「アンパンマン」の生みの親・やなせたかしさん。
やなせたかしさんは、千葉大学工学部総合工学科デザインコースの前身である「東京高等工芸学校図案科」を卒業されています。
そんなやなせたかしさんの卒業制作の作品やポスターは、どんなものだったのでしょうか?
そこで今回は、
- やなせたかしさんの卒業制作の画像はある?
- やなせたかしさんの卒業制作のポスターはどんな絵だった?
について史実を元に詳しく調査しました。
やなせたかしの卒業制作の作品ポスターの画像はある?
やなせたかしさんが、史実において卒業制作の作品制作に取り掛かっていたのは1940年(昭和15年)3月のことです。
卒業が近づいた頃、授業はなくなり、学生たちは卒業制作に熱中していました。
やなせたかしさんが在籍していた東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学工学部総合工学科デザインコース)は、以下の3つコースに分かれていました。
- 室内(インテリアなどのデザイン)
- 染色(ドレスなどの衣料デザイン)
- 商業デザイン
この中でも、やなせたかしさんはグラフィックの「商業デザイン」を専攻。
史実においても、卒業制作は「ポスター制作」だったそうです。
しかし、その卒業制作の真っ只中に、一通の「電報」が届きます。
チチキトク スグカエレ(父危篤、すぐ帰れ)
「父」というのは、育ての親である伯父・柳瀬寛(やなせ・ひろし)さんです。
やなせさんはこの電報に動揺したものの、「せめて一枚のポスターを仕上げてから」と覚悟を決め、徹夜でポスターを仕上げました。
その翌日に汽車に飛び乗り、故郷の高知県へ向かったのでした。
この時のことをやなせたかしさんは、著書「アンパンマンの遺書」の中でも語っています。
そこには、卒業制作を仕上げる自分の後ろ姿のイラストと共に、「何を描いたか覚えていない」という言葉が添えられています。
卒業制作のポスター制作中に「チチシス」の電報がきた。
やなせたかし「アンパンマンの遺書」
どんな絵を描いたのかまるでおぼえていない。

この挿絵には、キャンパスの上に人のようなものと、上半身に向かって刺さっている”一本の矢”のようなものが描かれています。
これが、実物の卒業制作の絵に近いものなのかは不明です。
卒業間近にショッキングな知らせが届いたやなせたかしさんの当時の心境を語っているようにも感じます。
【関連記事】

やなせたかしは卒業制作の作品で銀座を描いた?
やなせたかし夫婦をモデルにした朝ドラ「あんぱん」では、嵩が卒業制作で銀座の街や行き交う人々を描くというシーンが描かれます。
その中には、赤いハンドバックを持った女性(のぶ)も描かれます。
しかし、先ほどもお伝えしたように、やなせたかしさんが実際に銀座の町や人々を卒業制作のポスターで描いたかどうかは不明です。
一方で、入学時に先生から「1日に一回は銀座に行きなさい」と言われた教えは史実通りです。
やなせたかしさんは、学生時代は毎日のように銀座八丁に出歩き、感性を磨いていた(遊んでいた?)そうです。
先ほどもご紹介した著書「アンパンマンの遺書」の中で、やなせたかしさんによる「銀座の人々」の挿絵が添えられています。

朝ドラ「あんぱん」の嵩のように、やなせたかしさんも青春時代を過ごした「銀座」という街に深い思い入れがあることは間違いありません。
そして、中心に描かれているドット柄のワンピースの女性にご注目。
朝ドラ「あんぱん」で嵩がショーウィンドウ越しに見ていたマネキンに雰囲気が似ているような気がしませんか?
実は、このワンピース、朝ドラ「あんぱん」のポスターでのぶ役の今田美桜さんが着用されていたものと同じなんです!
まるで、やなせたかしさんの絵から飛び出したような姿ですよね。
朝ドラ「あんぱん」での卒業制作のポスターの構成やデザインも、「やなせたかしさん描いた銀座の人々」を参考にしながら作られていった可能性が高いと思われます。
とはいえ、本人が「記憶にない」という卒業制作を、イメージして作り上げるのは、NHK側もプレッシャーだったでしょうね・・・。
以上が、やなせたかしさんの卒業制作の内容の史実でした。
この記事では、以下の著書を参考にさせていただきました。
【関連記事】


やなせたかしの関連記事
やなせたかしの受験や浪人の史実

やなせたかしの恩師(座間のモデル)の史実

やなせたかしの馴れ初めや結婚の史実

やなせたかしの母との再会の史実

コメント