう1人女中としてやってきたのがセツの親戚の高木八百(やお)です。
その八百の話では、先生のために「山口卯兵衛薬店」でビールを何ダースがまとめて買っていたという記録が残されています。
このビールは当時松江大橋北詰の山口卯兵衛薬店だけにあったかと思います。
引用:松江に於ける八雲の私生活(桑原羊次郎)
終始朝日ビール何ダースか買い置きして毎晩差し上げました。
ここではっきりと店名が出ていることからも、「ばけばけ」でトキが買いに行った店「山橋薬舗」のモデルだと分かりますよね。
ただ、「なぜ薬店にビール?」と気になる人も多いでしょう。
実は、当時はアルコール飲料全般が「滋養強壮」「食欲増進」などの目的で医薬品扱いされていました。
そのため、明治期には、薬品商が輸入ビールや国産ビールを仕入れてお店に置いていたことがよくあったようです。
当時は、ただの「嗜好品」ではなかったということですね。
八雲邸からは目と鼻の先
山橋薬舗のモデルと思われる「山口卯兵衛商店」。
先ほどの記録にある通り、「大橋北詰」周辺にありました。
小泉八雲が、冨田旅館を出て最初に移り住んだ借家は、末次本町の湖岸にあったとされています。
そのため、ほんの数軒先(店の裏手)という近い場所にあったことがわかりますね。
それだけお店が近ければ、「毎日ビール瓶2本」を習慣にすることも可能でしょう。
その後、小泉八雲は、北堀町の武家屋敷(現:小泉八雲旧居)に転居しますが、その後もビールの買い出しは続いていたようです。
女中の八百さんは一度ビールを切らしてしまったことがあり、山口薬店まで走って買いに行ったというエピソードが残っています。
ふと私は定刻に先生に差し上げます朝日ビールの残りがほとんどなくなっていたことを思い出しました。
引用:松江に於ける八雲の私生活(桑原羊次郎)
ところが早や時間がないためにこれは大変なことしたと狼狽し。
私は風呂焚きの際とて裸足でオマケに尻をはしおりながらそのままで駆け出で、大橋詰の山口薬店まで約十町ばかり(約1キロ)を往復して、呼吸も絶えだえで、ようやく時間通りに先生に朝日ビールを差し上げることができました。
それだけ小泉八雲が晩酌を毎日楽しみにしていたということが伝わってきます。
残念ながら当時の店主とのやりとりは残っておらず、「ばけばけ」の店主・山橋才児のモデルになる人物については情報がないのが現状です。
【ばけばけ】山橋薬舗のモデルの薬局の現在は?
山橋薬舗のモデルと思われる「橘泉堂山口卯兵衛商店」は、「山口薬局」として現在も営業されています。
創業250年以上経つこの薬局は、現在も松江の全く同じ場所で営業を続けておられます。
〒690-0843 島根県松江市末次本町34
現在も漢方調剤を行う
小泉八雲がビールを買っていたお店は現在も、
- 漢方薬
- 草木茶
- アンティークの瓶類
- 松江の手芸品やお土産
などの販売を続けておられます。
(さすがにビールの販売はもうされていないようです。※空瓶のみ)
建物も明治期のものそのまま。
店内では「まちかど博物館」というコーナーも。
貴重な骨董品や資料などが展示されており、レトロな雰囲気を感じることができる特別な空間となっています。
店の垂れ幕に八雲あり?
小泉八雲が松江に滞在したのは明治20年代。
山口薬局での明治40年頃のビールの垂れ幕に、「ヒゲを生やした八雲風の外国人」が描かれていると話題になっています。
左側の男性は小泉八雲?
これは「カブトビール」の宣伝のための大きな垂れ幕。
当時は、山口薬局の横に大きく掲げられ、ビールの宣伝をしていたようです。
もしかしたらビールが好きだった小泉八雲をイメージしたイラストだったのかもしれませんね。
小泉八雲が好んだビールの銘柄や値段は?

当時、小泉八雲が好んで飲んだビールは「朝日ビール」ですが、現在の「アサヒビール」とは別のものです。
アサヒ印ビールが流通
現在のアサヒビールが「アサヒ」として商標登録したのは、1892年(明治25年)以降です。
小泉八雲が松江に滞在した明治23年〜24年頃は、「アサヒ印」というのが各地の業者で使われており、同名商品が複数存在していました。
そのため、小泉八雲が飲んでいたビールは現在の「アサヒビール」ではなく、「アサヒ印ビール」という別物だった可能性が高いとされています。
ビールは高級品
当時の瓶ビールは、庶民には手の出ない高級品でした。
1878年(明治11年)には、
国産瓶ビール1本=約20銭(米3〜4kg相当)
だったと記録されています。
その後数年間でビールの需要はかなり増えていくものの、やはり高級品には変わり無かったようです。
ヘブンのモデル・小泉八雲の当時の月給は100円でした。
そのため、毎日ビールを2本(40銭)飲んでいたとしても不思議ではありません。
毎日40銭使っても1ヶ月に約12円
小泉八雲は、毎晩ビールのおつまみに甘い和菓子をつまんでいたそうです。
かなりの贅沢ですが、小泉八雲は好きなものにはお金を惜しまない、無頓着な性格だったと言われています。
慣れない日本での暮らし、それが彼の癒しの時間だったのでしょう。
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