やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。
ドラマの中で、ヒロインの朝田のぶは教師を夢見て「女子師範学校」へ進学します。
朝田のぶのモデルは、やなせたかしさんの妻・小松暢さんです。
学校の先生を目指すのぶは、小松暢さんの史実や実話に基づいているのでしょうか?
そこで今回は、
- 小松暢さんは教師や学校の先生の経歴がある?
- 小松暢さんの高校(進学先)や就職先・職業は?
について詳しくみていきましょう。
小松暢さんは教師や学校の先生の経歴がある?
「あんぱん」のヒロイン・朝田のぶのモデルとなった小松暢さんですが、ドラマと史実では異なっている部分がいくつかあります。
例えば、「のぶの出身地」「やなせたかしとの出会い」「実家の家業」などは、ドラマのためのフィクション(架空)として描かれています。
ドラマ | 史実 | |
---|---|---|
のぶの出身地 | 高知生まれ | 大阪生まれ |
たかしとの出会い | 小学校 | 就職先 |
実家の家業 | 石材店・パン屋 | 不明(父は商社マン) |
特に、のちに夫となるやなせたかしとの出会いは、実際は「大人になってから」という点は、実話とは大きく異なる部分です。
朝田のぶが「学校の先生を目指す」という設定は、
- 戦時中の女性たちの状況をリアルに伝えるため
- 国家の思想に振り回される教育現場(正義が逆転する)の描写のため
ではないかと筆者は推測しています。
ちなみに、のぶの実家・朝田石材店のモデルは別にあるようなので、こちらの記事で紹介しています。

小松暢さんの高校(進学先)はどこ?職業(就職先)は?
※ここからは朝ドラのネタバレを含む可能性があるのでご注意ください。
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小松暢さんの詳しい経歴は以下のとおりです。
大阪府立阿倍野高等女学校を卒業
小松暢さんは、旧性・池田のぶさんです。
商社マンだった父(高知県出身)の勤務地が大阪だったため、大阪生まれの大阪育ちです。
当時の大阪府立阿倍野高等女学校(現在の府立阿倍野高校)を卒業しています。
現在の阿倍野高校の偏差値は55で、大阪府の公立高校の中で201校中58位です。
21歳で結婚するも未亡人に
高等女学校を卒業した小松暢さん。
大阪から東京に出て、しばらく働いていたそうです。(職業は不明)
その後、21歳の時に、6歳上の小松聰一郎さんという男性と結婚しています。
そのため、小松暢さんの「小松」という姓は、最初の旦那さんのものなのです。
小松暢さんの最初の夫・小松聰一郎さんは、日本郵船勤務で高知県出身でした。
残念ながら、小松聰一郎さんは終戦後に病気で亡くなってしまい、小松暢さんは未亡人となります。
新聞記者の道へ
一人残された小松暢さんは、自活の道を求めて「高知新聞社」の記者募集に応募。
戦後初の女性記者の一人として配属され、数ヶ月後にはやなせたかしさんも入社して、同じ編集部となります。
これが二人の出会いであり馴れ初めでした。
当時の小松暢さんは、童顔でショートヘアということもあり、まるで少年のようだったんだとか。
さらに、新聞の掲載料を払わない相手に「きちんと払いなさい!」とハンドバックを投げつける男気もあり、やなせたかしさんは度肝を抜かれて好きになってしまったようです。
自分と正反対だからこそ「ドキン」とする・・・それが後の「ドキンちゃん」というキャラクターにもつながったそうです。
この後、二人は晴れて恋人同士となりますが、小松暢さんは入社して1年も経たず退社してしまいます。
速記を生かして秘書に
小松暢さんは、高知新聞社を退社後、国会議員の秘書に転職します。
以前からの知り合いが高知県選出の代議士となり、「東京で秘書をしてほしい」と依頼されたからでした。
当時、小松暢さんは「速記」の技術を身につけていたことが買われたようです。
※速記とは、線や点でできた符号などを使って、人が話す言葉を素早く書き取る技術です。朝ドラ「あんぱん」では、速記が得意だった前夫から教えてもらうことになりますが、小松暢さんがどういった経緯で速記を習得したかは情報がありません。
当時の代議士は、演説などの原稿を口述で作ることが多く、速記の技術を持つ人材が重宝されていました。
恋人のやなせたかしさんには「先に東京で待ってるわ」と言い残して、さっさと上京してしまったそうです。
やなせたかしと結婚
1947年(昭和24)、小松暢さんが29歳、やなせたかしさんが28歳の時に結婚。
若かりし日のやなせたかし夫妻
— ☘ 𝔰𝔦𝔭𝔥𝔬𝔫 ☘ (@Siphon_Drip) February 2, 2024
小松暢(のぶ)だけどやなせさんはおぶちゃんと呼んでいたそうです
ちなみにドキンちゃんのモデルとも言われています pic.twitter.com/79MZUa14y9
この時も小松暢さんが議員秘書を続けていたのかは不明ですが、1953年(昭和28)にやなせたかしさんが漫画家として独立するのに合わせて仕事を辞めたことがわかっています。
やなせたかしさんは数字関係が一切苦手だったので、経理や雑用などの事務関係を小松暢さんに任せていたようです。
収入が不安なときも、小松暢さんは「いざとなったら私が稼ぐ」と励まし、好きな仕事をさせてくれたそうです。
自宅で茶道教室を開く
小松暢さんは、自分の好きなことならとことん突き詰める努力家で、「茶道」もその1つでした。
20代から趣味で茶道を習い、弟子をとって教えるまで上達した小松暢さん。
東京都新宿区の自宅マンションの一室で茶道教室を開いていたそうです。
茶室の写真がこちら(左:やなせたかし、右:小松暢)
実は、やなせスタジオの社長を務めている越尾正子さんは、小松暢さんが開いていた茶道教室のお弟子さん。
晩年、乳がんを患っていた小松暢さんは、自分の代わりに夫を支えてくれる人を探していて、越尾さんを秘書としてスカウトしたそうです。
小松暢さんが75歳で亡くなる前年のことでした。
越尾さんはその後約20年、やなせたかしさんの出張や病院など公私に付き添い、マンションの別の部屋に住み込み、小松暢さんの代わりを務めたそうです。
「お茶の先生」という点では、朝ドラ「あんぱん」の朝田のぶとつながる部分もありますね!
まとめ
今回は、朝ドラ「あんぱん」のヒロイン・朝田のぶのモデルとなっている小松暢さんについてご紹介しました。
- 大阪府立阿倍野高等女学校卒
- 新聞記者
- 議員秘書
- 事務・経理(夫のサポート)
- 茶道の先生
などの多彩な経歴がありました。
残念ながら、「学校の教師」という経歴はありませんが、茶道の先生をしていた経歴があり、そこのお弟子さんが晩年のやなせたかしさんを支えてくれていたということが分かりました。
朝ドラ「あんぱん」では、どのように描かれていくのか楽しみですね!
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