やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」。
あんぱん第14週「幸福よ、どこにいる」では、ヒロインのぶが高知新報の女性記者として働き始めることになります。
新たな舞台となる新聞社「高知新報」のロケ地は一体どこなのでしょうか?
そこで今回は、
- あんぱん新聞社のロケ地・撮影場所はどこ?
- モデルの高知新聞社の旧社屋と似ている?
について深掘りしていきます!
【あんぱん】新聞社のロケ地・撮影場所はどこ?
朝ドラ「あんぱん」の高知新報の外観のロケ地は、東京都目黒区にある「東京科学大学大岡山キャンパス西1号館」と思われます。
詳しく見ていきましょう!
「高知新報」の外観
朝ドラ「あんぱん」で、地元の新聞社「高知新報」の外観が映し出されたのは第13週「サラバ涙」でした。
実際のシーンがこちらになります!

コンクリートで作られた頑丈そうな建物で、入り口がアーチ状になっておりレトロな雰囲気も感じさせます。
入り口には大きく「高知新報」の看板が掲げられていますね。
撮影場所は東京の大学
こちらの「高知新報」の外観は、残念ながら高知で撮影されたわけではなさそうです。
東京都目黒区にある「東京科学大学(旧東京工業大学)の大岡山キャンパス内の西1号館」がそっくりな建物として話題となっています。
入り口の雰囲気や窓の形などもそっくりですので、高知新報のロケ地で間違い無いでしょう!
こちらは「2階建て」の建物ですが、朝ドラ「あんぱん」では何階建てなのか分からないような撮影方法がなされています。
1931年に竣工された建物
こちらの建物は「旧東京工業大学」時代に建てられたものであり、関東大震災で焼失した前校舎(蔵前)の移転と建て替えがきっかけとなっています。
高知新報の撮影地となったこの「西1号館」という建物は、昭和6年(1931年)9月の竣工。
元々は「分析化学教室」として使用されており、有害なガスが発生する可能性もある実験室でした。
そのような用途もあり、全学科が入る教室の「本館」とは別棟に建てられたそうです。
3年後に建てられた「本館」も似たようなデザインで設計されており、設計者は橘節男(建築学科・教授)さんです。
こちらが「本館」になります。
建物の特徴としては、
- 外壁:白色の横長タイル貼り
- 建物の上端:テラコッタ製のロンバルド帯
- ポーチ:六ヶ村堅石ビシャン仕上げ
など。
凝ったデザインが施されており、90年以上経っても風格がありますね。
2013年には、本館などと共に「登録有形文化財」に指定され、キャンパスのシンボルとなっています。
こちらの「西1号館」は、現在も講義室として活用されているようです。
〒152-8550 東京都目黒区大岡山2丁目12−1
公式ホームページ
高知新報のモデル「高知新聞」の旧社屋と似ている?
それでは、実際の「高知新聞社」の社屋とはどのような外観だったのでしょうか?
1925年に建てられた、高知新聞社の旧社屋がこちらです!

こちらの社屋は、1925年に高知市本町4丁目から3丁目に移転し新築されたもの。
高知県内初の近代式鉄筋コンクリートの3階建てでした。
入り口のアーチや窓の形、両サイドの木々などは、先ほどのロケ地と似た雰囲気を感じさせますね!

しかし、実際には、1945年の高知大空襲で被害を受けていたようです。
外観こそ焼け残って無事でしたが、中は「ベニヤ板」で仕切られた編集部だったことがやなせたかしさんの著書で語られています。
なにしろ当時の新聞社は、焼残りのビルでベニヤ板で囲った編集室だったから、部外者が入ってきても気にとめる人もいなかった。
やなせ たかし. アンパンマンの遺書 (岩波現代文庫) (p. 80)
その後、再建や増改築が重ねられ、1974年には高知新聞社の新社屋が完成。

当時としては、中国・四国エリアで最大級の建築物だったようです。
それから約50年経った2023年。
高知新聞社本社は「高知電気ビル新館(9階たて)」の4〜8階へ移転しています。
〒780-0870 高知県高知市本町4丁目1−24
公式ホームページ
やなせたかしさんや小松暢さんらが働いていた社屋はもうありませんが、朝ドラ「あんぱん」の聖地の1つとして注目されそうですね。
史実では、二人が初めて出会った場所が「高知新聞社」でした。

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