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あんぱん落語家のモデルは誰?立川談楽役は実在の直弟子【立川談志】

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テレビの司会者
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やなせたかしがアンパンマンを生み出すまでの物語を描いた「あんぱん」。

その第21週「手のひらの太陽に」では、NHKのテレビ番組に嵩が出演することが決定します。

「まんが学校」という子供向けの番組で、落語家・立川談楽(たてかわ・だんらく)と共に司会をすることになります。

そんな落語家・立川談楽の実在モデルとは一体誰なのでしょうか?

また、落語家を演じるキャストが本物の落語家なのかも気になりますよね!

そこで今回は、

  • あんぱん落語家の立川談楽のモデルは誰?
  • あんぱん落語家役キャストは誰?

について詳しくご紹介していきます!

目次

【あんぱん】落語家・立川談楽の実在モデルは誰?

あんぱんに登場する落語家・立川談楽の実在モデルは、七代目・立川談志(たてかわ・だんし)さんです。

やなせたかしさんとの関係も含めて、詳しくみていきましょう。

やなせたかしと「まんが学校」に出演

七代目・立川談志さんは、やなせたかしさんと共にNHKの児童向けバラエティ番組『まんが学校』に出演していた経歴があります。

※朝ドラ「あんぱん」では『まんが教室』というテレビ番組名。

そのため、ドラマに登場する落語家のモデルは、立川談志さんで間違い無いでしょう。

1964年の放送当時はまだ28歳で、若手の落語家でした。

真打に昇進してまだ1年というタイミングで番組の司会進行に抜擢され、やなせたかしさんは「漫画の先生」として出演したのです。

毒舌のエイリアン

放送当時、やなせたかしさんは45歳で、若手の立川談志さんとは17歳も年下でした。

当時の立川談志さんの印象について、やなせたかしさんはこのように自伝で語っています。

  • 毒舌家で態度が大きい若者
  • 落語界で嫌われ者
  • ナマイキ星から来たエイリアン

これだけ見ても、かなり特質な若者だったことが伺えますね・・・。

一方で、やなせたかしさん自身は不快な思いをしたことは一度もなく、今までにないタイプの若者だと面白がっていたんだとか。

むしろ、立川談志さんのことを「天才」とも太鼓判を押していました。

  • 生意気さが落語に生かされている
  • 大変な勉強家であり読書家

やなせたかしさんは一緒に番組をやる中で、「人の何倍も努力した上での毒舌なのだ」と評価していました。

そんな落語家×漫画家という異色コンビの番組は人気となり、やなせたかしさんは全国に顔を知られるきっかけとなったのです。

ちなみに、立川談志さん自身は「手塚治虫の熱烈なファン」であり、生前のご本人とも交流があったんだとか。

笑点の初代司会者

その後、1966年に日本テレビで「笑点」が放送スタート。

立川談志さんは初代司会者となり、1969年までの約3年間を務めました。

実は、この笑点の発案こそが立川談志さんによるものだったことが後に判明しています。

「笑点」の司会では、持ち前のブラックユーモアを活かして落語家との掛け合いを演じました。

しかし、落語家たちとの不仲が噂され、立川談志さんが司会を退くことになると、「立川流」からの落語家の出演も途絶えてしまいます。

その後、55年の時を経て、「笑点」の新メンバーとして立川談志さんの孫弟子「立川晴の輔さん」が2024年から参加しています!

闘病生活

その後、政界に進出するなど、メディアからは遠ざかっていた立川談志さん。

1997年には「食道癌」が見つかり、長い闘病生活を送ります。

2004年頃から徐々にメディアに再登場するようになると、

  • 「談志・陳平の言いたい放だい」(TOKYO MX)
  • 「新・話の泉」(NHKラジオ第1放送)
  • 「立川談志・太田光 今夜はふたりで」(TBSラジオ)

などで活躍。

吉本興業の『M-1グランプリ』(朝日放送系列)第2回大会では審査員も務めました。

しかし、2009年ごろから長期休養を発表し、2011年11月に咽頭癌により75歳で亡くなっています。

そんな立川談志さんの生き様は、「落語界の風雲児」として現在も語り継がれています。

晩年の立川談志さんの貴重な映像がこちらです。

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