やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。
妻夫木聡さん演じる八木信之介は、第20週から「雑貨店の店長」として登場します。
その後、第21週では「九州コットンセンター」という会社を設立する流れになる予定です。
そんな八木の雑貨店や会社の実在モデルはあるのでしょうか?
そこで今回は、
- あんぱん八木の雑貨店のモデルはどこ?
- あんぱん八木の会社「九州コットンセンター」は実在?
について詳しく解説していきます。
※この記事は、朝ドラ「あんぱん」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
あんぱん八木の雑貨店のモデルはどこ?実在する?

八木信之介が「雇われ店長」をしてる雑貨店のモデルは実在せず、オリジナル(架空の店)の可能性が高いです。
詳しくみていきましょう。
八木のモデルはサンリオ創業者
まず、「あんぱん」に登場する八木信之介というキャラクターは、サンリオの創業者・辻信太郎氏がモデルだと言われています。

厳密に言えば、辻信太郎さんとは、出身地や年齢、経歴などは異なる部分も多いです。
しかし、後にやなせたかしさんの詩の才能を見出し、大きな影響を与える存在として一致しています。
そんな辻信太郎さんの経歴を見てみると、
- 山梨県庁の職員になる
- 県の外郭団体を独立させ社長となる
となっています。
つまり、辻信太郎さんは、公務員からいきなり社長(起業)したということですね!
雑貨店はオリジナルの設定か
先ほどご紹介したように、「サンリオ」の辻信太郎さんには、「雑貨店の雇われ店長をしていた」という経歴は見つかっていません。
そのため、あんぱんで八木が働いている雑貨店は、ドラマ上のオリジナルの設定である可能性が高いです。
今後、八木もモデルの辻信太郎さんのように会社を設立する流れとなります。
その前段階として、「店の経営を任されていた」という流れが必要だったものと思われます。
さすがに、闇市での酒の販売から、いきなり会社設立というのは不自然ですからね・・・。
あんぱん八木の会社「九州コットンセンター」のモデルはどこ?

八木が設立する会社「九州コットンセンター」のモデルは、「山梨シルクセンター」である可能性が高いです。
先ほどご紹介したように、八木信之介のモデルはサンリオ創業者の辻信太郎さんであると噂されています。
サンリオといえば、「ハローキティ」などのキャラクタービジネスを手掛ける日本が誇る大企業です。
実は、この「サンリオ」の会社の前身が「株式会社山梨シルクセンター」という会社でした。
「九州コットンセンター」と「山梨シルクセンター」の名前が似ていることからも、完全に意識しているネーミングだと考えられます。
「山梨シルクセンター」とは、一体どのような会社だったのでしょうか?
ざっくりとした沿革がこちらになります。
キャラクタービジネスを手掛ける一方で、やなせたかしさんとの交流をきっかけに文化的な事業(本や雑誌の出版)も展開していきました。
詳しく見ていきましょう!
当初はシルク製品などを販売
辻信太郎さんが会社を創業したのは、1960年(昭和35年)。
最初からキャラクタービジネスを手がけていたわけではありませんでした。
「山梨シルクセンター」という名前の通り、最初は山梨の特産品である「シルク製品」や「ぶどう酒」などを販売していたそうです。
※辻さんは学生時代に化学の知識を生かして「石鹸」などを作って闇市で売っていたことも。
闇市でビジネスをしていた八木と重なる部分もありますね。
しかし、この事業があまりうまくいかなかったために早々に切りをつけ、「小物雑貨の販売」へと展開していきました。
ビーチサンダルで成功
「山梨シルクセンター」が小物雑貨の販売へと転身した後、最初にヒットした商品が「ゴム草履(ビーチサンダル)」でした。
ただの地味なビーチサンダルではなく、花柄をあしらったことがヒットの秘訣だったようです。
さらには、「いちごの模様をつけたコップ」もヒットを飛ばします。
⳹知ってる?サンリオのいちごシリーズ🍓⳼
— サンリオ展ニッポンのカワイイ文化60年史【公式】 (@sanrio_art) April 6, 2024
サンリオの「カワイイ」のはじまりとも言えるいちご柄のグッズ。
時は1960年代初め・・・「カワイイ」の付加価値に注目して生まれたグッズは瞬く間に大評判となりました❣#サンリオ展熊本 では実物もみることができますよ!皆さんお楽しみに🎀 pic.twitter.com/8Eiyng6T5L
ここで辻信太郎さんは、「かわいいイラストをつけることで売れる!」と確信したようです。
イラストレーターの水森亜土さんに絵を描いてもらった陶磁器もよく売れたことから、本格的にキャラクタービジネスへと展開していきます。
1970年代前半の山梨シルクセンターの亜土ビーチサンダル大人用&子供用☆余りにも暑い日が続くので、このサンダルでビーチに出掛ける妄想をしてしまいます。 #昭和レトロ #水森亜土 #サンリオ pic.twitter.com/87mhlImUIY
— ゆめかマボロシ (@yumekamaborosi) August 5, 2016
やなせたかしさんとの出会い
当時、やなせたかしさんも陶器を作っており、デパートで陶器展を開いていました。
そこへ辻信太郎さんが訪れたことがきっかけで、二人は交流をもち始めます。
辻信太郎さんはやなせたかしさんに「お菓子のパッケージデザインを考えて欲しい」と依頼したようです。
その後も何度か陶器展をひらいたが、あるときそこに、小さな会社を経営しているという男性がやってきた。
梯 久美子. やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく (文春文庫)
よれよれのレインコートを着ていて、名刺には「㈱山梨シルクセンター 代表取締役社長 辻信太郎」とある。
嵩は辻から、お菓子のパッケージデザインを依頼される。
例によってやったことのない仕事だったが、不二家に納入するキャンディの容器を考えてほしいと言われ、麦わら帽子の形をした陶器をデザインした。
当時はまだ無名の会社でしたが、「文学や詩を愛する」という点で二人は意気投合したようです。
詩集の出版を行う
当時、やなせたかしさんは自分で詩集を作って販売していました。
その詩集をえらく気に入った辻信太郎さんは、「うちで出版します。書店で売りましょう」と提案。
しかし、当時の「山梨シルクセンター」は小さな会社で、出版部など存在しませんでした。
「出版部はこれから作ります。どうしてもこの詩集を出したいんです。」という辻信太郎さんの熱意におされ、1966年(昭和41年)に出版が実現します。
それが、やなせたかしさんの詩集「愛する歌」でした。
やなせ たかし著・挿絵『詩集 愛する歌 第一集~第五集(全5冊揃)』 サンリオ出版
— 路地裏 誠志堂 (@kajikawa_w) June 30, 2025
これらの詩は読むためよりも歌うことに主観をおいてつくってあります。(やなせ たかし)https://t.co/rvO3wrVkTV pic.twitter.com/5PXGZB1ASe
結果、この詩集は5万部の大ヒットを記録したのでした。
その後も、「愛の詩集」「ミニ詩集・愛の絵本」「希望の詩集」などを次々に出版します。
サンリオに社名変更
1973年、「山梨シルクセンター」は世界にも通用する名称として「サンリオ」に名前を変えます。
1975年にはあの「ハローキティ」も誕生し、キャラクターグッズが世界的な人気に!
「あんぱん」が放送されている2025年は、ちょうどキティちゃん誕生50周年の記念の年です。
ミミィ「わぁ!かわいいケーキ!」
— ハローキティ50周年【公式】 (@hellokitty50th) November 1, 2024
キティ「みんな、キティとミミィをお祝いしてくれて、ありがとう♡」 pic.twitter.com/O5sdi3TJtA
そんなサンリオですが、メイン事業であるギフト商品の企画・販売事業が大きく進展。
1982年には、東証一部上場の大企業となっていきます。
「詩とメルヘン」の刊行
「サンリオ」に社名変更後も、辻信太郎さんとやなせたかしさんとの交流は続きました。
やなせたかしさんからの「雑誌を作りたい」というアイディアから、
- 文芸誌「詩とメルヘン」
- 子供向け雑誌「いちごえほん」
がサンリオ出版部から刊行されました。
「詩とメルヘン」は、やなせたかしさんのライフワーク的な存在として30年以上継続。
やなせたかしが責任編集長を務めた文芸誌「詩とメルヘン」が入荷しております〜 pic.twitter.com/DpcOLxLvOa
— ボヘミ庵 (@bohemian_book) August 4, 2025
この中で、「熱血メルヘン怪傑アンパンマン」が登場。
こちらは大人向けということもあり、アンパンマンがスパイになったり、逮捕されたりしてしまうブラックジョーク的なストーリーだったようです。
熱血メルヘン 怪傑アンパンマンを押井守あたりがイノセンスの雰囲気で作品化したらなかなかえらいことになりそう。 pic.twitter.com/XRxlU9pPq8
— soshi@CX5 BTE🦭 (@goldstep1010) August 20, 2014
子供向けの雑誌「いちごえほん」は、採算が取れず8年で終わってしまいますが、この中にも初期の「アンパンマン」が描かれています。
【サンリオ展 神戸会場】
— サンリオ展ニッポンのカワイイ文化60年史【公式】 (@sanrio_art) June 22, 2025
アンパンマンとサンリオの関係をご存知ですか❔
やなせたかしさん編集の『詩とメルヘン』や『いちごえほん』には、既にアンパンマンが登場しているんですよ🍞🍓
ぜひ会場で確認してみてね✨#サンリオ展 #神戸ゆかりの美術館 pic.twitter.com/dnQecNRDmD
このように、やなせたかしさんは「山梨シルクセンター」に出版部を創設し、文化的な事業を発展させるきっかけとなった人物でした。
その後も、やなせさん自身の創作や表現の場として、その人生に大きな影響を与えたことがわかります。
ちなみに、「いちごえほん」に掲載されていた初期のアンパンマンはこちらの本にまとめられています!
本書は、やなせたかし自身の手により、1976~82年にかけて「月刊いちごえほん」で連載されていた『アンパンマン』を集成したもので、まさに知る人ぞ知る“超初期作品集”です。
アンパンマンの誕生やお馴染みコスチューム決定の瞬間まで、誰も知らないエピソードが満載!
だれも知らないアンパンマン やなせたかし初期作品集
また、主要キャラの多くがこのシリーズ出身と言われていますが、中には今とは少し性格が違うものも…。
バタコさんもチーズも、「こんな性格だったんだ!」と新たな発見がいっぱい。
このシリーズだけの謎キャラ「フケツマン」も堂々の登場で、大活躍!?
やなせたかしが描く初期『アンパンマン』は、とにかく笑える楽しい内容です。
まとめ
今回は、朝ドラ「あんぱん」に登場する八木の雑貨店や会社のモデルについて詳しくご紹介しました。
まとめると、
- 八木の雑貨店は架空の店
- 八木の会社のモデルは「山梨シルクセンター(現:サンリオ)」
- やなせたかしの表現の場を作るきっかけとなる
ということでした。
やはり八木という存在は、嵩に今後も大きな影響をもたらすのですね。
あんぱんの最終回までのあらすじはこちらの記事で公開しています。(随時更新中)

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