2025年前期の朝ドラ「あんぱん」は、やなせたかし夫婦をモデルにした物語。
あんぱん第13週「サラバ涙」・第14週「幸福よ、どこにいる」では、嵩が健太郎と一緒に廃品回収の仕事を始めるシーンが描かれます。
実は、これはやなせたかしさんの実話に基づいたストーリーです。
そこで今回は、
- やなせたかしさんが屑屋(廃品回収)をしていた史実とは?
- やなせたかしさんと廃品回収をやった友人とは誰?
について詳しく解説していきます。
この記事には、朝ドラ「あんぱん」の今後の展開を含む可能性がありますのでご注意ください。
やなせたかしさんが戦後に廃品回収(屑屋)をしていた史実!

やなせたかしさんは、戦後に3ヶ月ほど友人と共に「屑屋(くずや)=廃品回収」をしていた時期があります。
やなせたかしさんの戦後の動きの時系列は、以下のとおりです。
時期 | 年齢 | 出来事 |
---|---|---|
1945年8月 | 26歳 | 終戦 |
1946年1月 | 26歳 | 中国から帰還 |
1946年2月頃 | 27歳 | 友人に誘われて廃品回収の仕事を始める |
1946年5月頃 | 27歳 | 高知新聞社の入社試験を受ける |
1946年6月 | 27歳 | 高知新聞社に入社 |
詳しく見ていきましょう!
ぼうっとしていた戦後
やなせたかしさんが戦後に故郷に戻ってきたのは、1946年1月のことでした。
しばらくの間は何も手につかず、「あの戦争はなんだったのか」「どうやって生きていけばいいのか」ということすら考えられず、頭が動かなくなっていたそうです。
弟の千尋さんも亡くなったこともあり、ほとんど放心状態だったのでしょう。
心が落ち込んだ時は、香美市にある祖母(父方)の家に行き、幼い頃に千尋さんと遊んだ山や川を眺めて2〜3日ぼーっとして過ごすこともあったようです。
友人の紹介で
そんなある日、やなせたかしさんの家に友人が尋ねてきます。
友人から「うちの叔父がやっている会社に入らんか」と誘われたやなせたかしさん。
自暴自棄になっていたこともあり、深く考えずに「いいよ」と答えたそうです。
具体的な時期は不明ですが、おそらく復員してから1〜2ヶ月以内のこと(1946年2月頃)だったと思われます。
その会社は、アメリカの進駐軍からの廃品を回収し、使えそうなものを再生して売るという商売をしていました。
米軍の兵舎を回る日々
やなせたかしさんはトラックの荷台に乗って、米軍の兵舎を回っていました。
捨ててあるものを集め、衣類なら洗濯してほつれている部分を直して再生。
空き瓶から水筒を作ったり、金属類からは釜や鍋に再生したりして商品に変えていたそうです。
そうやって肉体労働をしているうちに、やなせたかしさんは少しずつ頭が働くようになっていきました。
ぼーっとしているよりも、「何かやることがある」というのが良かったのでしょう。
見えてきた悲惨な現実
やなせたかしさんはトラックで街を回っている時、毎日のように空襲で焼かれた街や人々の姿を見ていたそうです。
朝ドラ「あんぱん」でも、7月4日の高知大空襲の様子が描かれていましたが、その前には8回に渡って攻撃を受けていました。
また、食糧が不足していたことから、食べ物をめぐる争いや騙し合いを何度も目の当たりにしたそうです。
一方で、「子供同士が食べ物を分け合っている」という姿も見かけ、その様子が強く印象に残り、「アンパンマン」へと繋がったようです。
雑誌の切り抜き
やなせたかしさんが回収したゴミの中には、アメリカの雑誌も紛れ込んでいました。
上質な紙にカラー印刷がされており、当時の日本では見られない立派なもの。
やなせたかしさんは廃品がいっぱい積まれた倉庫の隅に座りながら、よく雑誌を眺めていました。
鮮やかな写真やイラスト、センスがいい広告、漫画やオシャレなレイアウト・・・
その雑誌を眺めることが、デザイナーとしての心を疼かせてくれたんだとか。
やなせたかしさんは、気に入った部分の切り抜きを家に持ち帰り、じっくりと眺めては楽しんでいたそうです。
それらを眺めることで「美しいものや面白いものを作りたい」という昔の情熱が少しずつ蘇るのを感じていました。
文化的な仕事がしたい
肉体労働が3ヶ月も経過したころ、やなせたかしさんは「なんでもいいから文化的な仕事がしたい」と転職を考えます。
そこで、高知新聞社で記者を募集していることを知り、試験を受けてみることに。
当時、やなせたかしさんのように故郷に戻ってきている男性も多く、倍率もかなり高かったようです。
作文の試験問題は、「高知の日曜市について記事を書く」というものでした。
「普通に書いても面白くないな」と思ったやなせたかしさんは、「取材をしたらみんな高知新聞の受験者だった!」というオチをつけたんだとか。
結果は・・・みごと合格。
受験者70名のうち、合格者は5名という狭き門を、やなせたかしさんは突破したのです。
高知新聞に入社したのは1946年6月、やなせたかしさんが27歳の時でした。
やなせたかしさんと廃品回収をした友人とは誰だった?

やなせたかしさんを仕事に誘ったのは、同じ「柳瀬」という名前の同郷の戦友だったそうです。
朝ドラ「あんぱん」では、芸術学校からの同級生の辛島健太郎が「一緒に仕事をしよう」と尋ねてくる展開となっていました。
実際には、その友人とは、
- 名前は「柳瀬」
- 同郷の友人
- 隊は違うが同じ暗号班
- 叔父が廃品回収の会社を経営
という人物でした。
同じ「柳瀬」という姓ではあるものの、特に親戚というわけではなかったようです。
叔父が会社をやっているとのことで、やなせたかしさんが辞めた後も、その友人は仕事を続けた可能性が高いと思われます。
朝ドラ「あんぱん」では、嵩も新聞社に入社することになるはずですが、残された健太郎はその後どうなるのか気になりますね。
御免与町に残るのであれば、メイコとの恋の発展もあったりして・・・。
引き続き、あんぱんを楽しんでいきましょう!
今後のあんぱんのあらすじを先読みしたい方は、こちらからどうぞ。

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