あんぱん屋村の過去のネタバレは?戦争や乾パンを嫌う理由【ヤムおじさん】

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パン職人
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朝ドラ「あんぱん」にパン職人として登場する屋村草吉。

自分のことをあまり語ろうとしない屋村ですが、物語が進むうちに、その正体や過去が気になる人が多いのではないでしょうか?

そこで今回は、

屋村草吉(ヤムおじさん)は何者?過去に何があった?

について詳しくご紹介していきます。

※小説版からのネタバレを含みますのでご注意ください。

目次

あんぱん屋村草吉(ヤムおじさん)の過去とは?

まず、屋村は、銀座の「美村屋」というパン屋で修業していた過去があります。

朝ドラ「あんぱん」の第6週で、嵩は銀座「美村屋」の店内に屋村が映っている写真を見つけます。

しかし、屋村はそのことを問われても、過去のことを話そうとしません。

〜あんぱん第6週〜

のぶ(主人公)

ヤムおんちゃん、銀座のパン屋さんで働いてたことあるが?

屋村草吉(パン職人)

銀座のパン屋なんて、しらねぇな

実際には、屋村は銀座「美村屋」でパン職人として修業をしていた過去があります。

屋村が壺の酒種を使ってパンを製作している点からも、美村屋(モデル:木村屋)でパン作りを学んでいたことが伏線となっています。

屋村が作る「酒種あんぱん」は、現在も木村屋で伝統製法を守られながら販売されています。

詳しくは、以下の記事でご紹介しています。

しかし、屋村はパン屋で働いていただけなのに、なぜそのことを話したがらないのでしょうか?

実は、「パン屋修業のその後」が、屋村の人生を大きく狂わせたからでした。

あんぱん屋村が戦争や乾パンを嫌う理由をネタバレ!

パン作りを極めるために単身でカナダに渡った屋村は、第一次世界大戦でイギリス軍側(日本人義勇兵)として戦った過去がありました。

「義勇兵」とは、思想や信念・正義感などから入隊を志願する人を指す言葉です。

屋村の過去が明かされるのは、朝ドラ「あんぱん」の第9週〜10週です。

朝田パンに軍から「乾パン」の依頼が入ると、「絶対にやらない」と屋村は断固拒否するのです。

〜あんぱん第9週〜

のぶ(主人公)

乾パンを焼いて欲しいが。
陸軍さんが、うちの店にご依頼くださったがよ。

屋村草吉(パン職人)

やだね。その話、断ってくれ。

屋村草吉(パン職人)

嫌なもんは嫌なんだよ。そんなにやりたいなら勝手に焼きな。

しかし、軍に協力的でないものは当時「非国民」として非難の的になり、朝田パンは窮地に立たされてしまいます。

結局、釜次に頼み込まれて屋村は乾パンを焼くことにしますが、その作り方を引き継ぐと、朝田家を出て行ってしまうのでした。

屋村が出ていく前、釜次にだけ心を開き、「なぜ乾パンが嫌いなのか」を語っています。

その理由はこうでした。

  • 銀座のパン屋で修業しているうちにもっと美味しいパンを焼きたくなって密航船に潜り込んだ
  • カナダにいた屋村は、欧州大戦に日本人義勇兵(イギリス側)として参戦した
  • 戦場は想像を絶する惨さでまるで地獄だった
  • 空腹が一番つらく、死んだ仲間のコートから乾パンを取り出して食べて生き抜いた
  • 乾パンは屋村にとって一番辛いことを思い出させるものだった

パン職人の「屋村草吉」は、「ジャムおじさん」をイメージさせるものの、実在の人物に具体的なモデルはいません。

ただ、当時の記録では、カナダ軍が欧州戦線に多数の兵を派遣していたことは史実です。

「欧州大戦」という言葉が聞きなれない人もいると思いますが、これは「第一次世界大戦(1914〜1918年)」の別称です。

当時のカナダはイギリス連邦の一部だったので、欧州戦線(フランスやベルギーなど)に何十万人もの兵士を派遣していました。

大戦中、カナダ政府は有色人種の志願兵を制限していましたが、後半になると兵力不足から黒人・アジア系も一部受け入れるようになります。

1900年前後、カナダには日本移民がおり、バンクーバー周辺などで多くの日本人が働いていたので、日本人が入隊していてもおかしくはありません。

最終的には、197人の日本人義勇兵がカナダから参加していたという記録があります。

そんな日系カナダ人兵士を追悼するため、1920年、カナダ・バンクーバーのスタンレーパークには、「Japanese Canadian War Memorial(慰霊碑)」が建立されました。

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