あんぱんヤムおじさんの過去が壮絶!乾パンを嫌う理由なぜ?何があった?【屋村草吉】

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パン職人
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朝ドラ「あんぱん」にパン職人として登場する屋村草吉。

自分のことをあまり語ろうとしない屋村ですが、物語が進むうちに、その正体や過去が気になる人が多いのではないでしょうか?

そこで今回は、

屋村草吉(ヤムおじさん)は何者?過去に何があった?

について詳しくご紹介していきます。

※小説版からのネタバレを含みますのでご注意ください。

目次

あんぱん屋村草吉(ヤムおじさん)の過去とは?何があった?

ヤムおじさんこと屋村草吉には、銀座の「美村屋」でパン修業していた過去、そして海外の義勇兵として戦った過去がありました。

屋村の過去について、時系列をまとめると以下のようになります。

時期屋村の過去
明治末期〜大正初期(1910年代)銀座の「美村屋」でパン修行
大正3年〜大正8年(1914年〜1919年頃)密航船で単身カナダに渡り、イギリス側として戦いに参加
昭和2年(1927年)御免与で「朝田パン」を始める
昭和15年(1940年)乾パン作りを引き継いで町を去る

詳しくみていきましょう。

屋村の過去①:銀座でパン職人

朝ドラ「あんぱん」の第6週で、嵩は銀座「美村屋」の店内に屋村が映っている写真を見つけます。

しかし、屋村はそのことを問われても、過去のことを話そうとしません。

〜あんぱん第6週〜

のぶ(主人公)

ヤムおんちゃん、銀座のパン屋さんで働いてたことあるが?

屋村草吉(パン職人)

銀座のパン屋なんて、しらねぇな

実際には、屋村は銀座「美村屋」でパン職人として修業をしていた過去がありました。

屋村が壺の酒種(さかだね)を使ってパンを製作している点からも、美村屋(モデル:木村屋)でパン作りを学んでいたことが伏線となっています。

屋村が作る「酒種あんぱん」は、現在も「木村屋」で伝統製法を守られながら販売されています。

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しかし、屋村はパン屋で働いていただけなのに、なぜそのことを話したがらないのでしょうか?

実は、「パン屋修業のその後」が、屋村の人生を大きく狂わせたからでした。

屋村の過去②:カナダで義勇兵に

「義勇兵(ぎゆうへい)」とは、思想や信念・正義感などから戦いに志願する人を指す言葉です。

銀座の美村屋でパン職人として働いていた屋村は、「パン作りを極めたい」と単身でカナダへ渡航

その後、屋村は、日本人義勇兵となり、イギリス側として戦った過去があったことが明かされます。

1914年(大正3年)、カナダはイギリス帝国の一部であり、イギリスがドイツに宣戦布告したことでカナダも自動的に参戦する形となりました。

「あんぱん」では、ところどころで「反戦」を匂わせてきたヤムおじさんですが、やはり戦いに参加した経験があったのですね。

ドラマの中の話とはいえ、何歳くらいの話だったのでしょうか?

ヤムおじさんの年齢は不詳ですが、演じる阿部サダヲさんは「55歳」です。

乾パン作りが始まる時代設定は昭和15年(1940年)頃ですので、屋村が義勇兵として戦ったのは26年前、つまり「29歳前後」と推測できます。

屋村が過去について話すあんぱん第10週のあらすじはこちら

補足:ヤムおじさんのモデルは?

パン職人の「屋村草吉」は、「ジャムおじさん」をイメージさせるキャラクターです。

しかし、実在の人物に具体的なモデルはいないと言われています。

ただ、当時の記録では、人種を問わず、カナダが戦線に多くの人を派遣していたことは史実です。

1900年前後、カナダには日本移民がおり、バンクーバー周辺などで多くの日本人が働いていました。

当時は、「カナダで一般の市民権を得るため」に自ら戦いに志願する人も少なくなかったようです。

史実では、「197人」の日系カナダ人が戦いに参加していたという記録も。

1920年には、そんな日系カナダ人の犠牲者54名を追悼するため、カナダ・バンクーバーに「慰霊碑」が建てられています。

そういった方々も参考にしながら、屋村草吉というキャラクターが作り上げられたいるようですね。

しかし、屋村はなぜ「乾パン嫌い」になってしまったのでしょうか?

あんぱん屋村(ヤムおじさん)が乾パンを嫌う理由はなぜ?

屋村にとって「乾パン」とは、地獄のような過去の体験を思い出させるものだったからです。

乾パンづくりを拒否する屋村

屋村の過去が明かされるのは、あんぱんの第10週です。

第9週では、朝田パンに軍から「乾パン」の依頼が入ると、「絶対にやらない」と屋村は断固拒否していました。

〜あんぱん第9週〜

のぶ(主人公)

乾パンを焼いて欲しいが。
陸軍さんが、うちの店にご依頼くださったがよ。

屋村草吉(パン職人)

やだね。その話、断ってくれ。

屋村草吉(パン職人)

嫌なもんは嫌なんだよ。そんなにやりたいなら勝手に焼きな。

しかし、軍に協力的でないものは当時「非国民」として非難の的になり、朝田パンは窮地に立たされてしまいます。

結局、釜次に頼み込まれて屋村は乾パンを焼くことにしますが、その作り方を引き継ぐと、朝田家を出て行ってしまうのでした。

出ていく前、乾パンのレシピに目を通した屋村は、「昔のまんまだな・・・」と呟いていました。

このことからも、銀座またはカナダの時代に乾パン作りを経験していたことが伺えます。

屋村が乾パンを拒否する理由

屋村が出ていく前、釜次にだけ心を開き、「なぜ乾パンが嫌いなのか」を語ります。

その理由はこうでした。

【屋村が乾パンを嫌う理由】

  • カナダでの義勇兵としての戦いは”地獄”のような経験だった
  • 空腹が一番つらく、倒れていった仲間のコートから「乾パン」を取り出して食べて生き抜いた
  • 乾パン」は屋村にとって一番辛い過去を思い出させるものだった

ヤムおじさんは、壮絶な状況の中でも、一番辛いのが「飢え」の状態だったと語ります。

屋村は、生きるためには仲間の乾パンを食べるしかなかったという辛い過去を持っていました。

おそらく、乾パンを見るだけでも、過去の記憶を思い出してしまうのでしょう。

実際、屋村のような帰還兵には、PTSD(心的外傷後ストレス障害=心の傷)により、悪夢やフラッシュバックを経験する人は少なくありません。

かつて、豪ちゃんが出征する時に話していたように、「まさに地獄」だったのです。

〜あんぱん第6週〜

屋村草吉(パン職人)

勇ましく戦おうなんて思うなよ。
逃げて逃げて逃げ回るんだ・・・・

屋村草吉(パン職人)

地獄に行くつもりで、やりたいことは全部やってから行ったほうがいいぞ。

世の中に抵抗する人物として

屋村は、「慰問袋」で有名になったのぶに対して「俺は献金なんてしねえからな」と突き放したことがありました。

このように、あんぱんでは、戦いに突き進んでいく国の姿勢、民衆のムードに抵抗感を持つ人物として描かれています。

豪ちゃんが亡くなった時も、

屋村草吉(パン職人)

アイツを「立派だった」って、言ってやらないといけないのかね・・・?愛国の先生。

と皮肉まじりに言っていました。

時代の傍観者のような雰囲気を持ち、熱気が増していく世の中を冷めた目で見ているようなキャラクターです。

屋村自身、「乾パン」が現地で戦う人のための貴重な食糧になるということは身をもって知っているはず。

しかし、そもそも関わりたくないし、支援したくない。

自分のような体験をする人を生み出したくない・・・。

屋村が乾パン作りに気が進まない理由として、こういった気持ち(反戦)も強かったのだと推測できます。

ヤムおじさんの行き先やその後についてはこちらの記事で解説しています。

まとめ

今回は、朝ドラ「あんぱん」の屋村草吉(ヤムおじさん)の過去を詳しくご紹介しました。

屋村が乾パンが嫌いという理由は、

  • 戦っていた時に多くの仲間を失い、悲惨さを体験したから
  • 倒れていった仲間の乾パンを食べてしのいでいたから

というものでした。

御免与から去ってしまった屋村ですが、またどこかで再登場することを願っています。

釜次の口から屋村の過去が語られるあんぱん第10週「生きろ」のあらすじはこちらです。

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