やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。
「あんぱん」では、ヒロイン・のぶに蘭子という妹がいます。
蘭子のモデルは実在しているのか気になる方が多いのではないでしょうか?
そこで今回は、やなせたかしさんの妻・小松暢(旧姓:池田暢)さんの実在の妹についてご紹介します!
あんぱん蘭子のモデルは実在の小松暢さんの妹!
小松暢さんの妹については、朝ドラ「あんぱん」の放送スタート時には情報が全くありませんでした。
しかし、2025年4月18日発刊の「やなせたかしはじまりの物語」という書籍には、高知新聞社が取材してわかった小松暢さんの妹について記されています。
詳しく見ていきましょう!
のぶのモデルには兄と妹が実在
史実では、のぶのモデルの小松暢さんは5人兄弟でした。
- 長男・池田穣
- 長女・池田暢(後の小松暢)
- 次女・池田瑛(えい)
- 三女・池田圀(あき)
- 四女・不明(幼少期に亡くなる)
ちなみに、「小松」という姓は、暢さんの最初の夫(小松総一郎さん)の姓で、旧姓は「池田」です。
最初の夫・小松総一郎さんについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

蘭子のモデルは次女・池田瑛?
NHKの公式の情報では、あんぱんの「蘭子」という人物に特定のモデルはおらず、アンパンマンのキャラクターから人物のイメージを膨らませていることが公表されています。

しかし、小松暢さんには実在する妹がいましたので、その人物を参考に「蘭子」という人物を描いていることは間違い無いでしょう。
そんなあんぱん蘭子のモデルと思われるのは、池田家の次女・池田瑛(えい)さんです。
池田瑛さんは、暢さんとは2歳違いの妹で、1920年に誕生されています。
先ほどご紹介した書籍「やなせたかしはじまりの物語」の中では、若い頃の姉妹の写真も掲載されています。
写真の瑛さんは穏やかで真面目そうな雰囲気の女性で、あんぱん蘭子とも通じるイメージがありました。
あんぱん蘭子のモデル池田瑛さんの壮絶な人生とは?
あんぱん蘭子のモデル・瑛さんの人生を詳しく見ていきましょう。
教員の男性と結婚
池田瑛(えい)さんは、大阪の阿倍野高等女学校を卒業後に結婚されています。
瑛さんは、当時は珍しい”恋愛結婚”でした。
高知新聞社の取材によれば、お相手は、愛媛県今治市出身の「曽我部鹿一(そかべ・しかいち)」さんという男性です。
曽我部さんは豪農の次男だったこともあり、資産家の娘との結婚を命じられていたそうです。
しかし、「親の言いなりは嫌だ」と反発し、高知県南国市後免町で小学校の教員をしていました。
高知県南国市後免町といえば、やなせたかし先生の育った町であり、「あんぱん」の舞台でもあります。
大阪の女学校を卒業し、高知に戻ってきて働いていた瑛さんは、南国市にある「ミロク製作所」の前身の会社で事務をしていたようです。
二人の出会いのきっかけは不明ですが、職場が近かった二人は自然に出会い、恋に落ちたのでしょう。
しかし、二人の結婚に鹿一さん側の家族は大反対だったそう・・・・。
そのような逆境も乗り越え、固い絆で結ばれた二人は、晴れて夫婦となります。
親戚を頼って満州へ
瑛さんと鹿一さんは、結婚後は旧満州(中国東北部)に渡り、現地で農場を経営することになります。
曽我部側の親戚が旧満州にいたことがきっかけだったようです。
農場は従業員300人を雇うまで拡大。
鹿一さんは、中国人従業員からも慕われていたそうです。
2人の男の子、1人の女の子の子宝に恵まれ、家族で幸せな結婚生活を送っていた瑛さん。
その後、苦難が訪れます・・・。
必死の帰国
その後、ソ連が満州に侵入してくると、鹿一さんは兵に取られてしまいます。
危険が迫った瑛さんは子供を引き連れて日本に帰国することを決意。
夫・鹿一さんの人望が厚かったこともあり、中国人従業員のサポートのおかげで、無事に船に乗ることができました。
当時、瑛さんは、襲われないように髪を切り、顔に泥を塗って引揚船に乗ったそうです。
「母は襲われないように髪を切り、顔に泥を塗った。中国人に慕われていた父のおかげで無事、引き揚げ船に乗れた。そんな話を養父母から聞きました。」
高知新聞社「やなせたかし はじまりの物語」より
生活苦で息子を養子に
その後、鹿一さんは亡くなり、瑛さんは未亡人となります。
瑛さんは夫の故郷の愛媛県に戻りますが、生活は困窮。
瑛さんは泣く泣く、次男を養子に出すことを決意します。
次男を愛媛県今治市の菓子店に養子に出し、一家は高知県へ。
しかし、瑛さんは次男を養子に出したことを長年悔み続け、手紙を送っていたそうです。
やなせスタジオの経理を担当
1960年代になると、瑛さんは娘の玲子さんと共に上京。
姉・暢さんの夫で漫画家のやなせたかしさんの仕事の手伝いを任されることになります。
この頃は、ちょうどやなせさんの仕事が忙しくなってきた時期でした。
瑛さんは「やなせスタジオ」の経理を担当し、通帳や金庫の鍵を管理していたそうです。
瑛さんは頭が良く、きっちりしていて几帳面な性格だったこともあり、暢さんにとって頼りになる妹。
同じく経理や事務をしていた暢さんの片腕的な存在であり、絶対的な信頼を寄せている人物だったのですね。
83歳で亡くなる
瑛さんが担っていた事務仕事は、その後、越尾正子さん(現在のやなせスタジオ社長)へと引き継がれました。
そして、2003年、瑛さんはガンにより83歳で亡くなります。
晩年は、養子に出した次男とも再会し、家族ぐるみで交流を持っていたそうです。
次男さんによれば、「大人しく、控えめで真面目な雰囲気が、朝ドラの蘭子に似ている」とのこと。
現在、瑛さんは、今治市にある夫の墓地で一緒に眠っているそうです。
あんぱん蘭子のモデル池田瑛の次男はご健在!
養子に出た次男さんは80歳を越えていますが、現在も今治市で老舗の菓子店を営んでいます。
書籍では具体的な店名は明かされていません。
しかし、様々な情報から辿ると、
マルズミ製菓(愛媛県今治市南宝来町2丁目3-1 マルズミビル1階)
である可能性が高いと思われます。
店内には、やなせたかしさん(本人からみて叔父さん)の色紙などが飾られており、やなせさんデザインの包装紙もあるそうです。
次男さんは、先ほどご紹介した書籍「やなせたかしのはじまりの物語」の中で、顔出しでインタビューに答えられています。
母の瑛さんには恨みなどはなく、生きて満州から連れて帰ってくれたことに感謝しているそうです。
母子が「まともな再会」を果たしたのは1980年代後半だった。母は畳に手をつき、泣きながら謝った。「『お母さんが守ってくれた命。日本に連れて帰ってくれただけでありがたい。恨みなんてないよ』と伝えました」
高知新聞社「やなせたかし はじまりの物語」より
小松暢の他の兄弟・妹についてははこちらの記事をどうぞ。

まとめ
今回は、朝ドラ「あんぱん」の蘭子のモデルについて詳しくご紹介しました。
蘭子のモデルは、小松暢さんの実在する妹・池田瑛さんの可能性が高いです。
一般人であるため情報は少ないですが、あんぱんの蘭子のイメージと重なる部分もありましたね。
史実では、姉の暢とともにやなせ先生のサポートにまわっていたそうですが、ドラマではどうなるのでしょうか?
今後も目が離せない「あんぱん」に注目していきましょう!
【関連記事】

あんぱんの最終回までのあらすじはこちらでご紹介しています。

コメント
コメント一覧 (2件)
朝ドラ あんぱんの蘭子のモデルとなる主役の妹の結婚相手の出身について、
愛知県に今治市という市はありますか?
愛媛県今治市は有名ですが、、、
ご指摘有難うございます!運営者です。
今治タオルの今治市で間違いありません。
愛知県→愛媛県に修正いたしました。今後気をつけて参ります。