ぱたごにあ丸は沈没?あんぱんで次郎が乗る船の実在モデル【松本丸】

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やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。

ヒロインのぶが結婚した相手・若松次郎は船乗りで、「ぱたごにあ丸」という船に乗船しています。

史実においても、小松暢さんの夫・小松総一郎さんは日本郵船の一等機関士として勤務していました。

そこで今回は、

  • 「ぱたごにあ丸」の実在モデルはある?
  • あんぱん次郎が乗る船の史実やその後は?

について詳しくご紹介していきます。

※この記事はドラマの今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。

目次

あんぱん次郎の船「ぱたごにあ丸」の実在モデルは?

次郎が乗る船「ぱたごにあ丸」は、実在する日本郵船の船「松本丸」をモデルにした可能性が高いです。

詳しくみていきましょう!

次郎のモデルは「日本郵船」に勤務

「あんぱん」で、ヒロインのぶの最初の夫となる若松次郎。

この男性のモデルは、実在する「小松総一郎」という人物とされています。

小松総一郎さんも次郎と同じく一等機関士であり、「日本郵船株式会社」に勤務していました。

そのため、ドラマ内に登場する船「ぱたごにあ丸」というのも、日本郵船が所有していた船を参考に考えられている可能性が高いのです。

「ぱたごにあ丸」と航路が酷似

高知新聞社の取材によれば、小松総一郎さんは、1940年代に日本郵船の「松本丸」という貨物船に乗船していたことが判明しています!

日本郵船が所有していた「松本丸」は、大正10年(1921年)に竣工した貨物船です。

全長135メートル、総トン数約7,000トン。

就航後は、主に「欧州航路」で活躍した貨物船でした。

主な航路は、以下の通りです。

横浜・神戸・上海・香港・シンガポール・インド洋・地中海沿岸・イギリスなど

朝ドラ「あんぱん」の第9週では、出立する次郎がのぶに航路を説明するシーンがありました。

若松次郎

横浜から神戸、長崎、そして・・・インド。
日本は冬でもあっちは暑うなる。

このように、次郎が乗る「ぱたごにあ丸」も同じような航路を辿っていたことが分かります。

「松本丸」は軍用の輸送船へ

日本郵船の「松本丸」はその後、何度か海軍に徴用されることになります。

記録として残っているのか、以下の3回です。

徴用された時期
1回目1939年5月〜9月
2回目1940年3月〜8月
3回目(特設運送船として改修)1941年10月〜1943年10月

朝ドラ「あんぱん」でも、第10週に「ぱたごにあ丸が軍用の輸送船に改修される」というエピソードが描かれます。

若松次郎

予定より早う船を降りて帰って来れたがは、船を軍用の輸送船に改修しゆうきながよ。

あんぱん第10週で描かれる時代は、1941年(昭和16年)冬頃。

そのため、「松本丸」が徴用された時期(1941年)とも似ています。

その後、「松本丸」は1943年10月に徴用は解除されるものの、「原油を運ぶ船(給油船)」として引き続きフィリピン方面への輸送に従事していました。

まだ戦いが続く中の輸送ですので、かなり危険な航海だったことが伺えます。

あんぱん次郎「ぱたごにあ丸」のモデルは沈没する?

その後「松本丸」は、1944年10月に、アメリカの攻撃を受けて沈没しています。(全員救出)

勇敢に戦い、その後沈没

「ぱたごにあ丸」のモデルの可能性が高い「松本丸」。

残念ながら、1944年10月に台湾海峡でアメリカの潜水艦によって撃沈されるという最期を辿っています。

それは、佐世保を出港し、ボルネオ島へと向かっている途中の出来事でした。

まず、船団の中の「江原丸」が最初に攻撃を受けてしまいます。

それを見た「松本丸」の船長は、逃げるのではなく、むしろ敵への反撃を試み、潜水艦に向けて突進したようです。

しかし、逆に攻撃を受けてしまい、船体に打撃を受けてしまいます。

(その後、敵の潜水艦も自分で発射したものが旋回して自艦に命中→沈没)

沈没しそうになった「松本丸」は、船団内の他の船に引っ張られ、一旦は、中国福建省の浅瀬に座礁させることに成功。

ただし、翌日には天候により横転し、沈没してしまう最期となったようです。

「松本丸」は沈没したものの、乗組員は全員救出されたそうです。

モデルの小松総一郎は下船していた

このような史実を知ると、「あんぱんの次郎さんはどうなるの?」と心配される人も多いと思います。

実は、次郎のモデルの小松総一郎さんは、1943年頃に下船しています。

下船した理由は、乗船中に病気を患い、療養のためでした。

そのため、1944年10月の「松本丸」の沈没を経験することはありませんでした。

※ここからはさらにネタバレを含みます。

小松総一郎さんはその後どうなったのでしょうか?

1946年1月、3年間の病気療養を経て、33歳の若さで亡くなってしまいます。

当時流行していた「結核」だったとされています。

小松暢さんの悲しみを思うと辛いものがありますが、もし海の上で亡くなったとすれば遺骨すら戻ってこないことがほとんど。

また、船乗りの夫を持つ場合、亭主はほとんど家に帰って来ず、夫婦の時間は貴重なものでした。

最後の3年間を最愛の人と過ごせただけでも、幸せだったのかもしれません・・・。

小松総一郎さんのカメラの趣味や速記についてはこちらの記事で詳しく解説しています。

史実通りだとすれば、「あんぱん」の次郎とも、悲しい別れがやってきそうですが・・・

引き続き、のぶと次郎を見守っていきましょう!

のぶと嵩がいつ結婚するのかについてはこちらの記事でご紹介しています。

あんぱんのあらすじを先読みしたい方はこちらからどうぞ。

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